アメリカって国はすごいぜ、って思う。
さっきNHKのテレビで平均年齢80歳のコーラスグループの合唱の模様をやっていた。
グループの名前を「Young at Heart」という。
うちの父など76歳でダウンである。
このアメリカの人々はそれよりもずっと年上なのに、みんなで歌を歌い、しかも外国遠征までやってコンサートをしている。
日本人ではなかなかこうはいかない。
彼らの歌の様子は、みんなで同じ赤色の割烹着のような衣装を着て、体全体でリズムをとり軽くスゥイングしながら歌っているので、協会でゴスペルを歌っているような、そんな感じである。
スゥイングできるのが日本人とアメリカ人の違いではなかろうか。
白人・黒人仲良く歌っている。
しかも心底楽しそうに、である。
こういう動きが日本でも見られたらいいなと思う。
日別アーカイブ: 2010年3月19日
父の引越し
父が倒れてから明日でちょうど3ヶ月。
最初に救急車で担ぎこまれた病院は魚津にある総合病院だ。
昔と違って、総合病院の役割が救急指定となってしまっているため、ずっとそこにいるわけにはいかない。
おおむね3ヶ月だという。
酷な話だと思う。
医師の治療・監督が継続的に必要だと思うが、これ以上治療することはない、と言われればしょうがない。
介護度の認定すら降りていないのに・・・。
市役所の介護認定の手続きと平行して転居先候補の病院を当たった。
昨日、介護度の認定連絡が来た。
介護度5だった。一番重いものである。
介護サービスを受けた場合、月35万円まで補助があるという。
しかし、今の父の状態で家の中で面倒を見るのはとても危険だというのが我々家族の結論だ。
さあ今週中に病院を出ろと言われ、転居先が決まっていなかったら、当分父につきっきりで家で面倒を見るしかない。
そんな不安を持ちながらここ数週間過ごしてきた。
運よく、相談に行った病院に空きができた。
今週火曜日にその病院から連絡があり、今日、転居した。
あっという間だった。
総合病院では看護師さんたちが病室を出る父に向かって「おめでとう」と言ってくれた。
退院、という言葉からは「おめでとう」と言われても不自然ではないが、病気が治ったわけではなく、下げ止まりしたために救急病院にいられず、やむなく出るだけのことである。決して目出度いわけではない。
胃瘻をつけて2週間。
いつまた血管が詰まるかわからないが、とにかく下げ止まった。
行く先が決まらないままに今の病院を出なければならないかも・・・という不安定な状態から解放されたことだけでもだいぶん心の落ち着きが違う。
母も重い荷物を下ろしたような感じだと言っていた。
これからまだまだ父の闘病生活、我々の間接的な介護生活は続く。
しかし、ともかく、落ち着きどころが決まり、移動したことで一つのヤマは越えたと思う。
これからまだ長い道のりはあるものの、ひとくぎりがついた。
長い3ヶ月だった。