憧れの生活に少し近づいたかも知れない。
帰りのJRの車中で本を読む。
そういう時空が少しできた。
チャンス、とばかりに本を選んだ。
どれだけ時間が確保できるかわからないし、毎日安定的に読書できるという保障もない。
そのため、まずは肩の凝らない本、いつそういう生活が停止してもダメージが少なくて済む本、ということで、小説を選んだ。
と言っても、あまり軽い本でもどうかなと思い、前からチャレンジしてみようと思っていた、ガブリエル・ガルシア・マルケスというコロンビアのノーベル賞作家の書いた『族長の秋』を選んだ。
ノーベル賞はたしか『百年の孤独』だったと思う。
筒井康隆さんが絶賛している。(随分前のことだが)
それ以来、気になっていた作家だ。
あいにく『百年の孤独』はまだ文庫化されていないので、持ち歩きには向いていないため、文庫になっている『族長の秋』にした。
牛の絵が表紙になっているように、牛があちこち出てくる。
ただし、牛小説ではない。
ある種、権力者の権威の崩壊を象徴するような現れ方である。
しかもその登場場面は、前の大統領の死のときであり、また今の大統領が崩れ行くときでもある。
文章は、とても重い。
改行やカッコつきのセリフというものがほとんどない。
司馬遼太郎さんの小説や随筆を読みなれた人にとってはとてもとても読みづらい文章である。
しかし、重い。
ここで「しかし」と言ったのは、読みづらいが、読むものにぐいぐい迫ってくるので、息もつけないが、目が離せないという意味である。
ある中南米の国でクーデターが起こり、その軍の一将軍が、周囲から押し上げられて、大統領になってしまう。
その大統領が、大統領であった日々、臨終の間際の日々、国を混乱させ、自身もわけがわからず孤独の中でのたうちまわり、かすれ果てて死んでしまうという、青春とも言えるし、たそがれ時とも言えるような、暑い日々を、大統領の周囲にいたであろう誰かが回想するという物語だ。
大統領は独裁者であり、国内にどんな布告をしても誰も逆らわないし逆らえない。
あげくの果てに腹心の将軍すらディナーのメインディッシュにされてしまう。
母親と二人の妻らしき人だけが大統領の心のすき間を埋めるが、それらの人々もいなくなってしまう。
大統領はたぶん100歳以上生きる。
そして独りぼっちになって死んでしまう。
・・・一体なんだったのだろうかこの小説は、と思わずにいられない。
しかし、中南米という暑いところからこそ、こういう暑い物語が語られるのかも知れない。
満腹した。
ある種、中上健二さんの小説のような、芳醇でいて力強い、男の文学、という感じがした。
ガルシア・マルケス『族長の秋』
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