会社での仕事中、急に暑くなってきた。
クールビズで腕まくりをしてもまだ暑い。
回りを見ても別に変わった様子はない。
そのうち、頭痛がしてきた。
たまらなく倦怠感も出てきた。
首の後ろが痛い。
体の節もだるい感じがしてきた。
体がぽっぽと熱くなってきた。
じんわりと汗が出てくる。
やばいと思い、しばらくの間、マスクをして仕事をした。
やがて同僚から「熱、測った方がいいんじゃ?」と声をかけられ、体温を測った。
その頃には少し熱さが薄らいでいた。
36度5分。
平熱よりも少し高いくらいだ。
38度あれば、会社の人事担当に連絡しなくてはならないらしいので、問題ある水準ではなさそうだ。
ということで、一応定時過ぎまで仕事をし、しかしいつもよりはかなり早めに帰宅した。
幸い咳は出ていない。
思えば一昨日、中小企業診断士の理論政策更新研修というのを受講した時、会場内で結構何人もの人がクシャンクシャン、とか、ゴホンゴホンとかやっていた。
あれが新型インフルエンザだとすると、あの会場にいた百数十人の診断士は、全員感染した可能性がある。
後は発症するかどうか、また発症の程度がどうなるか、だ。
あまり考えたくはないが、かかっちゃったかも知れない。
月別アーカイブ: 2009年8月
京都奈良大右回りその8(志賀直哉旧宅から正倉院、東大寺)
前回の記述から2週間も空いてしまった。
間が空いたが、これにて今回の旅行記の最終回である。
8月5日(水)。
新薬師寺の次は歩いて数分。
志賀直哉の旧宅。
数年前に訪れたときから比べるとまた幾分整備が行き届いていた。
戦後、GHQに接収され、面白くもおかしくもない白壁に塗ったくられたらしいが、それらをほとんど修復してあった。
それから春日山のささやきの小経と言われる中を通って東大寺。
これまで入ったことのない三月堂(法華堂)。
不空羂索観音が素晴らしい。
たまたま女学生らが調べ物をしていて、堂守の方になにやら色々尋ねていた。
それに対して丁寧に教えている声が、我々他の来訪者にも聞こえ、頭の上のおびただしい数の宝石類やら手の中の水晶玉やらのことがわかり、またありがたさが増したような気がする。
境内を通ってやがて正倉院へ。
途中、二月堂下の「裏道」を通り過ぎたあたりにふと見ると田んぼがあった。
お寺で食する米を作っているのだろう。
昔からの営みであろうとありがたくなった。
正倉院は外観しか見られず、少々残念。
中に入れるはずもないか。
と言っても大変大きな建築物であることにかなり驚いた。
その後は慌しかった。
大仏殿の横を通り、大仏殿前の池を寸刻眺め、大通りを渡って奈良公園へ行き、興福寺の五重塔前で鹿さんの写真を撮り、南円堂を横目で見ながら猿沢池をふと見やって、奈良まちへ。
奈良まちでは遅い昼食をとってから土産物をあれこれ買って、JRの奈良駅から大和路快速に。
時間があれば、私の心のふるさとである「法隆寺」に寄るべく選んだ路線であった。
少し時間はあった。
しかし、妻の疲れもあろうと思い、途中下車はせずにそのまま大阪へ。
大阪駅でまた少しあちこち歩いて買い物をした。
午後5時40分過ぎのサンダーバードで魚津へ。
帰路はお陰様で順調に、ちゃんと午後9時15分頃到着。
今回の旅行は、結局、京都⇒北西の竜安寺⇒東部のあちこちと清水寺界隈⇒南下して奈良ホテル⇒奈良中心部の新薬師寺や東大寺界隈⇒西へ向かい、法隆寺の辺りを通り過ぎ⇒北東の大阪へ、という具合で、ぐるっと北西から東へ回り南へ行ってもう一回西へ移動し北上、と関西をぐるっと右回りしたような感じになった。
わりとのんびり過ごした二日間ではあったが、二日目はちょっと歩く量が多く、妻には負担をかけたと思う。
それでも京都・奈良を久しぶりにたっぷり味わった二日間であった。
また行きたい、と思うが、やはりしっかりゆっくり1週間とか2週間といったような時間で行って来たいものだ。
一日二日でおもてづらだけ見てきていいところではないと思う。
メジャーではないが古代の文物などを収めた美術館があったり、夜はジャズバーなんかでもいいところが色々あるようだし。京都も奈良もまだまだ魅力が一杯だ。
大阪勤務の7年半の間は主な寺社を経巡るのが精一杯で、そういうところまでは行けなかった。
一日二日の旅行でも、そういうスポットまではなかなか足を運べない。
いずれしばらく奈良に住むなどして、ゆっくりと回るのが私の夢である。
夢を、叶えよう、一つずつ。
フォトリーディングについてのコメント
やり方は習得したが、一気にフォトリーダーと呼ばれるようなレベルにはなかなか行かないものだなあと思っている。
毎日練習できるわけでもない。
なぜなら、フォトリーディングは単なる速読ではなく、関連する前後の技術と組み合わせた、総合的な情報処理技術だからである。
前後の技術と合わせてやることでしっかりした効果が得られるのだと思うので、単に机に向かって本をペラペラめくればいいというものではない。
ということで、勢い、多少なりともまとまった落ち着いた時間がないと、なかなか取り組めないというちょっと言い訳めいたことになる。
今日は、朝から家の外回りの片付けやら枝の伐採やら買い物やら仕事やら自分の机の周辺の整理整頓で相当時間を食ってしまったので、夜、少し時間をとって一冊ぐらいはちゃんとやろうと思う。
易経の言葉から
昨日、会社内の同じ大学出身者の集まりがあった。
そこで、つい先ごろまで監査役を勤めておられた方が易経のお話をされた。
曰く。
天行(てんこう)は健なり。
君子、もって自強して息(や)まず。
意味は、
天の運行というものはすこやかなものである。その中にあって君子は身を慎まなければならない。
というようなことだそうである。
満つればやがて欠ける、という。
運気が強く何をやっても許されるというような驕り高ぶった気持ちになっては行けない。
確かに時機が到来したときは、前進しても咎を免れるようであり、行けるところまでどんどん進むがよろしかろう。
しかし、そうであっても驕り高ぶりはいけない。
身を謹んで、静かに省察する時間を持たねばならない。
それが心身を健やかに保つ秘訣であるぞよ・・・。
そんなようなことを仰りたかったのであろうか。
会社の大先輩にこのような、中国古典のお話をされる方がいらっしゃるとは思いもよらなかった。
正直言って大変驚いた。
もう少しこの方と早くお目にかかっておれば、さらに薫陶をいただけただろうに、と残念な気持ちだが、今からでも遅くはない。
機会を作って、是非これからも色々教わろうと思う。
目から鱗、のひと時であった。
VISTAという新たな経済勢力のこと
podcastという情報配信サービスがある。
ipodやiphoneユーザだけに提供されているものかどうかは知らないが、私の場合はiphoneで聞くため、時々「iTunes」というパソコン用のソフトで英語のニュースや日経系のラジオのような番組配信を受け、通勤電車の中などで見たり聞いたりしている。
その中で、日経ヴェリタスの配信番組を聞いていたら、「ヴィスタ」という単語が出てきた。
ヴィスタといえば、最近ならWindowsOSのバージョンの種類だし、少し前ならトヨタの車の名前だ。
しかしここで言われているのは、そのどちらでもなく、新たな新興工業国群のことを指すらしい。
VISTA。
それぞれの国の頭文字をとったもので、BRICs経済研究所のエコノミストである門倉貴史という人が、BRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語らしい。
2006年からある言葉なんだあ、へえーっと思ってしまった。
具体的な国としては、
V:ベトナム
I:インドネシア
S:南アフリカ共和国
T:トルコ
A:アルゼンチン
の5カ国らしい。
いずれも、BRICsに次ぐ成長が期待され、現にそのように勃興しているようであるが、まだ政治的に不安定であるとか、宗教の問題や流行病を退治できないなど、色々な懸案事項があるので、そう簡単にはテイクオフできないかも知れないが、今後動向をよく見ていくべき国々のようである。
ヴィスタ・・・知らなかった。
我が家の守り主
フォトリーディングの格言その1
フォトリーディングの講座で聞いた色々なアイディアや知識について少し触れる。
今日はこれ。
我々の脳は、目的を明確にするとフルスピードで働く。
う~ん、そうか。
凄い!
フォトリーディングの研修を受講した
名古屋で2日間のフォトリーディングのセミナーを受講してきた。
脳ミソが興奮しているような感じがする。
フォトリーディングをスキルの体系としてまとめる点や、脳をシステムとして捉える見方が、いかにも西洋人らしく、面白いと思った。
スキル、すなわち技術であれば、使いこなそうとするのが自然であり、そうすべきだと思う。
やり方、手順をきちんと学んで、基本に忠実におさらいしていくことが大切だ。
それが習熟への一番の近道である。
また、脳科学というシステム的な捉え方も面白い。
ハードディスクへどんどん取り込んでいくという考え方だ。
とりあえず今日はそこまでにしておく。
詳しくはまた書く。
言いたかないが・・・新型インフルエンザ続報(厚生労働省の怠慢?を問う)
国立感染症研究所 感染症情報センターというところがあるらしい。
そこのHP(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)を開くと、
「パンデミック(H1N1 2009)」とあり、
<日本国内の報告数(厚生労働省確認分)>として<4986人>という人数が掲載されている。
但し、(2009年7月24日 6時現在)となっている。
えっ?と思う。
今日は8月18日です。
・・・ここしばらく全然期日が変わっていない。
厚生労働省のHPを見ればもうちょっと新しいデータがあるかな、と思い、
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/19.htmlを見てみたが、
書いてある数字も集計時期も同じ。
ちょっと、厚生労働省のお役人さん、仕事してないんじゃないの?と思えて仕方がない。
というのも、今日のニュースで、
・8月になってから9日間で、日本国内で新たに4600人の感染者が確認された
と言っていた。
本当なら、上記の4900人余りと足して、1万人ぐらいになっているということだ。
目くじらを立てて騒ぎ立てる、パニックになるようなことではないかも知れないが、インターネットで開示しているデータの二倍の感染者がいるにも関わらず、そのデータが更新されていないというのは怠慢以外のなにものでもないと思う。
おかしい!
ローマ人の物語から五賢帝を読む
久しぶりに塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んだ。
というか、数ヶ月の通勤電車の中で、ちょぼちょぼと読み継ぎ、ようやく文庫本一冊読み終えた、ちうのが正しい言い方だ。
今回読み終えたのは『ローマ人の物語 文庫24 賢帝の世紀(上)』である。
ローマの五賢帝といえば、高校生の時に世界史で教わった、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの五人である。
特に今回読んだ24巻はトラヤヌスの巻であり、ローマ史上最大版図を達成した人物として覚えさせられたものだ。
ローマの皇帝はホンマに色々な人がいるものだと、この人の本を読んでいてつくづく思うが、トラヤヌスという人は、大変謹厳実直な人のようだ。
イタリア半島出身ではなく、属州出身としては初めての皇帝だった、からかどうかはわからないが、そういうことが影響したのか、頑張らなくっちゃ!という心の声を塩野さんは聞いたのか、「なんでそんなに頑張ったの? そうよね、属州出身の初めての皇帝だものね」というような投げかけをしておられる。
自慢ったらしいことは言えないが、私も結構(無理すんなよ、と思いつつ)頑張り抜くきらいがあるので、この人の姿勢には共感するところがある。
但し、トラヤヌスはなぜか男色で、女性を避けたらしい。(この点は私とは大いに違う)
妻はいたようだが、子どもはおらず、そのため、皇位継承者には他人のハドリアヌスを選んだということだ。
次のハドリアヌスも男色で、そのため子どもがおらず、そのため皇位継承におけるゴタゴタが起こらなかった、という妙な話である。
そんなことで、次は「文庫の巻の25 ハドリアヌス」の巻である。
次も楽しみだ。(ちょっと読書スピードがゆっくり過ぎるかな)