和田秀樹さんの『テレビの大罪』

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 和田秀樹さんの『テレビの大罪』(新潮新書)を読んだ。
<<(元不良がテレビに出て)「子どもがグレても、ほっといたほうがいいっすよ」などという言葉を信用してしまった親は、一体どうなるでしょうか。それで子どもが人を殺してしまったり、親が家庭内暴力で殺されたりしてしまったら、テレビはどう責任を取るというのでしょうか。>>(本書より引用)
 という一文がある。極端なたとえかも知れないが、テレビにはそれだけの影響力と責任があるはずだ。この本を書いて、著者の和田秀樹さんは、その後マスコミからオミットされている由。
 しかし書いてあることは正しい。
 テレビは「二分割思考(白か黒しかない、と断定する考え方)」を助長し、正常な判断ができる大人が持っている「認知的複雑性(中間にグレーがあり、濃いグレーから薄いグレーまで様々あるという、可能性の多様性を理解する力)」を弱めている、と主張される。
 最近のテレビには見るに耐えない下劣な番組が多すぎて、とても見られたもんじゃない、という話をよく聞く。その感覚は健全なことだと思う。もちろん、全てのテレビ番組がそうだとは言わないが、お笑い・社会・政治・経済・健康ものに対する注意が必要なこと言うに及ばず、情報番組や歴史検証ものなど、比較的、偏見で作られる可能性が低いものでも、盲信してはいけないぞ、という感性は必要だと思う。
 若い人たちにも一読を勧めたい本だ。

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休耕田について思う

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 ある友人が語っていた減反ばなしからの連想。
 最近の減反・・・長ネギやら小麦やら大豆畑に転作されている元・田んぼ。稲穂の波を見ながら育った我々にとっては寂しく悲しい光景である。
 ただ、それはノスタルジックな意味だけではなく、それ以上に「今」の問題として気になっている。
 田んぼ→荒れ地(として放置)→人の気持ちや心への影響(心のすさみ)や地力の萎縮。
 私たちが暮らしている土地の自然環境が人の心に影響しないはずはない。
 私たちの心に少しでも豊かな影響があたわるように、休耕田をほっぱっておかない方が良いはずである。
 また、日本の国土、土や自然や生態系が、農耕の仕組みによって今の状態が維持されているのであり、「田んぼシステム」は、少しでも維持をすべきだと思う。
 私のような「農業部外者」がわかったようなことを言っちゃだめなんだろうけど、そういう歯がゆい気持ちがある。
 みずほの国、日本の元気は農耕の復活復権からではなかろうか、と思う。

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高田崇史さんの『カンナ 飛鳥の光臨』

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 高田崇史さんの『カンナ 飛鳥の光臨』。
 蘇我馬子と蝦夷と入鹿の三人分の仕事を、聖徳太子という仮設(仮に設定)の人物の業績にしたのでは?という仮説(仮の説)を下敷きにした推理小説である。
 既に聖徳太子=推古天皇=蘇我馬子という説は人口に膾炙されており、特段奇矯な説ではないものの、そこに至る推理の展開の仕方や、法隆寺金堂の釈迦三尊像が蘇我氏三代(三人)の崇りを鎮める目的で“三体”なのでは?という考え方などは面白い着眼点だと思った。
 一話完結ではなく、犯人やその目的や背景などいろいろなものが次回以降に引き継がれてしまっているので、ありゃりゃ、また続きを読まなきゃいけないのか、と面食らったが、面白い小説であった。

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