中国経済圏に飲み込まれる日本の進む道は?

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 二十年ほど前に、故井上ひさし氏が「日本はこれからの国際社会に対応していくため、他の国々と同じように軍備を増強するのではなく、外国から頼りにされる日本にしかないものを持っていたらいいのではないか、たとえば超高度な医療技術のようなもので、外国の要人が日本に来なければその病気が治らない、となれば、誰も日本を軍事的に攻めようなどとは思わないはずであるから」という主旨の国防論を語っておられた。
 あれから二十年近く経つが、果たして日本は外国が攻めようという気持ちを萎えさせるようなものがるだろうか。(長谷川慶太郎氏によれば、アメリカの軍事衛星にも精密機器にもほとんど日本の精密部品が入っているので、アメリカは日本なしでは生きられないということではあるが)
 さて、中国経済の躍進が著しい。
 政治的にもますます発言力が増している。
 我が日本にも色々な影響が出てきている。
 半年ほど前に、金型メーカー第一位のオギハラという会社の工場の一つを中国の自動車メーカーBYD(かの世界的投資家ウォーレン・バフェット氏の会社が巨額の投資をしたことで一躍有名になった)が、買収するという驚愕のニュースが走った。
 日本の手わざ、ミクロン単位まで調整できる日本人技術者の持つ金型技術が中国資本によって買収されるということが、日本がそのアイデンティティを喪失していく第一歩と移ったからである。(と私は捉えている)
 これに対応して、経済産業省が仕掛け、企業再生支援機構の支援の下、自動車用金型の国内2位の富士テクニカ(静岡県清水町)と、同3位の宮津製作所(群馬県大泉町)が経営統合するというニュースが数日前に新聞紙上を賑わした。
 オギハラの件を含め、中国資本による日本企業の買収が急激に増加している。
 買収だけでなく、中国製品の日本への輸出も激増している。
 もちろん周知のとおり、中国経済は年率10%の高度成長を維持している。(統計の信憑性に対する疑念も多いが)
 中国から日本に来ている人の話を聞くと、いわゆる銭湯など、日本人が行ったらビックリするくらい広く、子どもたちが遊ぶ浅いプールなどの設備も整っており、しかもそういう施設が地方都市などでもあちこちにあるという。またカラオケ店なども多く、一番狭い部屋でも畳10枚以上のスペースであり、日本の、数人しか入れないような部屋もある省スペース型のカラオケ店など、広大な中国では作る必要がない、という。日本にあるもので中国にないものなど、もはやない、と誇らしげに語るのである。う~ん、悔しいけど、事実なのだろう。
 それくらい、近年の中国は経済が発展し、さらに伸びつつあるし、内需も大きくなってきているという好循環となっているようだ。もちろん不動産バブルなど、ずっと言われてきており、いつバブルの崩壊が起こるかわからないし、上述のとおり経済統計が必ずしも正確ではないので、数字の信憑性も確信できるわけではない。
 とは言え、中国製品の輸入が年々増えており、事実として日本の金型メーカー第一位の工場が買収され、IBMのパソコンは中国製品になってしまい、アフリカの携帯電話は中国の通信会社が設備を構築しサービスを提供している、中国からの観光客が激増している、等々の現実を目の前にしては、その巨大な経済がいよいよ立ち上がったと認めざるを得ない。
 しかも彼らは誇りを持って経済に取り組んでいる。
 私は思う。
 この先10年間で、日本経済は中国経済圏に飲み込まれているであろう、と。
 なんてことは、既に色々な人が本でも書いているし、色々な会社が中国に進出して生き残りをかけて取り組んでいるので、目新しいことではない。
 でも私自信はそういう実感がなかった。
 中国経済圏に日本経済が取り込まれる、または飲み込まれる、ってどういうことだろう?
 私が務めている会社が中国企業に変わる、ということである。
 あるいは、中国企業が私の務めている会社の仕事に成り代わって務め、私の務めている会社は存在意義をなくす(廃業、倒産する)、ということである。
 中国企業に代替できる仕事は、日本には会社として残らない、ということである。
 日本の会社がその役割を持たなくなると、その税金で成り立っている公務員の仕事も維持できなくなる、ということである。
 会社に資金を供給する銀行も存在意義を失う、ということである。
 ・・・そんなことを考えていくと、日本の強み(中国の人たちが叶わない強み)とは何なのか、何を持って我々日本人は国家を維持し、日本人としての誇り、独立自尊を維持していけるだろうか、と思わずにいられない。
 これは大変難しい問題だ。
 低コスト、ある程度の製品品質、という武器があればいくらでも日本の既存産業は駆逐できる。
 具体的には、汎用品の製造、農業産品、林業、加工食品、建設、流通、介護、などなど。
 対して、多少高コストであっても日本にしか作れないもの、日本にしか提供のできないサービス、日本にしか作りえないインフラなどにはどういうものがあるだろうか。
 FF0000“>医療、製薬、特殊な鋼板、酒、iPS細胞、関の刃物、観光、再利用やビルメンテナンス、精密部品、金型、エネルギー制御技術、エンターテインメント(芸能)、薄板鉄鋼、新幹線敷設と運行・制御などの一連のインフラ技術・・・。
 などなど、あるのだろうが、ちょっとうまく思いつかない。
 とにかく、こういうものをしっかり考え、対抗軸として育て、守っていかなくてはならない。
 一方で、中国語の勉強もしていかねばならない。
 中国のやる気のある人たちは、3ヶ月で日本語をマスターし、ビジネスで訪中する人や観光で訪れる人たちの対応をしているらしい。
 この気迫。実践力。
 負けてはおれない。
 また、中国の人々とビジネスコミュニケーションを進めて行くためには、かの国の思想・信条の本となる考え方も学んでおくことがベターだと思う。
 具体的には、それは儒教でも道教でもなく、法学であろうということである。
 もっと具体的には韓非子の学問(法家思想)であり、マキャベリ以上に冷徹なリアリズムなのだそうだ。
 厳しい世界になりそうだが、この国に住む者として、誇りを持って、これからまだまだ訪れる激動の変化に対応していかなければ、と思う。

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倶利伽羅不動寺の法話より

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 一昨日、倶利伽羅不動寺で聞いた住職らしき人の法話の紹介。
 「佛」という文字がある。
 通常、我々は「仏」という文字を書く。
 「にんべん」にカタカナの「ム」である。
 しかし元々は「にんべん」に「非ず」という文字であったらしい。
 ほとけとは、「人に非ず」ということらしい。
 でも、いわゆる一神教の神とは違う。
 神と違う最大の点は、人はほとけになれる、ということらしい。
 人は「神=創造主」にはなれないが、「ほとけ」にはなれる、という。
 しかし、人がなった「ほとけ」は人ではない、人ではない状態なので、「人に非ず」ということらしい。
 これ(「非」の部分)はまた、糸がごちゃごちゃ絡まった状態の中に、二本の縦の棒を差し込んで、整えた状態をも表すという。
 人はみな色々な悩み・苦しみにのたうちまわり、心も体もボロボロになる。
 ほとほと混乱した状態になって日々過ごし煩悶の中によるを迎える。
 そういった混乱した状態をうまく整えた人が「覚者=目覚めた人=ブッダ」であり、「ほとけ」となるのだそうだ。
 さらに、ブッダは、自分だけ目覚めるのではなく、他人をも目覚めさせた人のことを言うらしい。
 ジコチューではブッダにはならないのである。らしい。
 ご住職の話はまだまだ続く。
 六波羅蜜という言葉がある。
 平清盛をまつった寺は六波羅蜜寺である。
 これはもともと「6つの」「パーラミータ」という意味だそうだ。
 パーラミータの意味は失念したが、次の6つがそれに当る。
 ・布施
 ・戒律
 ・忍辱
 ・禅定
 ・精進
 ・知恵
 ということらしい。(順不同&間違いあるかも)
 これらに共通するのが、言葉だという。
 たとえば、布施と言った場合、我々は「お布施=お金」というふうに連想しがちだが、ご住職曰くは「なにもものや金だけが布施ではない。優しい心のこもった<言葉>も布施である」という。
 「戒律」は「言葉を慎む」
 「忍辱」は「言葉(の暴力)に耐える」
 など、いずれも言葉と関連したことだという。
 人間は言葉を持ち、言葉を使えるという点が、他の全ての動植物と異なる点であり、言葉をしっかり、大事に使っていかなければならない、ということをしきりに仰っていた。
 最後に、言葉で願いを考える、そして人生を変えていくことすらできるよ、というお話があった。
 有名な「心を変えると行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という一節である。
 「心を変える」の心とは、誓願を立てるということで、これも言葉を持ってする必要がある。
 すべて、言葉の力、というわけである。
(TRICKで野際陽子さん演じる書道家=山田里美の「文字のちからっっ!!」ではないが)
 偶然「8」のつく日に訪れて、いい話を承った。
 ラッキー、である。

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