社会学の泰斗 小室直樹氏逝く

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 ん~!!!!!
 残念だ!
 小室直樹氏が亡くなってしまった。
 惜しい。
 とても残念だ。
 77歳。
 大変な高齢だったのだなあと思う。
 日本の宝であった。
 これほどの学者は恐らく100年に一度出るか出ないか。
 たぶん100年ぐらいでは出ない。
 明治大正昭和平成を通じて、これほどの社会学者はこの人を於いて他にはいないと思う。
 「潜水艦」の中ではなく、ちゃんとした東大病院というところで亡くなったのがせめてもの救いか。
 色々手を尽くされた結果の死であろうと思う。
 (もしかすると石神井の「潜水艦」の中で亡くなった方が、在野のこの学者としては似つかわしかったのかも知れないが)
 この方の業績について語りたいことは山ほどあるが、今日はやめておく。
 稿をあらためて述べさせていただく。
 ともかく、日本の構造的な問題点をえぐりだし、白日の下に曝した功績は古今東西類を見ない。
 日本の問題点に常々警鐘を鳴らし続けてこられた。
 日本の構造的な問題点、の観点から警鐘を鳴らした人は、小室直樹氏と山本七平氏ぐらいではなかろうか。
 (ちょっと言い過ぎか)
 いずれにしろ、両者を失った我が国に、今後きちんと学問をして、それをベースにした根本的な部分から警鐘を鳴らせる人がいるのだろうか。
 それがなければ、我が国はまたぞろ第二次世界大戦と同じような愚を犯すであろう。
 それが日本の構造的な問題点なのだから。(ということを論理立てて説明される人だった)
 後進の方々、有名な方では橋爪大三郎氏や副島隆彦氏らに、是非警鐘を鳴らすお立場を取っていただきたいと思う。奇をてらうことにあまり時間を割いて欲しくない。
 また稿を改めて・・・と言いながら長くなった。
 とにかく惜しい方を亡くした。

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映画「告発」について

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 ゲイリー・オールドマンという俳優がいる。
 怪優と言ってもいいと思う。
 私にとっては、クリストファー・ウォーケンと並ぶ、外国人二大怪優の一人だ。
 この人の出演している映画はほとんど観たつもりでいた。
 が、観ていないものがあった。
 知人に勧められ「告発」というDVDを観た。
 かの有名な「アルカトラズ」という牢獄に関する映画である。
 「アルカトラズからの脱出」というのはちょっとかっこいい映画だったが、この「告発」は全然違う。
 そもそもアルカトラズには、軽犯罪で逮捕された人も含めて収監されていたようだ。
 主人公のケビン・ベーコン演ずる受刑者は、わずか5ドルの盗難罪でアルカトラズに収監されてしまった。
 その後、誰かの脱獄企図(脱獄は失敗)を手伝ったとして、3年間地下牢に閉じ込められ、真っ裸で日光も当らずまともな食糧も与えられず、時々殴る蹴るの暴行を加えられ、という獄中暴行死寸前の状態まで行って、3年後一般獄舎に移されたのもつかの間、ある囚人を食堂で殺害してしまったことから物語りは別の展開を始める。
 色々あって遂にアルカトラズは閉鎖されることになるのだが、そのきっかけになった<実話>であるというところが、この映画のインパクトを強めている点だ。
 2時間、目が釘付けになった。
 結局、ケビン・ベーコン演ずる受刑者は、無罪を勝ち取りながら、殺人を犯した事実は否めず、そのため再びアルカトラズに戻り、恐らくゲイリー・オールドマン演ずる刑務所の副所長に再びいびられ、今度は全く容赦なくいびられ、結局地下牢で死体となって発見されるに及ぶ。
 なんとも納得のいかない終わり方なのだが(そのシーンは出てこないが)、事実に基づいて作られた映画である以上、事実を歪曲してはいけないのであり、それは事実である以上、目をそむけられないことだ。
 カエサルが言っているらしい。
 「人間は自分の見たいと思う現実しか見ようとしない。」
 しかし見たいと思わない現実の方がいかに多いことか・・・。
 それを冷徹に見て、自分の目に焼きつけ、腹に落とし、咀嚼し、現実に立ち向かうというふうにしていかないと、本当の解決策は出てこないものだろうと思う。
 そんなことを考えさせられる映画だった。
 異常人格者を演じさせたらピカイチのゲイリー・オールドマン。
 ゲイリー・オールドマンの怪演を超える重厚な映画だった。

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09/23のツイートまとめ

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kazuto_nakajin

週の途中の休み。通信教育の早期取り掛かりや中国語の自学など、色々思っていたことがあったが、仕事が大量に溜まっているため、結局仕事の日となってしまった。仕事量が変わらず休日だけが多いのだからしょうがない。昼にラーメン食べに行けたことがせめてもの救い。
09-23 20:48

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中国経済圏に飲み込まれる日本の進む道は?

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 二十年ほど前に、故井上ひさし氏が「日本はこれからの国際社会に対応していくため、他の国々と同じように軍備を増強するのではなく、外国から頼りにされる日本にしかないものを持っていたらいいのではないか、たとえば超高度な医療技術のようなもので、外国の要人が日本に来なければその病気が治らない、となれば、誰も日本を軍事的に攻めようなどとは思わないはずであるから」という主旨の国防論を語っておられた。
 あれから二十年近く経つが、果たして日本は外国が攻めようという気持ちを萎えさせるようなものがるだろうか。(長谷川慶太郎氏によれば、アメリカの軍事衛星にも精密機器にもほとんど日本の精密部品が入っているので、アメリカは日本なしでは生きられないということではあるが)
 さて、中国経済の躍進が著しい。
 政治的にもますます発言力が増している。
 我が日本にも色々な影響が出てきている。
 半年ほど前に、金型メーカー第一位のオギハラという会社の工場の一つを中国の自動車メーカーBYD(かの世界的投資家ウォーレン・バフェット氏の会社が巨額の投資をしたことで一躍有名になった)が、買収するという驚愕のニュースが走った。
 日本の手わざ、ミクロン単位まで調整できる日本人技術者の持つ金型技術が中国資本によって買収されるということが、日本がそのアイデンティティを喪失していく第一歩と移ったからである。(と私は捉えている)
 これに対応して、経済産業省が仕掛け、企業再生支援機構の支援の下、自動車用金型の国内2位の富士テクニカ(静岡県清水町)と、同3位の宮津製作所(群馬県大泉町)が経営統合するというニュースが数日前に新聞紙上を賑わした。
 オギハラの件を含め、中国資本による日本企業の買収が急激に増加している。
 買収だけでなく、中国製品の日本への輸出も激増している。
 もちろん周知のとおり、中国経済は年率10%の高度成長を維持している。(統計の信憑性に対する疑念も多いが)
 中国から日本に来ている人の話を聞くと、いわゆる銭湯など、日本人が行ったらビックリするくらい広く、子どもたちが遊ぶ浅いプールなどの設備も整っており、しかもそういう施設が地方都市などでもあちこちにあるという。またカラオケ店なども多く、一番狭い部屋でも畳10枚以上のスペースであり、日本の、数人しか入れないような部屋もある省スペース型のカラオケ店など、広大な中国では作る必要がない、という。日本にあるもので中国にないものなど、もはやない、と誇らしげに語るのである。う~ん、悔しいけど、事実なのだろう。
 それくらい、近年の中国は経済が発展し、さらに伸びつつあるし、内需も大きくなってきているという好循環となっているようだ。もちろん不動産バブルなど、ずっと言われてきており、いつバブルの崩壊が起こるかわからないし、上述のとおり経済統計が必ずしも正確ではないので、数字の信憑性も確信できるわけではない。
 とは言え、中国製品の輸入が年々増えており、事実として日本の金型メーカー第一位の工場が買収され、IBMのパソコンは中国製品になってしまい、アフリカの携帯電話は中国の通信会社が設備を構築しサービスを提供している、中国からの観光客が激増している、等々の現実を目の前にしては、その巨大な経済がいよいよ立ち上がったと認めざるを得ない。
 しかも彼らは誇りを持って経済に取り組んでいる。
 私は思う。
 この先10年間で、日本経済は中国経済圏に飲み込まれているであろう、と。
 なんてことは、既に色々な人が本でも書いているし、色々な会社が中国に進出して生き残りをかけて取り組んでいるので、目新しいことではない。
 でも私自信はそういう実感がなかった。
 中国経済圏に日本経済が取り込まれる、または飲み込まれる、ってどういうことだろう?
 私が務めている会社が中国企業に変わる、ということである。
 あるいは、中国企業が私の務めている会社の仕事に成り代わって務め、私の務めている会社は存在意義をなくす(廃業、倒産する)、ということである。
 中国企業に代替できる仕事は、日本には会社として残らない、ということである。
 日本の会社がその役割を持たなくなると、その税金で成り立っている公務員の仕事も維持できなくなる、ということである。
 会社に資金を供給する銀行も存在意義を失う、ということである。
 ・・・そんなことを考えていくと、日本の強み(中国の人たちが叶わない強み)とは何なのか、何を持って我々日本人は国家を維持し、日本人としての誇り、独立自尊を維持していけるだろうか、と思わずにいられない。
 これは大変難しい問題だ。
 低コスト、ある程度の製品品質、という武器があればいくらでも日本の既存産業は駆逐できる。
 具体的には、汎用品の製造、農業産品、林業、加工食品、建設、流通、介護、などなど。
 対して、多少高コストであっても日本にしか作れないもの、日本にしか提供のできないサービス、日本にしか作りえないインフラなどにはどういうものがあるだろうか。
 FF0000“>医療、製薬、特殊な鋼板、酒、iPS細胞、関の刃物、観光、再利用やビルメンテナンス、精密部品、金型、エネルギー制御技術、エンターテインメント(芸能)、薄板鉄鋼、新幹線敷設と運行・制御などの一連のインフラ技術・・・。
 などなど、あるのだろうが、ちょっとうまく思いつかない。
 とにかく、こういうものをしっかり考え、対抗軸として育て、守っていかなくてはならない。
 一方で、中国語の勉強もしていかねばならない。
 中国のやる気のある人たちは、3ヶ月で日本語をマスターし、ビジネスで訪中する人や観光で訪れる人たちの対応をしているらしい。
 この気迫。実践力。
 負けてはおれない。
 また、中国の人々とビジネスコミュニケーションを進めて行くためには、かの国の思想・信条の本となる考え方も学んでおくことがベターだと思う。
 具体的には、それは儒教でも道教でもなく、法学であろうということである。
 もっと具体的には韓非子の学問(法家思想)であり、マキャベリ以上に冷徹なリアリズムなのだそうだ。
 厳しい世界になりそうだが、この国に住む者として、誇りを持って、これからまだまだ訪れる激動の変化に対応していかなければ、と思う。

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倶利伽羅不動寺の法話より

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 一昨日、倶利伽羅不動寺で聞いた住職らしき人の法話の紹介。
 「佛」という文字がある。
 通常、我々は「仏」という文字を書く。
 「にんべん」にカタカナの「ム」である。
 しかし元々は「にんべん」に「非ず」という文字であったらしい。
 ほとけとは、「人に非ず」ということらしい。
 でも、いわゆる一神教の神とは違う。
 神と違う最大の点は、人はほとけになれる、ということらしい。
 人は「神=創造主」にはなれないが、「ほとけ」にはなれる、という。
 しかし、人がなった「ほとけ」は人ではない、人ではない状態なので、「人に非ず」ということらしい。
 これ(「非」の部分)はまた、糸がごちゃごちゃ絡まった状態の中に、二本の縦の棒を差し込んで、整えた状態をも表すという。
 人はみな色々な悩み・苦しみにのたうちまわり、心も体もボロボロになる。
 ほとほと混乱した状態になって日々過ごし煩悶の中によるを迎える。
 そういった混乱した状態をうまく整えた人が「覚者=目覚めた人=ブッダ」であり、「ほとけ」となるのだそうだ。
 さらに、ブッダは、自分だけ目覚めるのではなく、他人をも目覚めさせた人のことを言うらしい。
 ジコチューではブッダにはならないのである。らしい。
 ご住職の話はまだまだ続く。
 六波羅蜜という言葉がある。
 平清盛をまつった寺は六波羅蜜寺である。
 これはもともと「6つの」「パーラミータ」という意味だそうだ。
 パーラミータの意味は失念したが、次の6つがそれに当る。
 ・布施
 ・戒律
 ・忍辱
 ・禅定
 ・精進
 ・知恵
 ということらしい。(順不同&間違いあるかも)
 これらに共通するのが、言葉だという。
 たとえば、布施と言った場合、我々は「お布施=お金」というふうに連想しがちだが、ご住職曰くは「なにもものや金だけが布施ではない。優しい心のこもった<言葉>も布施である」という。
 「戒律」は「言葉を慎む」
 「忍辱」は「言葉(の暴力)に耐える」
 など、いずれも言葉と関連したことだという。
 人間は言葉を持ち、言葉を使えるという点が、他の全ての動植物と異なる点であり、言葉をしっかり、大事に使っていかなければならない、ということをしきりに仰っていた。
 最後に、言葉で願いを考える、そして人生を変えていくことすらできるよ、というお話があった。
 有名な「心を変えると行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という一節である。
 「心を変える」の心とは、誓願を立てるということで、これも言葉を持ってする必要がある。
 すべて、言葉の力、というわけである。
(TRICKで野際陽子さん演じる書道家=山田里美の「文字のちからっっ!!」ではないが)
 偶然「8」のつく日に訪れて、いい話を承った。
 ラッキー、である。

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またまた一気読み『鴨川ホルモー』by万城目学

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 マンジョーメさんではなく、マキメ・マナブさんの『鴨川ホルモー』
 書かれたのは『鹿男あをによし』よりも前らしいが、私は「鹿男」の次に読んだ。
 今日、小矢部の、否、津幡町の倶利伽羅不動寺から帰って来てから、3連休であることの味わいを楽しもうと、娯楽小説を読むことにして、手に取った。
 既に3分の1程度は読んでいたのdが、休日であることの喜びを噛み締めるために、最後まで一気に読もうと心に決め、読み終えた。

 相変わらずマキメワールド全開である。
 奇想天外、奇妙奇天烈、抱腹絶倒、荒唐無稽。
 青春の悩みあり、恋あり、友情あり、鬼あり、寺あり、神社あり、京都あり、歴史あり、伝奇あり。
 しかも読者に後味の悪さを残さない爽快なストーリー展開。
 とにかく面白い。
 疲れた脳みそをリフレッシュするにはこれほど良いエンターテインメントはない。
 あまりに面白いので、はまりそうだが、仕事に差し支えるので、ちょっと次の一冊に手をだすのはしばらく時間を置こうと思うが、あまり長い間次作を求めないでいると、禁断症状が出そうなくらい面白い。
 この人の作品は、これらの他に『ホルモー六景』『プリンセストヨトミ』などがあるが、まだまだたっくさん面白い物語をつむぎだして欲しいものだ。
 現代ニッポン最高の癒し系ストーリーテラーであると思う。

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久しぶりの倶利伽羅不動寺

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 倶利伽羅峠。
 その昔、源平合戦で源義仲が火牛の計で平氏軍を打ち破った古戦場。
 さらにその昔、インドの善無畏という高僧が元正天皇の要請で日本にやってきて、この地で倶利伽羅不動明王を感得し、その姿のままに彫刻し、その後かの空海がこの地を訪れた際、倶利伽羅不動明王の有難さに同じ像を彫刻した・・・との言い伝えのあるところでもある。
 であるが、そもそも善無畏は真言八祖の5番目の人であり、インドから中国には行ったと思われるが、日本には来ていないのではないか。
 しかし日本の色々な寺に善無畏がどうしたこうしたという言い伝えがあるのはどういうことだろう?
 不思議な気がするが、偶然倶利伽羅不動寺だけのことではないと思う。
 日本の各地に善無畏が感得して彫刻したとか、善無畏が開山したとかいう言い伝えがある。
 ということで、今日は久しぶりに小矢部、否、石川県津幡町の倶利伽羅不動寺へ参詣に行ってきた。
 ここは母の生まれた地の近くであり、母の名前の由来の地でもある。
 15年ほど前、母が乳がんから回復し、そのお礼参りに行ってきたのが、母としては参詣のきっかけであるらしい。
 当初から父と一緒に毎年今頃の季節に参詣してきたもののようだが、今年は父が病床の人であるため、私が同行した。
 魚津から下道で1時間半。
 今日は偶然8のつく日ということもあって、住職の法話があった。
 「言葉」が大事だよという大変良い法話だった。
 高台からの見晴らしは、まるで鞍馬寺から比叡山を望むような感覚があった。
倶利伽羅不動寺

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09/12のツイートまとめ

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kazuto_nakajin

やっと仕事の準備が終わった。とは言っても午後の後半はマッサージ、父の見舞い、妻を仕事場まで迎えに、次男坊を駅へ迎えに、など色々していたので、実質4時間ぐらいか。ま、今日中に終えることができて良かった。さ、これから風呂だ。明日も頑張ろう。
09-12 23:16

通信教育第3回分、やっと終わった。午前中に完了して午後は明日の仕事の準備に入ろうと思っていたが、思いのほか時間がかかった。テキストの学習が全然だが、とにかく課題だけは期限までに出さないと。さ、この後は少しでも仕事の準備をしてゆとりある夜の時間を過ごせるようにしなきゃ。
09-12 14:03

「文化講演会」っていい響きですね。しかも「斜め上」というのも味わいがあります。すげえって感じ。もっと自分に磨きをかけなくてはと、励みになります。
09-12 09:07

夕べは酒をしこたま飲んで帰ってから次男坊のPCの初期化作業。フヘーッ。疲れた。それから風呂に入って二日酔いが残らないようにウコン粒を沢山飲んで眠ったのだが・・・。まだ少しだるい。でも通信教育、今日中に仕上げなくては。人前で「スコップ一杯、やるもやらぬも自分次第」と豪語したしなあ。
09-12 09:03

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09/11のツイートまとめ

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kazuto_nakajin

久しぶりに人前で喋らせていただいた。テーマは中国古典。とは言っても私は専門家ではないので、体系的でも理論的でもない。好きなことを喋ってしまったけど、折角参加された方々に何か一つでも心に残れば幸い。参加された皆様、ありがとうございました!
09-11 22:05

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久しぶりに人前で話をします

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 明日、いや今となっては今日だが、久しぶりに人前で話をする。
 私が話をさせていただく「場」は<とやまキトキトBIZねっと>という異業種交流&勉強会の場である。
 色んな人が集まってきて、しかも毎回メンバーが入れ替わり立ち替わりという感じで大変刺激的な会だ。
 いつも素人講師が自分の得意分野のテーマについて一時間程度の題材を提供し、それについてのディスカッションを参加者がする、これも一時間、という会である。
 今回は、私が題材提供者となる。
 決して「得意分野」であるわけではないが、自分の好きなことを話させていただこうと思っている。
(ああ、やっぱり自分勝手なB型だ!)
 話材は、中国古典を中心とした人間学みたいなことになろうか。
 とても硬いテーマなので、ほとんど人は集まらないであろうと思う。
 せいぜい10人か。
 ましてや中国文学の専門家でもないし、何かで有名な人物であるわけでもないので、そもそも人が集まるはずがない。
 とはいえ、好きこそものの上手なれ、とも言うので、自分としては人前で話をすることも含め、少しずつでも深めていきたいと思っている。
(聞かされる方はいい迷惑かも知れない、すみません!と先に謝っておこう、せめてネット上でも)

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