横内祐一郎氏の『運を掴む』

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 フォト・リーディングの萩原京二講師が「感銘を受けた」と紹介しておられた、横内祐一郎氏の『運を掴む』(学研)という本をフォト・リーディングを使って読んだ。
 戦時中、教師をやっていて20歳で親の農家を継ぎ、大成功している最中に、農業自由化の動きを聞いて農家から楽器製造業へ転進。
 昭和35年に32歳で富士弦楽器という会社を当初3人でスタートさせ、遂には世界一のギターメーカーに仕立て上げた人物の自叙伝である。
 元々自分自身で色々工夫したり努力したり、という人であったことが農業を営み始めた時の話でわかる。
 しかしこの人の成功には、その時そのときの、偶然の人との出会いを最大限生かしていることが大きく影響している。
 私の印象に最も強く残ったのは、ギターを直接外国と貿易するために単身アメリカに渡り、電話でアポを取ろうと必死になるも全然取れず、飛び込み営業するとアポなしはダメと断られ、遂に3ヶ月全く営業の成果が上がらず、街角で泣き崩れていた時に、たまたま通りかかったハリーという名の海軍のお医者さんから「どうして泣いているのか」と尋ねられ、わけを話したところ、親切にも家へ招かれ、英語がうまく話せないことがアメリカでのコミュニケーションがうまく行っていないことの原因だとわかり、それから毎日医師とその奥さんから英語のレッスンを受け、米国人の言葉がわかり相槌の打ち方などもわかった10日後、その家を辞し、次の日にアポイントの電話を入れたところ、即OKとなり、それからというものニューヨーク、ワシントン、シカゴなど、アメリカ各地で注文が取れまくり、遂に世界へと進出するきっかけになった、という下りである。
 3ヶ月の間、日本にいる三村社長からは「何を遊んでいるのか」という主旨のことを言われ、辞表すら送っていたという状態だったのが、偶然の出会い、それも相手から声をかけてもらい、それに素直に応じて必死に学んだ、といういきさつ・・・。
 キーワードは、「八方手を尽くした後」、「偶然の出会い」「先方から声」「素直に応じた」「必死で学んだ」といったあたりだろうか。
 その後も、昭和40年代のギターブームとその後の過剰在庫による経営危機、倒産寸前の状態から銀行による支援の手、火事での経営危機、など、幾多の危機が降りかかってくるのだが、その都度、誰かが支援の手を差し伸べてくれたり、社員が団結して危機を乗り越えてくれたりと、この人の日頃の「人を大切にする経営」と「他によって生かされる」ことによって、ダウンとアップを繰り返しながら成長しているのである。
 グレコ、と言えば、私のような者まで知っているギター業界の高級品である。
 それが、この富士弦楽器(現社名はフジゲンというらしい)という、社名を知らない会社の品物であり、マーチン、ギブソン、フェンダーなどという名だたる世界的なギター・メーカーから工場見学に来るなど、世界的なメーカーに創業からわずか20年ほどでなった長野の会社だった(私が中学生の時点で)などとはついぞ知らなかった。
 横内氏の著書から学ぶことは大変多かったが、いくつか列挙する。
 ・目標を極力具体的に設定し、それに向けて行動していくこと
 ・一人でも部下を持ったら自分はリーダーであり、その人の良い点を100見つけ、それを相手にも周囲にも認めさせるよう語ること
 ・そしてその人の能力よりも一段階高い仕事をさせること(自らにも一段階高いハードルを設けること)
 ・他人のためになることを念頭に置いて何事にも取り組むこと
 ・非凡な考え方をし、非凡な行動をすることが周りから感謝され成功する秘訣であること
 残念ながら現在は廃刊のため、古書で手に入れるしかないようである。(by アマゾン)

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25年ぶりの本の整理

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 8月末にフォトリーディングの講習を受け、さあ、読むぞ!という気合が整った。
 新しい仕事についても、週末は安定して一定時間の確保ができるようリズムがつかめてきた。
 納屋の改修をした。
 そんな、色んな条件が整ったことで、長年積み重なってきた本の入った山ほどのダンボール箱を、ようやく整理できる機運となった。
 納屋の2階には既に本棚を4脚半組み立て済である。
 そこへ、ある程度の収納ルールを決め、どんどん放り込んでいけば良い状態にはなっている。
 先日の5連休で、まずは、とりあえず放り込んでおいたもう一つの納屋から、新たに改修した納屋へ本の入ったダンボールを全部一気に移した。
 ダンボールの数44箱。
 しかし溜まりに溜まったものだと思う。
 読んでもいないのに・・・といつも妻から言われる。
 大学を卒業した時に持ち帰ってきたダンボール、金沢勤務から一旦富山に戻った時に家に入りきらずに梱包を解かなかったダンボール、大阪勤務時代に家族でいたときから単身になった際に大方の荷物を送り返した時のダンボール、ここ1,2年、買い増しした本に押されて家から追い出された本の入ったダンボール・・・。
 最古のダンボールはもう25年も経過していることになる。
 ということで、今日からはそれらのダンボールの開梱を開始した。
 毎週5箱ぐらいずつ、こまめに、やっていっても9週間あれば一応全部終わる計算になる。
 長年せまっ苦しい箱の中にじっとしていた本たちを、外の空気を吸わせてやれて、こちらまで新鮮な気持ちになる。
 そんな状態でえいやっえいやっとやているうちにあっと言う間に8箱分開いて本棚に収めることができた。
 北陸は湿気が多いため、ほんの数年ダンボールに入っていただけでも、本によっては結構しみが出ていたりしている。
 文庫本は意外にきれいな状態で残っていた。
 いくつかの本はBOOK OFF行きになると思うが、なかなか思い切れない。
 たぶん、あと38箱は入りきらないだろうから、いずれにしろ、いくばくかは処分せざるを得ない。
 ま、この先数週間、楽しみながらの整理になるだろう。
 本を整理しながら合間にフォトリーディングできっちり数もこなす。
 わくわくする。

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久しぶりに家で映画を観た(ヒストリー・オブ・バイオレンス)

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 風呂や食事を終えてくつろぐ時間がだいたい夜の10時頃。
 いつもその時間帯はニュースを見ている。
 長い場合は11時半頃まで見ている場合もある。
 そのため家で映画を観ることが最近ほとんどなかった。
 昨日は「少しくつろごう」と思い、ニュースはそこそこにして10時過ぎから映画を観た。
 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」という映画である。
 95分ぐらいの比較的短いものなので、過去にも何度か観ようとしたことがあったが、なんとなく重い内容のような気がして、精神的に強い状態の時でないと、対峙できないように思い、ずっと観ることができなかった。
 そういう意味では「ショー・シャンクの空に」のようなずっしりとした重さを想像していたのかも知れない。
 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」というのは、そのまま訳せば「暴力の歴史」ということになるのかも知れないが、世界史とか日本史とかいった類の歴史ではなく、極めて個人に属する物語であり、その個人の思い出したくない過去にまつわる物語である。
 地方の町で平凡に家族と暮らす穏やかな喫茶店の主人、が主人公である。
 たまたまその店を訪れた無法者を一撃の下に退治してしまったために、一躍有名人になってしまい、そのニュースが過去に関わりを持っていたギャングの目に止まる。
 そして平凡で幸せだったはずの彼の生活に暗い影が忍び寄る。
 ・・・。
 最後は、この主人公の強い意志でギャングに勝ち、よろよろと、どことなく自信なさげな普通のおじさんの顔で家族の元に戻り、家族はそれを全てわかった上で、静かに涙を流しながら受け入れてくれる、という結末であった。
 イヤな気分ではなく物語を観終えることができた。
 なんだか確信めいたものが、心の中に錨を下ろすように芽生えたような気がした。
 
 ゆっくりしたストーリー展開の中に、時折出てくる物々しさ。
 目を覆うような恐怖や心臓がドキンとするような効果音などはないが、やはり重々しい映画だった。
 決して重苦しいではなくあくまで重々しい、である。
 主人公は、初め、過去を忘れているのかと思わせるような、本当に記憶喪失ではないかと思うような演技だったのが、最後には過去のことは全て記憶していながら別人になりきっているということが我々にもわかる、というとても工夫された作りになっていた。
 それ(すっとぼけた別人ぶり)を見事に演じ、しかも平凡な街のおじさんの顔と、殺人マシーンのような冷酷な面持ちを使い分けていたあたりが、後になってすごい役者だなと思った。
 主役はヴィゴ・モーテンセンという人で、「ロード・オブ・ザ・リング」でも有名な人らしいが、私は初めてだ。
 また私が会社の広報担当だったときに大変参考にさせてもらった「ブロードキャスト・ニュース」でアナウンサー役を演じたウィリアム・ハートが主役の実の兄の役で出ていた。
 なんだか三流役者のような・・・と思っていたくらい、ギャングの大ボスとしては貫禄がなかったが、エンディングのクレジットを見ていて、この人の名前があったので、思わず、えっ?と驚いたくらい演技が上手くなかった。でも助演男優賞をもらったらしいが。
 監督がなんとデヴィッド・クローネンバーグ。
 これも驚きだ。
 というより、ははあん、なるほど、この人の映画だったんか、と得心したような気がした。
 この監督については、社会心理派、っていうと安直な言い方かも知れないし、なんのことかよくわからないかも知れないが、人の心の奥襞にまで入り込むような、そんな映像、そんな語り部という感じを受けている。
 この人の作品で最も好きな映画は、クリストファー・ウォーケン主演の「デッド・ゾーン」である。
 こういうサイコチックな、でも人の心の多感な動きを捉えた、やや現実から離れた、そんな映画作りが得意な人なのではないか。
 これからもいい作品を作り続けて欲しいものだ。
 良いウィークエンドを過ごすことができた。

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富山の米泥棒に怒り心頭!

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 昨日の早朝、富山市北代の「北代営農組合」作業場から、連休中に収穫したばかりのコシヒカリ約750キロ分、30袋もの米が盗まれた、らしい。
  報道によると、作業場は組合加入の農家が収穫した米を保管する建物で、建物は窓が割られており、犯人は侵入後、シャッターを開けて車で米を運び出したとみられているそうだ。
 30袋の米を盗むということは、とても一人ぐらいの人間で一気にできるものではない。
 複数の人物が関わっているのは間違いないだろう。
 我々は子供の頃、米というものはお百姓さんが88回の手間暇をかけて作る、大変多くのプロセスがあり、あたら一粒の米といえども粗末にしてはならない、ときつく教わって育ってきたものだ。
 どんな背景があって盗難したのかはわからないが、農家の人たちは精魂こめて作っている農作物を盗むというのは、許されることではない。
 とても腹が立つ。
 確かに、日本全体がひもじい時代は、芥川龍之介の「羅生門」のように、人の食べ物を奪い、さらには人肉すら食らうような、道徳より生存、という時代があっただろうと思う。
 たぶんつい最近までそうだったのではなかろうか。
 しかし、この平成の世の中にあって、米を盗むとは一体なんだろうか。
 それほどひもじいのか、それとも単なる金欲しさからだろうか。
 隣の新潟でも米が盗まれたということだから、広域的な組織犯罪か、それとも連鎖反応かわからないが、いずれにしても、我が日本人の主食である米が盗まれるというのは、よほど日本も心の貧しい国になってしまったものだと思う。(高価な品物なら盗んでもいいとは決して言わないが、最低限の倫理観すらなくなってしまったのか、と本当に嘆かわしく思う)

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ヒゲゴジラ大量発生

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 永井豪さんのマンガ「ハレンチ学園」にヒゲゴジラというキャラクターがいた。
 この連休中、あちこちでヒゲゴジラ(首から上だけ)めいたオヤジたちが大量発生していた。
 連休2日目、友人のM氏に会った際、無精ひげをはやしていたので、いつ剃る予定かと聞いたところ、なるべく剃らないつもりだ、と言っていた。
 そういう私自身、よほどのことがない限り、連休中は剃らないつもりでおり、遂に今日の夜まで放っておいた。
 結果、ヒゲゴジラになった。
 街へ出ると、そこかしこに無精ひげボサボサのオヤジがあっちにもこっちにも。
 この連休中、お仕事の方々には申し訳ないことであるが、さわやかな秋空の5連休が生み出した一風変わった光景であった。
 明日から仕事の皆さんは、今日一斉にひげを剃っていることだろう。本当はもっと放置してどのくらい伸びるのか、伸びたらどういう顔になるのか、見てみたい気持ちで一杯だが。
 いっそのこと、2週間ぐらいドーンと休みにしたら、もっとしっかり伸ばせるのになあ、と空想しながら連休最後の夜は一気にふけてゆく・・・。

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金沢でモンクJAZZを聞いた

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 9月20日(日)は友人の誘いで金沢へJAZZを聞きに行った。
 生演奏を聴くのは、5年ぶりぐらいだろうか。
 前回は大阪勤務時代に神戸へ山下洋輔を聴きに行ったのが最後で、生演奏・・・どころか、JAZZ自体から随分遠ざかっていたように思う。
 金沢では今年から「金沢JAZZ STREET」という催しを、街ぐるみでやり始めたらしい。
 クラシックについても、別の時期に、街のあちこちでやっているイベントがあるとのことで、やはり芸能の文化の街だなあとうらやましく思ってしまう。
 JAZZ STREETというのは、大阪の高槻あたりでもしばらく前からやっており、イベント自体が新しい営みではないと思うが、こういうことができるというのは素晴らしいことだと思う。
 さて我々が聴きに行ったのは「ベン・ライリー・モンク・レガシー・セプテット」というバンドのコンサートである。
 この日を選定したのは友人の方であり、彼にハンドリングを委ねていた。
 行く前から「モンク」という単語が気になっていた。
 元々は22日頃にでも、と彼は言っていたのだが、どういう弾みか20日になった。
 そのおかげで、このバンドのコンサートに行くことになった。
 モンクとは、文字通りセロニアス・モンクであった。
 ベン・ライリーという人はセロニアス・モンクのバンドで5年ほどドラムスをやっていたらしい。
 モンク亡き後、その音楽や精神を受け継ぐためにやっているバンドだという。
 たっぷり2時間、モンクのアバンギャルドなJAZZを楽しませていただいた。
 しっかりスゥイングもしているので、決して難解でどうしようもないということはない。
 むしろ、半音ずれの不協和音がありながらも、スゥイングで楽しい音楽になっている。
 モンク本人のコンサートはもっとややこしかったかも知れないが。
 前日に行ってきた良寛さんは、自分の意思で出かけたが、今回のモンク・コンサートは導かれて行ったものである。
 元々この日は、4年前に亡くなった元上司のTさんのお彼岸のお参りに行こうかなということも考えていた日であった。
 その日に、Tさんがとても好きだったセロニアス・モンクの音楽を受け継いでいる人たちのコンサートに行くことになろうとは、正直、夢想だにしなかった。
 これも、一つの「引き寄せ」であろうか。
 なんだか、偶然の遭遇が、深いところで何かつながっているような、暖かさを感じた。
 ちなみにこの日のバンドメンは以下のとおり。
 ベン・ライリー(ドラム)、ドン・シックラー(トランペット)、
 ジェイ・ブランフォード(B.サックス)、ウェイン・エスコフェリー(T.サックス)、
 ブルース・ウイリアムス(A&S.サックス)、ジョー・コーン(ギター)、
 キャメロン・ブラウン(ベース)

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良寛さんのこと(新潟国上寺と五合庵と出雲崎)

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 昨日、新潟へ行って来た。
 魚津から高速を使ってちょうど200km。
 魚津インターで高速に乗ったのが朝の7時40分ぐらいだったが、既に車で道は溢れかえっていた。
  
 巻潟東インターというところで下車。
 そこから30分ほど走ってカーブドッチというワイナリーへ行ってとりあえずかみさんのご機嫌を結び、しかるのち国上山へ。
 途中友人のお勧めの「岩室温泉」という街を通ったが、寄る時間もないので一路南下。
 国上山は心配したほどのしんどい山ではなく、ほぼお寺の境内のそばまで車で上がることができた。
 駐車場から展望台のところへ行き、そこから吊橋を渡って五合庵へ。
国上寺の吊橋
 通常とは逆のルートかも知れないが、私の心はまっすぐに五合庵へ向かっていたので、国上寺から五合庵へ抜ける右回りではなく、左回りをとった。
 五合庵。
五合庵外観
 本当に何もないところである。
 昔はひょうたん池という名の池があり、湧き水が出ていたそうだ。
 でなければ生きてはいけないだろう。
 私の上司のTさんもここに来たのだろうか。
 庵内に上がらせていただき、良寛さんの木像に手を合わせる。
五合庵内での正座
 作家の中野孝次氏は「無いのゆたかさ」と言っている。
 ここにはものの見事に何もない。
 良寛さんが持っていたものと言えば「正法眼蔵」と手まりぐらいだ。
 でもここからとてつもなく色々な書や詩や教えが生まれ、今に至るも息づいているのである。
 「無いのゆたかさ」ということの意味がわかったような気がした。
 国上寺。
国上寺全景
 行基菩薩が開いたお寺だという。
 お堂に入る前に、先に宝物館に入ってしまった。
 寺務所の女性が「どうぞどうぞ」と招致してくれたので、言葉のままに招じ入れさせていただいたという感じだ。
 中に金色に輝く観音菩薩の屏風が掛けてあり、隣に「弘法大師書」と書いてあったので、その女性に尋ねたところ、「ここは真言宗のお寺ですから、弘法大師様がお書きになったものだと伝わっております」とのことだった。
 良寛さんというから、てっきり曹洞宗のお寺かと思っていたら、さにあらず、こんなところにも空海か、と驚いてしまった。
 しかも寺の縁起を見ると、聖徳太子に始まり、役行者、行基、円仁などと、日本の仏教界の名だたるスーパースターが関係者として顔を揃えている。しかもあの酒呑童子が修行をしていたお寺でさえあるという。空海が唐から日本に帰る際に海に向かって投げた五鈷杵が引っかかった松すらあるという。そこまで作るか。
 松に引っかかる法具と言えば、高野山の「三鈷の松が超有名である。それの向こうを張ろうというのだから稀有壮大だ。
 というような、なかなか凄いお寺なのだ。
 宝物館を見てから表に回って上記の写真のところから拝観したのだが、偶然、30年に一度の秘仏開示をやっていた。(本当は去年中に行く予定だったのを、子どもの受験や自分の仕事の忙しさなどのために一年延期して今年になったものであり、まさしく不思議な印縁を感じる)
 秘仏は十体あり、それらすべてを間近で拝ませていただくことができた。
 まことにありがたいえにしであった。
 さてそれから我々は寺泊の魚市場などで寄り道しつつ、遂に出雲崎に着いた。
 良寛記念館。
良寛記念館
 受付の人に聞くと、年間3万人ぐらいの人が訪れるとのことだった。
 「多いですね」と言ったら、「いやいや、すっかり減りましたよ。中越地震の前は5~6万人ぐらいが来ていたのですが、あれから団体さんがすっかり減ってしまって」と残念そうな顔をしておられた。
 毎日200人も来ていたのか、この小さな記念館に、と正直驚いた。それくらい小さな・・・畳20畳ぐらいなのだ。
 良寛記念館では、般若心経に笑ってしまった。
 解説を見ると「4文字挿入している一方で10文字欠落している」と書いてあった。
 書を読んでみると、確かに「般若波羅密多」の「羅」が抜けていたり「密」が抜けていたり、ところどころ欠落しているのがわかる。
 極めつけは最後である。
 一番最後に「般若心経」と結ぶところがまるまる欠落している。
 忘れたのか、ま、最初にタイトルで般若心経とつけたからいいや、って思ったのか・・・。
 枝葉末節はいいんよ、というような大らかさを感じる。
 もう一つ。
 大きな掛軸に「今日乞食云々」という漢詩がかかっていた。
 これには感動した。
 とてもダイナミックな草書だ。
 内容は大変深いもので、一見みじめに見える自分の托鉢の様子を、大らかに笑い飛ばしているような感じに聞こえる。
 それにしても、その文字は・・・。
 波打ち、躍動し、天真爛漫、自由奔放、誰はばかることもない自由さを感じる。
 しかも上手な字だ。
 これかな? Tさんが良寛に傾倒していたのは。
 いや、そんなものだけではもちろんないだろう。
 う~ん。
 やっぱりわからない。
 Tさんはなぜあれほどまでに良寛はいいと言っていたのだろうか。
 そうこうするうちに相馬御風の本を目にした。
 そこの解説のところに「会津八一が良寛を世に広めた」というようなことが書いてあった。
 一つ結びついた。
 Tさんが好きだった「会津八一」と「良寛」。
 会津八一が良寛を紹介した。
 となるとつながる。
 だからと言ってそれが何かと言われると、説明できない。
 海辺に降りて行き、良寛堂を訪れた。
 良寛さんが良寛堂を背に海を見つめていた。
海を見つめる良寛さん
 静かでひたむきで暖かく厳しい目であった。
 彼が見つめていたものはおのれ。
 そして人々の暮らし。
 五合庵には何もなく、あるのはただ、良寛自身の心であったろうか。
 最後に良寛堂の前の良寛坐像に手を合わせて、私の日帰り良寛ツアーは幕を閉じた。
 一瞬良寛さんが微笑んでくれたような気がしてシャッターを切った。
良寛記念館の良寛さん
 父のように憧れていたTさんが好きだった良寛。
 何もわからなかった。
 けれど、五合庵のたたずまい、良寛堂の背後の良寛坐像。
 これらを実際に訪れ、その空気を吸ったことで、良寛さんの書や良寛さんについて書かれたものを読むときに、まったく知らないのとは違う何かを感じながら、読むことができるのではないか。
 それがまたTさんが好きだった良寛さん、その良寛さんを好きだったTさんの心に少しでも近づくことができるのではないか。
 そんなことを思いながら昨日の日帰り旅行は終えたが、私のTさん探しの旅はまだまだ続くことだろう。

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良寛さんへの道

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 父のように慕っていた、就職して最初の上司。
 Tさんが亡くなって早4年になる。
 Tさんがこよなく慕っていた人物。
 会津八一と良寛。
 お目にかかるたびに、この二人のことを語っておられた。
 しかし、何を言っておられるのか、20代、30代の頃はよくわからなかった。
 いや、47歳になった今をもって実はよくわからない。
 たぶん、とても奥深いことを語っておられたのだろうと思う、が。
 Tさんは数学者であり、大手通信会社の課長であり、舞台照明の技術者であり、3人の娘を持つ父親であり、布団をかつぐことは家族のために良くないと決して単身赴任をしなかった人であり、書物(ハードカバー)を三千冊持つ読書家であり、セロニアス・モンクの音楽を愛し、晩年は木工細工を教わりながら染物や書き物などをなさった、我が父のような存在だった。
 さて、その会津八一と良寛。
 「父」がこの上なく慕っていたこれらの人物はともに新潟に深いゆかりがある。
 特に良寛は、道元の弟子でもあり、随分前からとても気になっていた。
 富山の水墨画美術館で良寛展があれば出かけ、映画「阿弥陀堂だより」で良寛の書「天上大風」が田村高廣さん演じる先生のお宅にあれば、それと同じものを求め、良寛の本があれば買って格闘している。う~ん、わからん。良寛って一体・・・。
 でも、ただ一つわかったような気がしたことがある。
 良寛の書を見て思ったことだ。
 Tさんの書体とよく似ている。
 ふと思ったこと。
 Tさんは良寛になりたかったのではないか。
 新潟の燕あたりに、良寛が起居していた五合庵という寓居がある。
 今週末、ようやくそこを尋ねる計画ができた。
 良寛を訪ねる、と言いつつ、実は「父」を尋ねることであるのかも知れない。
 Tさんの心象風景を少しでも感じたい、それが私の新潟行きの真の目的なのだろうと思う。

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奇跡が起きた!

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 『現代の帝王学』という伊藤肇さんという方の本がある。
 家の一階、二階、納屋の書棚まで、どこを探しても見当たらない。
 弱ったなあと思っていた。
 自分の属する会社は、富山県では二番目に位置づけられる会社であるが、規模の比較をすると、No1の会社の4分の1、5分の1程度しかない。
 となると、チャレンジャーというより、ニッチャーかフォロワーだ。
 さてNo1とどう差異化を図ったり強みを発揮すべきか。(今は主に低価格戦略だ)
 ということでランチェスター戦略の勉強をしなくては、と強烈に思った。
 そこで昨日、時間の隙間に富山駅の書店でランチェスター戦略の本を探し、あ、これいいな、とメモし、ネットの「お気に入り」に記録しておいた。
 『ランチェスター戦略 弱者逆転の法則』という本である。
 そして今日。
 上記の2冊(ランチェスターは上記の本そのものでなくてもいいが)が、BOOK OFFにあるはずだ、と思いながら、BOOK OFFを訪れた。
 しかし人口3万人程度の魚津なんていう小さな町のBOOK OFFにあるだろうか?という疑問も少しはあった。
 ありながら絶対見つけてやるぞ、となんだか確信めいたものを持ちながら行った。
 あったのである。
 それも2冊とも。
 いかにも私が来るのを待っていたように、目に飛び込んできた。
 これ、すごいことだ。
 やはり、セレンディピティというのか、強く願うことは潜在意識の力で叶えられるというのか・・・。
 まざまざと<信念の魔術>(謝世輝氏)を実体験してしまった。
 ちなみに今日買った本はBOOK OFFで上記を含め5冊、新刊書店で1冊(『日本で一番大切にしたい会社』)であった。
 残念ながら仕事やら次週の週末の遠出の準備等で、今日は読む時間がないが、5連休があるので、楽しみをとっておく。
 ありがとうございます。感謝である。

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友人I氏の経営哲学

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 昨日の「とやまキトキトBIZねっと」では、友人のI氏に講演をしてもらった。
 大学の同期で、ずっと親しくつきあってきた人物ではあるが、途中彼は東京、こちらは金沢やら大阪やら、と間が抜けた期間も相当ある。
 父上が大怪我をされ、東京からサラリーマンを辞めて実家に戻り、色々あって創業した、その辺りの経緯はそれなりに聞いていたつもりだったが、あらためて創業から安定成長の今日までのいきさつを聞くと初めて聞く話や普段あまりしないような経営哲学の話などもあり、大変感銘を受けた。
 講演の中からいくつか「語録」を記録しておく。
・リスクのない経営は成り立たない
・生き残りのためには「屋」から「業」への業態転換が必要(職業としての社会的な認知が必要)
・自分という人間を理解して仕事に取り組む
・伊那食品工業という会社は大変素晴らしい
・従業員はコストではない。一人ひとりを尊敬している
・お金は使うものではなく回すものである(タライの原理で向こうへやればぐるっと帰ってくる、かき寄せようとしてもこっちへ来ない)
 なお講演の主は株式会社ライフサービスの社長で、「平成19年度 富山市ヤングカンパニー大賞」奨励賞というのを受賞されており、その成長ぶりが注目を集めている、富山の元気企業である。

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