『インシテミル』を読み、映画も観た

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 速読の一環で、たまに小説もいいかなと思い、先日米澤穂信さんの『インシテミル』という小説を読んだ。
 次男が映画を観たという話を聞いていたので(次男は藤原竜也さんのファンだったと思う)、共通の話題ができるかな?という思いもあった。

 小説は、内容は書かないが、ぐいぐい引きつけるような迫力があり、早い速度で読んだけれど、なかなかスリリングで面白いものだった。
 読んだ数日後に、以前録画しておいた映画の「インシテミル」を観た。
 昔の角川ではないが、読んでから観るか、観てから読むか、である。
 小説は飛ばし読みをした関係で、少し理解が不十分な点もあったが、映画を観てすっとわかった。
 しかし、映画は2時間程度にストーリーを映像を交えて詰めなければならないせいか、小説の方が面白かったと思う。
 よくあることで、小説のエンドと映画のそれも違っていたし、ストーリー展開も少し変えてあった。それは特に違和感はなかった。
 映画の俳優はいずれも今の日本の主役級の人々で、豪華なキャスティングであった。
 (藤原竜也さん、北大路欣也さん、綾瀬はるかさん、石原さとみさん、平山あやさん、石井正則さん、武田真治さん、片平なぎささんらである。)

 米澤穂信さんの本はまた読んでみようかと思う。
 小説、映画、どちらもお勧めである。

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マヤ暦の「2012年」の先について考える

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 先日の新聞に「マヤの遺跡から、2012年の先の記述のある暦が発見された」という記事が出ていた。
 数年前からマヤの暦には2012年から先がないので、これは世界の終わりを予言したものだ、という本やら論調やらが巷間出回っている。
 本当ならイヤなことだし、本が売れれば出版社が儲かるという当然のこともある。
 2012年の先の暦、という発見は、本当かも知れないし、作り話かも知れない。
 2012年で世界が終わる、という解釈も、あくまで解釈である。
 今日、何かの事故や災害に遭い、終わりが来るかも知れない。
 考え出したらきりがないことだと思う。
 ドラッカー氏は、「間違いなく言えることは、明日は今日とは違う、明日のことは予測できない」というようなことを言っておられたと思う。
 世の中には人々を不安にさせる色々な情報が溢れている。
 それは事実かも知れないし、不安心理を煽って商売にしているのかも知れない。
 それぞれの情報の発信源の「意図」はわからない。
 どの情報が本当かも、自分で確認しなければわからない。
 私たちは、色々な情報に一喜一憂せず、今この時、今日一日を精一杯生きることが大切なのだと思う。
 カーネギーの『道は開ける』という本に「今日一日の区切りで生きる」ということが書いてある。
 一瞬一瞬を幸せに満ちた感覚で生きるためには、昨日のことをくよくよしない(反省と後悔は別物)、明日のことを思い悩まない(ないものにおびえない)、という心の持ちようが大切だと思う。

 『葉隠』で山本常朝氏は「一瞬一瞬の積み重ねが大切だ」と言っている。
 死ぬことと見つけたり、というのは、「死のう」ということではない。
 いや、死は全ての人に平等に必ず訪れる。それを認識した上で、与えられている今という命をどう充実して生きるか、ということを、江戸の武士も言っているのではないかなと思う。

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