フォト・リーディングの萩原京二講師が「感銘を受けた」と紹介しておられた、横内祐一郎氏の『運を掴む』(学研)という本をフォト・リーディングを使って読んだ。
戦時中、教師をやっていて20歳で親の農家を継ぎ、大成功している最中に、農業自由化の動きを聞いて農家から楽器製造業へ転進。
昭和35年に32歳で富士弦楽器という会社を当初3人でスタートさせ、遂には世界一のギターメーカーに仕立て上げた人物の自叙伝である。
元々自分自身で色々工夫したり努力したり、という人であったことが農業を営み始めた時の話でわかる。
しかしこの人の成功には、その時そのときの、偶然の人との出会いを最大限生かしていることが大きく影響している。
私の印象に最も強く残ったのは、ギターを直接外国と貿易するために単身アメリカに渡り、電話でアポを取ろうと必死になるも全然取れず、飛び込み営業するとアポなしはダメと断られ、遂に3ヶ月全く営業の成果が上がらず、街角で泣き崩れていた時に、たまたま通りかかったハリーという名の海軍のお医者さんから「どうして泣いているのか」と尋ねられ、わけを話したところ、親切にも家へ招かれ、英語がうまく話せないことがアメリカでのコミュニケーションがうまく行っていないことの原因だとわかり、それから毎日医師とその奥さんから英語のレッスンを受け、米国人の言葉がわかり相槌の打ち方などもわかった10日後、その家を辞し、次の日にアポイントの電話を入れたところ、即OKとなり、それからというものニューヨーク、ワシントン、シカゴなど、アメリカ各地で注文が取れまくり、遂に世界へと進出するきっかけになった、という下りである。
3ヶ月の間、日本にいる三村社長からは「何を遊んでいるのか」という主旨のことを言われ、辞表すら送っていたという状態だったのが、偶然の出会い、それも相手から声をかけてもらい、それに素直に応じて必死に学んだ、といういきさつ・・・。
キーワードは、「八方手を尽くした後」、「偶然の出会い」「先方から声」「素直に応じた」「必死で学んだ」といったあたりだろうか。
その後も、昭和40年代のギターブームとその後の過剰在庫による経営危機、倒産寸前の状態から銀行による支援の手、火事での経営危機、など、幾多の危機が降りかかってくるのだが、その都度、誰かが支援の手を差し伸べてくれたり、社員が団結して危機を乗り越えてくれたりと、この人の日頃の「人を大切にする経営」と「他によって生かされる」ことによって、ダウンとアップを繰り返しながら成長しているのである。
グレコ、と言えば、私のような者まで知っているギター業界の高級品である。
それが、この富士弦楽器(現社名はフジゲンというらしい)という、社名を知らない会社の品物であり、マーチン、ギブソン、フェンダーなどという名だたる世界的なギター・メーカーから工場見学に来るなど、世界的なメーカーに創業からわずか20年ほどでなった長野の会社だった(私が中学生の時点で)などとはついぞ知らなかった。
横内氏の著書から学ぶことは大変多かったが、いくつか列挙する。
・目標を極力具体的に設定し、それに向けて行動していくこと
・一人でも部下を持ったら自分はリーダーであり、その人の良い点を100見つけ、それを相手にも周囲にも認めさせるよう語ること
・そしてその人の能力よりも一段階高い仕事をさせること(自らにも一段階高いハードルを設けること)
・他人のためになることを念頭に置いて何事にも取り組むこと
・非凡な考え方をし、非凡な行動をすることが周りから感謝され成功する秘訣であること
残念ながら現在は廃刊のため、古書で手に入れるしかないようである。(by アマゾン)
横内祐一郎氏の『運を掴む』
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