博多湾のバラバラ遺体事件の報に接して

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 子供の頃、自分たちの生活環境はどんどん良くなっていると感じていた。
 大学を卒業して就職し、この国はどんどん良い方向に向かって進んでいると思っていた。
 INSという技術がNTTによって推進されていた頃、我々の文明は進化していると思っていた。
 それがどうだ。
 殺人、暴力、詐欺、職場うつ、自殺・・・。
 それも巧妙なもの、残酷なもの、常軌を逸したもの。
 人の心を失ったとしか思えないような出来事が毎日のように報じられている。
 いや、昔からそういう行為はあったのだろうと思うが、それにしても多すぎる。
 というか、日常的になってしまっていることが恐ろしい。
 「一体どうしてこういう日本になってしまったのか」
 と鳩山総理大臣は就任演説で慨嘆された。
 総理と同じといったらおこがましいが、同じ気持ちだ。
 悔しくて悲しい。
 日本人の誇り、恥の感性、思いやりの心・・・。
 そういった我々の美徳は一体どこへいってしまったのか、と思う。
 悲憤慷慨してもしょうがないのかも知れない。
 でも腹が立ってしょうがない。
 悔しくてしょうがない。
 なんでそういうこと(バラバラにしてバラバラに捨てるようなこと)をしなくてはならないのか。
 人を一体なんだと思っているのか。
 お前に親はいないのか。
 愛する人はいないのか。
 人を愛したこと、大事に思ったこと、人から大事にされたことはないのか。
 あまりにも即物的すぎる。
 人を物としか扱っていない。
 日本人の魂を立て直さなくては。
 一人ひとりの自覚が大切だ。
 自分がなにものか、ということを私たちみんなが再認識しなくてはならない。
 そんなことを考えていてふと思い出したのが、村上龍氏の『五分後の世界』という小説である。
 確か5分間ずれた日本に迷い込んでしまう現代日本人の物語で、そこはまだ太平洋戦争が続いている世界だ。
 そこには戦前の良き日本人たち、他人を思いやり、礼節を大切にし、謙譲を旨とし、でしゃばらず、だけど一本筋が通っている尊敬すべき日本人たちが生活している。
 戦争という極限状況の中にあって、自分を見失わない冷静さ、武士道とでも言おうか・・・、そして女性は強くたくましくつつましやかであでやかだ。
 そういう日本がもしかしたら残っていたかも知れない。
 それは戦争の中にあってこそ、生き残っていたかも知れない仮定の世界なのか。
 しかしだからと言って、平気で人殺しが行われる戦争状態を肯定すべきではない。
 人の命、万物の命を畏敬する念。
 これは平時であっても一向変わらないものであるはずだ。
 私たちはなんとかしてその心をこの日本に、日本人たちに取り戻さなくてはならないと思う。
 そのために私に何ができるか。
 答はすぐには見つからないが、そういうことを意識して生活することで、この国の崩壊を少しでも遅らせることができるのではないだろうか。(大袈裟だろうか・・・)

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