また舌を噛んだ。
最近、食事中に舌を噛むことが多い。
ここ1年ほどで、何回噛んだことだろう。
とても痛い。
歯にとっては、肉をがぶりと噛むような食感があって決して悪くはないのだが、その瞬間飛び上がるような痛みが駆け抜ける。
思えば、昨年の6月頃から噛む機会が増えたような気がする。
何か、あせってでもいるのだろうか。
食べる時に慌てているのかも知れない。
あるいは、口が小さくなったのだろうか?
ほんまに、よく噛むのである。
食堂でも、秋吉でも、家でも・・・。
ちょっと気をつけよう。
月別アーカイブ: 2009年6月
スローライフの話
辻信一という人の話を聞いた。
魚津市の天神山にある「新川学びの森天神山交流館」で行われた「森のゆめ市民大学」という市民参加型の生涯学習クラブ、みたいなものであろうか。
先月、友人の誘いで行き始めた。
元々は故・筑紫哲也氏が始めたものらしい。
100人以上の人が聴講していた。
話は、現代文明の危うさと経済成長のペースを落とさなければ、人類にとって致命的な破綻が訪れるよ、というような内容。
化石燃料が永遠に続く、ということを前提に、我々の社会は作られている。
都市の集積もそうだ。
「石油」がだめなら「原発」で、という発想はその域を出ていない。
となると、地球の地下にほぼ無限大にあると言われている「地熱」についても同じレベルの発想だと言われるかも。
しかし、では、今、何をどうしたらいいのか。
ものを食べるためには食糧を買わねばならないし、そのためにはお金がいる。
お金を得るためには仕事をしなくてはならないし、そのために会社で働く。
会社に行くには車か電車で出勤しなくてはならないし、そのためには間違いなく化石燃料などの大きなエネルギーを出すものに頼らざるを得ない。
今の社会構造を変えることが我々一人ひとりにできるのか。
と考えた途端、思考は停止してしまう。
辻氏は、まずは地産地消から、と言っておられた。
私たちにできること、というのがもう一つのメッセージだ。
晴耕雨読、という暮らし方ができれば、私もそうしたいところだ。
しかしなかなかそうはいかないのが現状である。
太陽光発電などはどうなんだろう?
静脈経済という考え方や、それを担うビジネスもある。
そういうレベルでものを考えるのが、そもそもマインドセットが変わっていないということかも知れないが、一気に色んなことを変えることはできない以上、徐々にそういうものに参加していくことで、文明の崩壊を緩やかなものにできるかも知れない。
色々と考えさせられる講演だった。
トキを見た!
妻から、黒部に来ているトキの「トキメキさん」を仕事の途中に見かける、という話を聞いていた。
だからというわけではないが、今日は妻の仕事場へ送り迎えをし、帰路、トキのいそうな場所を教えてもらいながら帰ってきた。
今日もいるよ、と聞いたので、ワクワクしながらその場所へ。
なんの変哲もない休耕田のあぜ道のところに「トキメキさん」はいた。
真ん中のやや右、黒っぽいのが「彼女」である。
エサでもついばんでいるのか、ほとんど下を向いており、たまに顔を上げては少し歩き回る、という感じだ。
ある意味、哲学者の散歩のようでもある。
アマチュアカメラマンが10人以上。
巨大望遠レンズを構えて、トキの飛び立つ姿を待っているのか、じっとカメラを向け、時々彼女の動きに合わせ、カシャ、カシャと乾いた音がしていた。
そのほかにもギャラリーが全部で50人ぐらいいたか。
超人気者の「トキメキさん」であった。
ちょっと心の休養を
まったく新しい、未経験の仕事について早一年。
7月からは少し待遇が変わる。
しかし、当初言われていたのとはちょっと趣が違う。
それと、管理職になるということもあり、なんだかぼんやりとした不安で、この1週間、心がざわついていた。
気持ちが落ち着かないと、流されてしまう。
そんなことを思い、少し「来し方、行く末」について考えを整理しなくてはと考えた。
自分の部屋でやるよりも環境を変えてやった方がいいな、と思い、ノートと筆記具を持って近くの海に出かけた。
少しは涼しいかな?
そして、テーブルのある場所で涼みながら考えたいな
と思っていたが、テーブルのあるところは、何人かの工員風の人たちが打ち合わせらしきことをしていたので使えず、テトラポットのところは、ちと暑い。(テトラポットがだいぶんひび割れしているのが少し気になった・・・やはり社会資本のメンテナンスが必要な時期に来ているのかも、なんてことを考えつつも、思考は「考える場所」探しに戻り、)
さすがに最高気温が34℃と言われている日だけあって、海岸にそのままいるというのは、直射日光に当たりにいるようなもので、さてどうしようかと思っていたら、うまい具合に木陰があった。
テーブルはなかったものの、その木陰に入ると、意外に涼しい。
こりゃいいや、と思って、そのまま地面に座り、海をぼんやり眺めながら、ハイファイセットの「海を見ていた午後」のメロディーなんかを思い出しつつ、今、午前だろ!と一人突っ込みを入れながら、頭に浮かぶ様々な事柄をノートにメモしていった。
ランダムではあるが、少しずつ色んな事柄がつながっていき、一つのイメージめいたものが出来上がった。
自分が進みたい道、今やっていること、自分の持ち味、自分に足りないこと、今日すぐにすべきこと、などなど、少しは整理ができたような気がする。
うん、たまに海に出かけるのもいいもんだ。
山口からの旅人
トミさんという人がいる。
山口県出身だが地元にはなかなか帰られない立場の人だ。
前の会社で同僚だった。
同じ会社の同じような立場の者として全体感をもって協力していかなければならない立場だったはずだが、どちらかというとお互いの部益代表みたいな感じで、争うことも多かった。
いや、争うというより、彼特有のロジックでもってやりこめられる一方だったような気がする。
私より一回りぐらい若く、しかしとても頭が良く、かつドライで、でも熱情的でもあり、ああ、出世する人間ってのはこういう人物なんだなあと感心していた。
その彼から電話をいただいた。
管理者の送別会が終わって、会社にまた戻っての電話だった。(相変わらず、仕事が好きというか責任感が強いというか、立つ鳥後を濁さずというか・・・)
人事異動で大阪に転勤されるとのことだった。
世話になったとの挨拶だった。
一年も離れているのに、ご丁寧なことだと大変ありがたく感じた。
大阪の南エリアの担当だ。
なにかと大変な地域である。
しかし彼ならなんとかやっていけるだろう。
体に気をつけて頑張っていただきたい。
ありがとうございました、トミさん。
また何かの折があればよろしく。
カラオケ超しっぱい!(加藤ミリヤの「Love Forever]
加藤ミリヤという歌手がいる。らしい。(会ったこともないのでよくわからん)
ラジオで偶然この人の「Love Forever」という歌を聞いて、一発で気に入った。
友人の人事異動などがあったら歌って感謝の意を示そうと思っていた。
軽く歌えるものと思っていた。
偶然今日その日が突然やってきた。
歌った。
あれ?
音程が合わん。
そりゃそうだ。
考えてみたら彼女は女性で、私は男。
音楽プレイヤーで聴きながら鼻歌を歌っている分には「おれ、いけるじゃん」なんて思っていたが、いざ歌うとなるとすごい低い音程か、またはがなりたてるようなハイトーンじゃなきゃいかん。
しかもラップっぽい歌ときている。
ということで、皆さんは一応手拍子をしてくれたが、かなり「こいつ、何歌うてんねん」という気になったに違いない。
それくらいひどい音程でがなりたててしまった。
もうちょっとしっかり音程のコントロールも含め、練習とコントローラ操作などの事前準備が必要だ。
よりによってご栄転される皆さんの送別会という場で・・・。(主旨は合っていたと思うが)
ということで、カラオケ大失敗の巻であった。
気負いの週末
さあああああ、読書するぞおおおおお
っと臨んだこの週末だったが、土曜は家の庭の木の伐採作業で半日以上費やし、午後は会社の同僚と電話で長い打ち合わせをし、その後は元々予定していた買い物やら吸玉マッサージやら。
夜も元から予定していた従弟との打ち合わせがあり、ザッツオール。
今日は、突如下の子が富山の呉羽まで連れて行ってくれとのたまわり、早朝起床で眠い目をこすりながら往復2時間のドライブ。さすがにしんどくて帰宅後即次男のベッドへ。
ようやく10時過ぎに本格的に起床し、研修のレポート作成。
午後の後半再び次男を迎えに行くため、はるばる呉羽までドライブ。
終わりの時間が流動的だったため、帰宅したのは午後6時。
夕食をはさんで、昨日同僚にさんざん注文いただいた週間スケジュール作りに頭を悩ませているところへ、今度は長男が、パソコンのネットワークがおかしいだのなんだのとSOSを求めてきて、一緒に検討。
あっという間に午後10時。
風呂に入って再度スケジューリングの詰め。
ま、あまり考えすぎても相手もあることなので、この辺にして、いざ明日からの戦陣へ再び臨もうか。
1週間東京へ行ってきて、色々あったが、明日からまた気持ちも新たに頑張ろう。
レジの紙袋復活
クスリのA木という薬局、じゃない、ドラッグストアに行ってきた。
男性用化粧品をいくつか買わなければならないことを思い出し、外出の途中に寄ったのだ。
4点ばかし買い物をして、レジへ。
レジの人「マイバッグはありますか?」
私(ありゃ!、なんも考えてへんわ)「いや、・・・抱えて行きますから、いいです」
レジの人「では・・・無料の紙袋がありますけど、それにお入れしますか?」
私(そりゃあ願ったり叶ったり、助かる)「あ、それでお願いします」
レジの人「かしこまりました」と、おもむろに小ぶりの紙袋に入れ、商品の上の部分できっちり折り曲げてレジのテープを貼る。
といった次第で、久しぶりに紙袋というものを見たのだが、折り曲げのところがぴっちりしすぎていて、持った瞬間に、折り曲げ部分にピシッと破けてしまった。
紙袋、とってもいいものだが、折り曲げる場所に気をつけないと、商品の角で破けてしまう。
昔の人はその辺の機微を心得ていて、少し余裕を持たせて折り曲げたものだが、最近の人は慣れないせいか、そういうのはまだわからないだろう。
でも、徐々に慣れていき、どの辺で折り曲げるのがベターかということもわかっていくのだろうな。
う~ん、それにしても、意外なことで紙袋が復活していたとは・・・。
松岡正剛さんの『多読術』
本についての記録を久しぶりに書く。
猛然と読書への意欲が沸いてきた。
ここ数年なかった感覚だ。
とにかく疲れていたから。
それはさておき、松岡正剛氏の『多読術』を読んだ。
松岡正剛氏は私が大学生の頃「遊」という雑誌を編集なさっており、何冊か私も購入して読んだものだ。
値段が高かったので、貧乏学生にはなかなか毎月定期購入というわけにはいかなかったが、大変食欲がそそられる雑誌だった。
前衛的というか、科学と宗教が渾然となっているというか・・・。
私が今でも持っているのは「ジャポネスク」について特集された号だ。
やや思想がかったような印象を受け、この人はちょっと危ない人ではなかろうか、と思っていた。
従って、「遊」は読んだが、松岡氏に近しくなりたいとは思わなかった。
その後の松岡氏の活躍ぶりは言うまでもない。
某巨大通信会社と組んで出版された『情報の歴史』などは、私も購入した。
素晴らしい大作だと思う。
情報の意味を有機的に結び付けてみる、という実験的な試み。面白い。
極めて真面目な常識人であり、読書人なのであろうと思う。
今にして思えば、折角4年間も東京で遊んでいたのだから、一度ぐらい松岡氏のオフィスを訪ねて謦咳に触れてみても良かったかも知れない、とちょっと思う。
さて『多読術』。
松岡氏は、驚異的な読書量の持ち主であることは周知のとおりである。
最近はやりの「速読術」をきっとこの人も心得ているのだろう、と思っていた。
が、さにあらず。
いや、たぶん、読むスピードは間違いなく常人には考えられないくらい早いのだと思うが、いわゆる速読術ではないらしい。
夜中3時まで鉛筆と辞書と地図と年表を傍に置きながら、一生懸命に読んでおられるようだ。
「いちばん心がけたことは、寝ないようにするということ」
これがこの人の驚異的な読書量の基本であるようだ。
「読書というもの、夜に根っこをのばすんです」
なるほど。
言いえて妙。
今の私にはできないが、そのくらいの気合で本に立ち向かわないといかんということだというのがよくわかる。
但し・・・
「読書を神聖なものだとか、有意義なものだとか、特別なものだと思わないほうがいい。読書はもともと多様なものだ」
とも言っておられる。
極端な話、昔竹村健一氏が著書の中で「自分が寝っころがって本を読む。スタイルを気にしていて読めなければ意味がない。読むためには自分の好きな格好で読めば良い」というようなことを書いておられたが、それとまさに共通する。
しかし、まあ、なかば自由人のような竹村氏と、万巻の書物を読んできた松岡正剛氏とが同じような見解を持っていたとは驚きだ。
その他、気に入った箇所を一部抜粋。
「本はすでにテキストが入っているノート」
「(本は、書いたその人が)自分にプレゼンテーションしている」
「本は、リスク、リスペクト(敬意)、リコメンデーション(おすすめ)の3R」
その他その他。
大変ユニークで参考になった。
俄然、読書欲が沸いてきた。
ちょうど先日注文した本6冊も、出張中に届いていた。
さあ、明日から読書も生活の一部にしっかり加えていくぞ。
(肩の力を抜いて、でも片っ端から手当たり次第に)
東京五日目(最終日)
東京には随分長いこと行っていなかったので、本当に久しぶりだった。
しばらく会えなかった従弟や友人にも会うことができた。
研修の中身はなかなかレベルが高かったが・・・。
よく考えてみると、東京に行く道中のこと、手持ち無沙汰にならないように、というようなことを出発前はさんざん心配していたが、魚津から、わずか3時間で着いてしまうのだ。
そんなに色んな本やら何やら持って行かなくていいのである。
私が学生の頃は上野までですら6時間かかった。
その印象がいまだにぬぐえない。
だから遠いと思ってしまう。
そして本やら電車の中で履くスリッパやらまでカバンに入れてしまう。
その結果カバンが重くなる。
今じゃ昔の半分、3時間で着いてしまうのだ。
大阪から行くのと変わらない。
近くなったものだ。
朝7時に魚津を出発したら、午前10時には東京駅に着いている。
午後6時に東京を出たら、夜の10時前には家に着いている。
十分日帰りが可能な距離だ。
もちろん遊びに行くとしたら、1箇所か2箇所ぐらいしか逗留できないが。
そんなこんなで、帰りの新幹線とはくたかの乗り継ぎで本を1冊読んできた。