- kazuto_nakajin
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ようやく仕事納め。なかなか因果な商売です。それでも、日本の経済を支えている商売だと思えば、誇りにはなる、かな。
12-30 18:48
月別アーカイブ: 2011年12月
高橋政史さんの『必要な知識を15分でインプットできる速読術』
書店にふらりと入って、なんとなく虫が騒いで、自己啓発本のコーナーに足が向いた。
買う予定はなかったにも拘わらず、どうも気になり、平積みでもなく、本の表が向けてあるわけでもなく、書棚の隅の方に普通に差し込んであった本になぜか目が止まった。
やたら長いタイトル。
そして、なんの変哲もない静かな装丁。
なぜこの本を手に取ったのか、いまだにわからないが、中も見ないで買ってしまった。
速読については、フォトリーディングの研修を名古屋まで受講しに行くくらい、そのスキルを高めたいと思っているわりに、なかなか実行することができないできた。(ポール・シーリィ氏の本を買ったのはもう10年も前なのに・・・)
たぶん、仕事で読み物が多く、家に帰ってきてまでものを読むという気力が沸いてこなかったせいかも知れないが、それは言い訳だ。
というわけで、先日から、少しずつ、フォトリーディングに取り掛かっている。
キーポイントは、ぼやっとした目の焦点の合わせ方と、左手でいかにリズミカルにつっかえずにページをめくることができるか、であろうと気づいてきた。
そんな矢先だったからかも知れない。
この本が電磁波のようなものを発して、私を呼び寄せたのだろうか、と思う。
本の中身は、この著者のオリジナルの方法論が色々書かれてある。
しかし、これまでの速読法の本と共通している点がいくつかある。
1.目的を持って取りかかるべし。
2.アウトプットを意識して読むべし。
3.キーワードを拾い上げるようにして、パラパラと検索すべし。
4.紙に書くべし。
5.時間をかけないこと。直感で、心の声に従って、キーワードを拾うのが良い。
6.自分の言葉に置き換えて理解すること。
そんなところであろうか。
この著者の素晴らしいところは、22歳まで野口英世さんの伝記ぐらいしか読んだことがなく、本を読めと言われた時に、最初の1冊を読むのに30日間かかった・・・というところから始まり、速読のために1千万円ぐらいの費用をかけたが、結局仕事の必要に迫られ、3日で60冊の本を読む力がつき、その結晶としてオリジナルでこの本に書かれてあるようなノウハウを編み出した、という点ではなかろうか。
もちろんオリジナルと言っても、それまでに受講した研修で学んだ色々なノウハウが下地にあったからこそ、ということかも知れないが、そういう人のノウハウだから、真剣に取り組めばできそうな気がする。
是非取り入れてみたいと思っている。いい本に出合えた。著者にも感謝したい。
12/23のツイートまとめ
子どもの成長に必要な「三つの鯛」(塾講師のニュースレターより)
次男の塾からのニュースレター。
毎月一回塾での学習の様子などに関するコメントと同封で送られてくる。
先生のつぶやきなどが色々書かれている。
今月のコラムから。
<人間の心の中には「三匹の鯛」が泳いでいる。
「ほめられたい」「みとめられたい」「何かしてあげたい(役に立ちたい)」
誰かに褒められると、人間はいきいきと能動的になります。
その誰かは、親にかなうものはありません。>
一読して共感するところ多し。
親がわが子を褒めてあげ、認めてあげなくて、一体誰が子どもを認めるのか。
一番愛さなければならないわが子を「だめねえ」「何やってんだ」とさげすんでいて、屹立できる大人になどなれようはずがない。
愛してあげて初めて、彼らは自分に自信が持て、人の役に立とうと思い、自分の考えを持って一人の自立した大人になっていけるはずだ。
実はこれ、社会人でも同じだと思う。
上司は部下から見ると、親と同じである。
部下は皆上司=親の背中、親の一挙手一投足を見、自分への接し方の中から、仕事に対する誇りと自信を持てるのではないだろうか。
コミュニケーションレスは家庭にとっても会社にとっても崩壊をもたらすものだと思う。
上司=親がその救いの手でもあり、元凶にもなりうる。
もっとも、大人の場合は必ずしも親(上司)の愛情がなくても、スネてでも、なんとかやっていける。
これはセルフコーチングの領域かも知れないが、部下に愛情を持って接しない上司の場合(愛情とは甘やかしのことではない、念のため)、部下の立場の人は、自分自身を愛することがとても大切だと思う。
他人がどう評価しようと、今日一日一生懸命やった自分を褒めてやることで、ちょっと心にゆとりができて、人にも目を向けることができるのではなかろうか。
同僚同士までギスギスしては本当に組織はダメになる。
そんなことを塾講師のニュースレターからあれこれ思った。
12/13のツイートまとめ
わが町富山市中心商店街のアピール度の弱さ
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富山の中心商店街である「総曲輪通り」「中央通り」のHPを探して、目的の店を調べようと思ったのだが見つからない。ショッピングセンターならば館内の案内図をしっかり掲載しているが、これらの商店街はそもそもHPすら見つからない。これではいけないと思うが、商店主の皆さんはどうお考えだろう。
12-10 22:16
南雲吉則さんの『50歳を超えても30代に見える生き方 「人生100年計画」の行程表 』
最近我が家では「ゴボウ茶」が旬である。
悪くない味なので飲んでいたが、著者の南雲吉則氏が提唱者らしい。
56歳ということだが、どう見ても40歳前後にしか見えない。
本の表に写真が出ている。
今時の若者、って感じだ。
しかしこの人は「今時の若者」ではない。
医者であり科学者だ。そして理屈ではなくしっかり実践し、自らの若さを保っておられる。
小食にしてゴボウ茶を飲み、よく歩く。
早寝早起き、小さな魚や果物を皮ごと食べる。
これを実践して100歳まで生きる。
私も少しでもこの人に近づいて、目標である100歳まで生きることとしよう。
100歳のある老人の言。
「100歳まで生きるためには、死なないようにすること」
けだし、名言。
オダギリ展子さん『最強の文具活用術』
文具好きにはたまらない一冊。
中身も見ないで買ってしまった。
中で紹介されていた、キングジムのデジタル名刺ホルダー「ピットレック」。
名刺整理については長いことずぼらで来たが、そろそろこういうものできちんと整理&スピーディーに検索できるようにしなければ、と思い始めている。
女優の鶴田真由さんのインド話
FM東京をキーとする土曜夕方5時からの番組「Saturday Waiting Bar Avanty」を長らく聴いている。
会社の後輩に教えてもらった。
JAZZが流れるバーのカウンターで、各界の著名人や一流の人などの日常会話にちょっと聞き耳を立てる、という趣向になっている。
番組の進行は、主に謎の大学教授がやっている。(たぶん、次元大介役の小林清志さんではないかと思うのだが)
最近は時間が合わず、なかなか聴けなかったが、Podcastでやっていることを知り、ダウンロードしては都合のいい時間に時折聴いている。
今日、2007年11月17日にアップロードされた、女優の鶴田真由さんの会話を聴いた。
鶴田さんはなんでもインドが好きで、ある時、夫が仕事ででかけた1ヶ月のインド行に同道し、自分は断食やヨガ三昧の生活をし、最終的に合流して帰国されたらしい。
その会話の中で、インドで発明(発見?)された「0」について語っておられた。
0はインドで発明されたが、ゼロというのは何もない「空」の概念ではなく、プラスとマイナスのそれぞれの方向のものが同じだけの振れ幅で存在している状態なのだ、とか。
つまり色んなものが渾然と詰まっているが、それらがバランスよく、結果的に調和し循環しているというようなことらしい。
具体的に言うと、プラスの方向とは、たとえば「生きることの諸活動」。マイナス方向とは、「人の死」。
インドでは生と死が同じ重みで普通に共存している。(というのはよく聞くことではある)
たとえばガンジス川では、顔を洗ったり洗濯したりという日常生活が営まれている一方、その川に亡くなった人の遺体を流している。
当たり前の光景だという。(これもよく聞く話である)
生に関する振れ幅と同じだけ、死に関する振れ幅がある。
またたとえば、インドでは定価以上の価格で売りつけ、不当な利益を得る人が多いらしいが、その人たちが余剰な利益をお寺に寄進する、といったことも普通に行われているらしい。
我々から見ると、だましとったお金は自分の懐に入れる、のが普通であり(もちろん良くないことだが)、それを懐には入れず、さも善行をするかの如く寄進をするというのは、やってることが矛盾しているではないか?と思うが、彼らはそれが当たり前なのだという。
これは、聖と邪の振れ幅が同じ、という例だろうか。
ゼロとは何もない状態だと捉えていたが、そうではない、という。
何も無いのではなく、色んなものがあってそれらがバランスを持って循環しているのが、どうもインドのゼロだというふうに彼女は感じたらしい。
そういう見方に初めて触れた。
面白いなあと感じ、興味深く聴かせていただいた。
インドの人々の、善悪の捉え方が違う点までは共鳴できないが、仕事や生活のON状態とゆったりした時間を過ごすOFF状態をバランスよくとる、とか、陽の食物と陰の食物をバランスよく採る、といったような(規模が小さいけど)バランスを意識した生き方は、私たちにとっても大切なことだと思った。
トヨタの豊田章男社長の決意
一昨日のニュースステーションでトヨタの豊田章男社長のインタビューが報じられた。
超大企業創業家の御曹司。
満を持しての登場であるが、社長就任のタイミングも大変難しい判断があったろうと思う。
にも拘わらず、社長就任以降もリコール問題やリーマンショック、その後の不況などで大変難しい舵取りの連続の日々であり、まさに渦中の人ですらある。
(でも社長であり、経営していかねばならない立場であることは、世の多くの経営者となんら変わりない)
豊田社長の肉声を聞く機会はそうないなと思い、画面を見つめた。
当たり前のことだが、日本のトップ企業の社長の言葉として、私なりに心に響いた。
曰く、石にかじりついても雇用を守る。
曰く、30万人の従業員の最終責任は私にある。
曰く、それは決めることである。
曰く、決断は3秒でしなくてはならない。そのためには常日頃、世界でいい車を作ろうと懸命になっているみんなの苦労や頑張りを見、聞き、肌で感じることだ。
ギャンブルで会社の金を湯水の如く使ったどこかの上場企業の御曹司とは大違いだ。
感動した、とつぶやいたところ、ある元経営者の方からご指摘をいただいた。
<素晴らしいといえば素晴らしい。しかし、これはすべての社長たる者が「当然」として持つべき覚悟ではないか。その覚悟がなければ、すぐに社長を辞めた方がいい。>
そのとおりだと思う。
至極当たり前のことだ。
しかし、この当たり前の「決意」ができていない経営者も世の中には多い。
特に創業者が苦労して今の地位まで持ってきたことが胆からわかっていない二世経営者に多い。
豊田社長の、当たり前の真摯な態度に、超大企業のトップのおごりではなく、謙虚な誠実さを感じた。