演技が上手じゃないSMAP(といううわさ)

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 高校1年生の次男坊が部活動で芝居をやっている。
 演劇部である。
 いつからそういうものに興味を持ったのか、は別として、彼が言うには、SMAPのメンバーは芝居が上手ではないという。
 たとえばキムタクという人。
 どんなドラマでも同じようなキャラクターしか演じていないという。
 ああ、そう言われてみればそうかな、と思うフシもある。
 対するに大杉漣。
 色んな役柄がこなせる、と玄人みたいなことをのたまう。
 まあ、どうせ誰かに吹き込まれたんだろうが、ワンパターンの役柄しか演じられない人と色んな役柄を演じることができる人(演技の幅が広い)、ということが役者としての良し悪しに関わるということがわかっただけでも大きな成長だと思う。
 そしてまた、そういう幅の広さが大事だということを知ることで、単に見映えの良さとか、目立つだけとかいうことではなく、人としての色んな経験が深みになって行く、ということがわかってきたことが今後彼がどういう道に進もうとも、間違いなくプラスになると思う。
 そういう意味では、SMAPを引き合いに出して悪いけれど、高校に入って自分のやりたいことを見つけられたことはとても良かったのではなかろうか、と思う。
 私との会話のジャンルと機会も増えたことだし・・・。

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一年ぶりにビーチバレーボール大会出場

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 昨年の11月に続き、今年も地区のビーチボールバレー大会に参加。
 地区の住民運動会、ビーチボールバレー大会と、町内の行事に2年連続、ちゃんと参加できた。
 以前なら土日も仕事、イベント、もしくはバタンキュー状態で、町内の人の顔すらわからなかったが、2年連続で参加していることで、主な方々の顔と名前が少しずつわかってきた。
 これはいいことだ。
 ビーチボールバレー大会は、健康増進という意味もあるが、同じ校下の住人たちとの親睦を図るためのものなので、本来あまりにも熱くなる必要はないのだが、それでもラリーが続いたり、スパイクめいたものが決まったり決められたりすると、とても熱くなる。
 去年と比べて、私自身は少しプレイに落ち着きが出てきて、冷静に玉を追いかけることができるようになったと思う。
 もちろん、熱くなるとてんで話しにならず、ミスの連続で、結局自分のチョンボで負けてしまったのだが・・・。
 自分の人生において、体育関係でほめられたことはなく、むしろいやみや注意や叱責や怒声や、といった辛い思い出ばかりである。
 そのため、いいプレイもあったにも関わらず、体育行事では、今日ですら、失敗したプレイばかりが自分の心を占領していて、「やっぱだめだなあ」という気持ちが残ってしまう。
 とぼとぼと体育館を後にしようとしたそのとき、自分を責めている自分に気がつき、それが子どもの頃からの体験に基づいたものだということに気がつき、気持ちを切り替えることができた。
 もっと自分をほめてやろう。
 今日は誰も私を責めなかった。
 あんたのせいで負けたじゃないか、とか、あんたのあのプレイはだめだよ、とか、誰も言わない。
 にも関わらず、自分で自分を責めることはない。
 こと仕事に関しては、失敗しても(自分の中では)開き直ることができるようになったのに、体育に関してだけ開き直れないというのはおかしい。
 一生懸命にやって、しかも楽しかったのだから、それは大変いいことだ。
 来年に向けて、さらに落ち着いて楽しめるように、運動能力の向上に向けて頑張って行こう。
 と思った今日だった。

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氷見で一泊(元上司への感謝)

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 大口法人への営業をやっていた時の上司から声をかけてもらって、氷見に行ってきた。
 仕事はギリギリまで目一杯やって、午後6時半に「すんません、ちょっと今日用事があるので」と断り、それでも「この資料のメンテやってくれ、持って帰って見てきたいから」と言われて、10分で修正して提出し、ほうほうの体で会社を出た。
 氷見の宿は「磯波風(いそっぷ)」という。
 私が着いたのは午後8時半。
 既に宴たけなわ。
 私を含めて総勢12人の宴会だ。
 メンバーは、某大企業の執行役員やら元支店長やら元部長やら大先輩やら・・・。
 本来ならばとてもそんな席に同席できる立場でも身分でもないのだが、元上司の特別の計らいで、声をかけていただいた。
 自分はとてつもなく幸せ者だと思う。
 ある人が言う。「この会に呼ばれるというのは、お前、その若さで、特別だぞ」
 であるから、何が何でも駆けつけねばならない。
 元気な姿をお見せし、先輩方のお話に耳を傾ける。
 それが感謝の印・・・になるかどうかわからないが、私にできることはそれぐらいだ。
 一夜明けて、元上司と何人かの仲間の方々は、糸魚川から扇沢へ行き、後立山から雪の室道へと向かわれた。
 既に50代後半だし、中には60歳を超えた人もいる。
 すごいパワーだ。
 写真もやる。
 酒もやる。
 そして山登り。
 見習わなくてはならないと思う。
 そして、感謝。
 今年も声をかけていただいて、大変ありがとうございました。

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私のビョーキ(本屋ブラブラ)

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 予定よりも1時間ほど早く用事が終わった。
 文房具を買おうとショッピングセンターに行った。
 来年の手帳が沢山置いてある。
 ついフラフラと見て回る。(・・・買う気もないのに。気になるのだ)
 ついでに本を見て回る。
 ある本を探しているのだが、先週もなかったので、多分今日もない。
 とは想定がついているのだが、それでも見て回る。
 100円ノートの手帳術、といったような類の本が最近よく出ている。
 A6というから、A4の4分の1のサイズの小さな、文庫本程度のノートである。
 これで色々な記録や発想メモやらをしていくという手法だ。
 既に『ノートは一冊にまとめなさい』とか『シンプルマッピング最強ノート術』など、A6ノート活用法の本は何種類も出ている。
 今日も何か気づきがあるかも、と目新しい本が2冊ぐらいあったので、パラパラとめくってみた。
 などなど、立ち読みすること、やがて一時間。
 家に帰れば積読状態の本が待っているのに、書店に行くといつもこれだ。
 続けて同じ建物の中の奥にある文房具店へ。
 そこでも手帳やらなんやらを見て回る。
 A6ノート専用のブックカバー(手帳カバー?)が幾種類か販売されていた。
 左右に計2冊入るものなどもある。
 ついでにA5版が入るカバーなども一緒に置いてある。
 やはり「A6」というのが今の旬なのかも知れない。
 私は愚直にA5で行く。
 などと考えたりなんだりしながら結局1時間半も本屋と文房具屋で費やしてしまった。
 これ、ビョーキなんだろな。

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亀井大臣の中小企業等金融円滑化法案

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 亀井静香金融・郵政担当大臣の一の矢「中小企業等金融円滑化法案」がいよいよ現実のものとなる。
 金融業界、ことに銀行業界では、あまり歓迎されてはいない。
 しかし、姿勢としては良いという意見もある。
 これを機に、中小企業の見方です、と大アピールする銀行も出てこよう。
 さて私の比較的身近なところでは、ある窓口に経営相談専門のコーナーを設けようかという動きがある。
 これからまだまだ色々な変化がありそうだ。

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『100年予測』byジョージ・フリードマン

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 フォト・リーディングでジョージ・フリードマンの『100年予測』を読んだ。
 ここ2~3週間ほど、ベストセラーが続いている本だ。
 欧米では今年の早い時期に既に大ヒットしていたようだ。
 未来予測ものであろう、と勝手に解釈して買い、表紙を見るとそうではないことがわかるにも関わらず、相変わらず読む直前まで、未来予測ものだと思い込んでいた。
 もちろん未来予測ものではあるのだが、科学技術で暮らしぶりはこう変わる、といったようなSF的なものではなく、どことどこが戦争して、どこが衰退して、といったような極めてポリティカルな内容だった。
 しかも楽観的なことは全然書いてない。
 地政学と「歴史は繰り返す」という格言に基づいて、冷厳に今後の世界のパワーバランスを述べたものだ。
 結論を書こう。
 21世紀は引き続きアメリカが覇権を唱え続ける時代だ、と言う。
 そしてこの本は、あくまでアメリカを中心に書かれた政治・軍事の本だ。
 続けて言う。
 アメリカに挑戦する勢力は色々出てくる。
 今後中国とロシアが強大になるが、中国は豊かになればなるほど分裂の方向に向かい、ロシアは資源大国となり再び冷戦を招くが、かつてのソ連のような力はなく、やがて瓦解する。2020年にはこれらの国は力を弱めてしまう。
 その後弱った中国とロシアの空洞を埋めるため、東からは日本が、西からはポーランドとイスラムの盟主となる、かつてのオスマン帝国トルコが勢力を拡大する。
 アメリカはそれをある程度は応援するが、増長しすぎた日本とトルコを押さえにかかる。
 日本とトルコは同盟を結び、アメリカの軍事力を叩こうと奇襲攻撃をかける。
 2050年に戦争が勃発する、とフリードマンはシナリオを描く。
 が、最終的にはアメリカが勝つ。
 その時代の軍事力は、宇宙で発電してマイクロウェーブで電力を送り、通信ネットワークで結ばれたロボット(もしくはロボットスーツを身につけた超ハイテクな兵士)たちが主力であるという。
 さらにその後は現在GDPでは十数位にある、メキシコなどが台頭し、やがてアメリカすら脅かす存在になる。
 なぜ日本とトルコが同盟を結んでアメリカの覇権に対抗しようとするのか。
 その理由は多分に地政学的な分析によるものらしいが、力が弱まったエアポケットに、吸い込まれるようにして近隣の諸国がそこに入っていくのは、自然なことだろうとは思う。
 とにかく、近未来ものとしては十分刺激的な本だし、SF戦記小説としても面白かった。
 個人的な希望としては、アフリカ諸国や東南アジアやインドなどがもっと出張ってきてもおかしくないのではないかと思うのだが、ポリティカル予測の世界では、これらの国々は、あまり力が強くならないだろうとの予測なのか、それとも著者がそれらの国々のことをあまり知らないのか。それはわからない。

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今日の気づき(真国寺訪問にて)

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 久しぶりに、御廟真国寺を訪れた。
 ご住職から、今日も沢山の智恵と気づきをいただいた。
 以下、書く。
 ほどく。
 しがみつかないこと。
 ときはなつこと。が大事。
 来来亭というラーメン店をフランチャイズ展開している経営者の話。
 彼はまだ30代の若さだが、2億円以上の豪邸に住み、6200万円のポルシェに乗っているという。
 フランチャイズの店長は、もちろん店の味をきちんと再現できるかとかいった技術的な完成度は必要であるが、それに加えて人柄も大変重視するそうだ。
 成功の秘訣を聞かれ、「鶏がら、豚がら、人がら」と答えているらしい。
 そして、店長たちは、何年かして自分で経営できそうだと認知されたら、独立し、オーナーの配下から完全に離れるのだそうだ。
 通常、のれん代みたいなものをいつまでも払わなければならないのがこういう仕組みにつきものだが、このオーナーは拘泥しない。
 まさに「ほどく」なのだそうだ。
 そしてまた、だからこそ、また人が集まるし、独立した人たちもいつまでも慕ってくるという。
 日本にはエリートが必要。
 エリートとは、一つのことに徹底してこだわり、それをずっとやり続けている人のことである。
(『国家の品格』藤原正彦氏)
 灘高校の橋本武先生(80歳を超えてなお現役の国語教師)という方。
 中勘助の『銀の匙』という小説(文庫本で200ページほど)を高校三年間かけて始終脱線しまくりで教える。
 その授業が始まってから6年後、普通の高校だった灘高校から東大に100人以上進学させる超優秀高校に変わったという。
 原因は、小説の中の一つひとつの物事の意味や背景を、徹底して深堀する授業のおかげで、生徒たちの学習姿勢にも、深堀することが身についたおかげだ、というようなことらしい。
 私の高校の時の現代国語の指導者も、よく脱線し、またテキストの中の、作家が真に言いたいことは何か、深く考えるような進め方をして下さった。おかげで「読む」ということについて、深く考えおもんぱかることが身についたような気がする。
 A祖父先生、ありがとうございました。
 薪ストーブの話題に2時間ついてこれるか。
 ある会社の営業担当者がご住職の元を訪れた。
 就職する前から知っていたという強みがあったようだ。
 しかし用件は今の会社の商品の売り込み。
 ノルマもある。
 ご住職から聞かされた話は、営業担当者の用件に関することではなく、薪ストーブの話だった。
 どれだけついてこれるかな、というのがご住職の謎かけだった。
 20分後、営業担当者は「次のアポがありますので」と言って退出してしまった。
 人格的にも学力的にもいい青年らしいのだが、やはり会社に属し、その会社の尻叩きの中で日々過ごしていると、お客様の関心事よりも自分のノルマのことにしか意識がなく、結果、ビジネスが前に進まない。
 ポルシェの営業研修は、俳句から始まるらしい。
 お客様はポルシェに夢を持っている。
 だから営業担当者は、お客様の人生や夢やサクセスストーリーといったものに焦点を合わせ、それを分かち合えるような素養を持っていなければならない。
 だから、マーケティング技術ではなく、人格、教養を磨くのである。
 元上司の本の整理の話。
 まだ具体化しているわけではないが、もしもご家族のご意向として、私に処理を委ねられるということになった場合、私物化はしない方がいいよ、と助言して下さった。
 自分でもそう思う。
 5000冊の本を、読みこなせるわけでもないし、置く場所もない。だからと言って簡単に売却すべきではないし、さあ、どこか公のしっかり管理してくれそうなところへ寄贈なりするか。
 私のできることは、せいぜい、分類ぐらいのものではなかろうか・・・。
 前田家のこと。
 前田家12代のお墓の案内図が境内にある。
 見ていてびっくりした。
 「菅原朝臣利次」などと、どのお殿様の名前にも「菅原朝臣」と書いてある。
 あれ?前田の殿様の墓はどれだ?と思って見ても、「菅原」以外はない。
 しかも名前は「利次」やら「正甫」やら、聞いたことのある「前田家」の名前ばかりだ。
 戦国の武将によくある「源朝臣・・・」というようなものと同じで、「前田」という苗字ではあるのだが、朝廷に仕える立場ということで、源平藤橘めいた苗字を頭につけるならわしなのだろう。
 しかしどうして「源」でもなく「平」でもなく「藤原」でもない「菅原」なんだろうか。
 答えは、意外とあっさり出てくるのだろうけど、初めて知る事実に、脳が最高にエキサイトしている。
 つらつら書いたが、久しぶりに真国寺を訪れて、良い時間を過ごすことができ幸せだ。

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亡き上司の本の整理

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 亡き上司の蔵書の整理をしなくてはならないかも知れない。
 私が入社した時点で、既にハードカバー3000冊を蔵しておられると聞いていた。
 月に10冊ずつ買っておられた。
 一年で約120冊。
 当時就職してから25年ほど経過しておられたので、ざっくり3000冊になる計算だ。
 ちなみに文庫本は本ではないと言っておられたので、全てハードカバーである。
(文庫本は本ではないという見解には色々異論もあろうけれど)
 そして、買った本は全て読了しておられたようだ。
 凄い読書量である。
 それ以後もたぶん同じペースで本を買い続けておられたようだ。
 私が入社してから約20年を経て、上司は鬼籍に入られた。
 本の数は恐らく単純計算で5000冊にもなっていよう。。
 上司が所蔵している本を私に委ねたいというようなことを、確かお元気な頃に何度か仰っていた。
 しかしあくまで酒の席の話であり、半分期待はしていたが半分以上冗談だと思っていた。
 本当に本気なら、お元気なうちに蔵書の場所を案内するとか、具体的な「引継」の段取りの話などになるはずだ。
 だがそういう話には遂にならずに逝ってしまわれた。
 具体的な話ができなかった、としたら、その理由は、一つには私がずっと大阪にいたために話す間がなかったということがあるかも知れない。また、上司がまさか死ぬとはご本人も想像だにしていなかったことなのかも知れない。
 にもかかわらず「遺言だ」とある大先輩が言う。
 私は遺言としては聞いていないし、蔵書の場所すら見たことがない。
 困った。
 と思っているが、なんとかしなければならない。
 もちろん、奥様はじめご遺族がいらっしゃるので、その方々のご意思を確認するのが先決である。
 しかし、もしも本当に私が処置しなければならないとなったら、それはそれで気合を入れて、故人のご遺志にそむかないように対応しなければならない。
 蔵書の整理は大変なことだ。
 単純に古書店に引き渡すなどもってのほか。
 かと言って5000冊の本を引き取るスペースがあるわけでもない。(つい先週ようやく段ボール45箱分の本等を整理し終えたばっかりだ)
 はてさて。
 故人のご遺志は奈辺にあろうか。

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コミュニケーションのプロの話

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 あるアナウンサーの方とお話をした。
 こちらからのお願いがあってお目にかかった。
 色々話をしている中で、こういうことを言われた。
 「仕事でどこかの会社の社長とお話をするときに、その会社のことを事前に勉強し、その会社のことを話題にします。仕事の中身とは関係なく、たとえば放送(又はアナウンスの中)では一言も触れることがなくても、社長とのコミュニケーションを円滑にするとか、お互い親近感を持つとか、そういう効果があるので」というようなことをさらっとおっしゃった。
 よく趣味の話や雑談だけやって、商談に入る営業マンがいる。
 このお客さんとは話が合うんだ、と言っているが、さにあらず。
 その会社のことをどこまで勉強し、どこまでその会社の役に立つ提案か、ということがないと、単なる御用聞き営業になってしまう。
 消耗品の注文を取りに行くだけなら、雑談でいい。
 だけど、そこの担当者や経営陣と深い信頼関係を構築しようとするならば、そして信頼関係に立脚した営業をしようとするならば、その会社のことを真剣に考え、真剣に語らなければならない。
 そういうことを理解し実践している営業担当者って、一体どのくらいいるのだろうか。
 営業の基本だが、案外できていない。
 接客、人を喜ばせる、円滑なコミュニケーション。
 鳩山総理が新しい駐日大使が着任したときに、その母校のアメフトか何かのヘルメットを見せていきなりなごませたということがあった。
 機先を制するという意味もあろうし、いきなり打ち解けるという効果を狙ったということもあろう。
 とにかく、人間関係を円滑にして、という入り方は、やはりコミュニケーションの基本だと思う。
 そういうことを学ばせていただいた。
 ありがとうございます。

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親戚の葬儀にて

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 妻の伯父が亡くなった。
 男手が足りないのでということで納棺のお手伝いに行った。
 まだ映画「おくりびと」を観ていないが、映画のシーンもこうなのだろうなあと思わせるような、丁寧で手際の良いプロの仕事で、オークスの係の方が故人の体を拭き、白装束を着せておられた。それらの仕事を全て布団をかぶせたままでなさっていたのが驚きだった。
 「納棺の儀」というものを初めて目の当たりにしたのだが、てっきり丸裸の状態にして、せっせと体をふきまくるのかと思っていたがさにあらず、であった。
 布団からお棺への移動。
 一番重い頭の部分を持った。
 すぐには持ち上がらない。
 とてもとても重い。
 首の奥まで手を差し込んで持ち上げた。
 冷たい。
 ドライアイスがあるからか、と思ったが、そんなものは首の周りには置いてない。
 あ、そっか、死んだ人は冷たいんだ、と気がついた。
 お通夜。
 意外な人がやってきた。
 プロ野球セ・リーグの元審判部長のT澤氏だ。
 お通夜が終わり、親族控え室に遺体が運ばれ、皆で食事を取った時に同席された。
 故人の話を色々なさった。
 40年以上の付き合いだという。
 信念を持ち、哲学を持っていた人だ、と話しておられた。
 野球のレベルが向上するためには審判の技術の向上が不可欠だ、と言ってアマチュア審判であるにも関わらず、プロと一緒にレベルアップの研修などを受けていたということだ。プロとアマの「ベルリンの壁」よりも高い壁をぶち壊した人だ、富山の野球界に大変素晴らしいものを残した人だ、とほめ称えておられた。
 T澤さんと言えば、超有名人の審判部長だ。
 そういう人からこれだけのことを言われる義伯父。
 私は直接お話したこともないが、すごい人が身近にいたんだなあと亡くなってから感心した次第。
(T澤さんは、翌日の本葬にも参列して下さった。78歳というご高齢にも関わらず、わざわざ東京から飛行機に乗って富山くんだりまでやってこられ、2日間びっしり故人の冥福を祈る儀式に付き合って下さった。なかなかできることではない。感謝)

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