以前いた会社の富山支店に、大阪から私が異動してきた時、中学時代の同級生がいた。
えっ?と思って聞いたら、派遣社員として来ているということだった。
派遣社員と言っても、正社員と同じ仕事をしており、その職場ではかなり高い業績を上げていたので、我がことのように誇らしい気持ちだった。
しかもその人がいたので、私自身は会社なのに家にいるような感覚を覚えることがあった。
と言っても、別に昔の彼女でもなく、もちろん今の彼女でもないので変な意味ではなく、また担当はまったく別だったので、たまにその人の顔を見たときに、ふっと安心できる瞬間があった、ほっと一呼吸できる瞬間を得られた、と言う方が正しい。
しかしそれにしても、会社の中にいて、家庭の居心地を一瞬味わえるというのはありがたいことだった。
そのくらい、中学時代の同級生とは何か共通して安らげる心の基盤があるような気がする。
今でもそう感じるのだから相当なものだ。
その人が、夫君の人事異動に伴い、我が古巣を今月末で退職されることになった。
日本中に営業拠点のある会社らしいので、やむを得ないことだ。
居心地のいい状態というのはそんなに長くそのままの状態で続くものではない。
もちろん私自身、今やその会社にいないのだから、自分勝手なことは言えない。
世の中は常に動いているなあ、とあらためて思った。
どんどん変化している。
自分だけが止まっているわけにはいかない。
誰かに止まっていて、と言うわけにもいかない。
松原みきさんの歌に「ハロー、トゥデイ」というのがある。
「仲の良い友達がどんどん変化していっている、止まっていて変化のないのは私だけ。
じっとしているわけにはいかない。私も変わらなくっちゃ。さあ行動しよう」というような主旨の歌で、聞いていてとっても元気が出る歌だ。
これから上記の友人の新しい人生が始まる。
同じ会社にいた日々に感謝しつつ、これからもよろしく。
そして、これからの日々を素晴らしい日々にしていただきたい。
ありがとう。
お世話になりました。
これからも明るく、お元気で。
日別アーカイブ: 2009年5月27日
ドコモとNTT東西
地元のマスコミに勤めているMという友人がいる。
彼と月一回ぐらいは昼飯でも食べよう、と約束したのが先月だったか。
今日うまく時間がとれ、今月のノルマ達成。
ってな話ではないが、その友人がこういうことを言っていた。
「最近はネットの前に携帯電話がある。携帯電話の選定が先にあって、それからそれに合わせて有線通信をどのキャリアにするか、という順序だ」と。
それを聞いて思った。
もしかしたら数年以内にドコモがNTT東西を吸収するようになるんじゃなかろうか、と。
考えてもみればわかることだ。
ドコモの営業利益が7000億円。
NTTグループ全体の営業利益の7割を稼いでいるのだ。
その利益を労務費にあてがうとすると、仮に一人1000万円としても、7万人の社員を雇える計算になる。
もちろん合理化合理化で社員を最小限度で維持しているドコモがもろ手を挙げてそういう選択をするとは考えられないが、青息吐息のNTT東西を救済しようとすると、それしかないのではないか。
7万人雇う力があれば、東西の財務は救うことができる。
そもそもVI&Pという概念をNTTが提唱したのは、青木さんという人が研究開発本部長の時だったろうか。(大いに勘違いかも知れないが)
1991年か92年のことだったと思う。
VはVisual。見える通信。
IはInteligense。知的な、という意味。今で言えば、コンピュータの機能を通信が備えるということ。
PはPersonal。個人で使えるというイメージ。昔は電話は一家に一台だったが、一人ひとりがそれぞれ通信機能を占有できる状態を指す。
それから幾星霜。
結局、ドコモを始めとする携帯電話会社がその概念を達成した。
単なる携帯電話の時代から、携帯メールができ、インターネットサイトにアクセスできるようになり、さらに今やスマートフォンの時代になってからは、携帯電話が電話であり手帳でありインターネット端末でありゲーム機でありICレコーダでありエクセルやワードなども扱えるコンピュータですらある。
完全にVI&Pの概念を携帯電話が実現してしまった。
ついこの間まではスマートフォンの最先端はヤフーのiPhoneだったが、来月になればドコモもGoogle搭載のスマートフォンを発売する。日進月歩だ。(やっとかいな、という気もするが)
となると、主役は携帯電話であり、携帯を補完するものとして有線電話会社がある、というのが現実ではなかろうか。
その現実から目をそらしてはいけない。(カエサルが言うように「人は自分の見たい現実しか見ようとしない、ではなく、本当の動いている現実を冷徹に見よ、だ)
その現実を現実として認識するならば、NTT東西の戦略、仕事の進め方、商品の売り方も変わってくるのではなかろうか。
有線が第一義、ではなく、パーソナル通信が第一義で、それを補完する手段として有線通信サービスがある、と定義しなおすと、違った世界が見えてくるような気がする。
さてNTT東西はこれからどういう戦略で事業を展開していくのだろうか。
テレビが見られる、だけではCATVのちょっと早い版としか捉えられず、そんなやり方をしていては、進化論ではないが、生き残ってはいけないかも知れない。
子が親を凌駕したならば、親は甘んじて子の扶養家族になり、世の中からの「役割期待」を正確に受け止めて、現在の力量にあった役割を果たす、という道もあるのではなかろうか。