念願叶って・・・納屋整理

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 家に隣接した状態で納屋がある。
 戸板がはがれてきて、修繕をしようと友人のライフサービスに相談をした。
 曰く「柱の中にシロアリが入り込んでおり、そのうち傾く、戸板の手直しでは何の解決にもならない」という見立て。
 突如、納屋を建て直さなくてはならないことになった。
 市道をはさんだ向かいにもう一つ納屋がある。
 5年ほど前に父が購入したものだ。
 我々の引越し荷物は、とりあえずそこに放り込み、ついでに手前の方を駐車場として使っている。
 向かいの納屋には2階部分があり、そこにも色々と荷物を放り込んだ。
 建て直さなくてはならない「家の横の納屋」にも2階部分がある。
 そこには、大学時代の教科書以来、人事異動で転勤になって片付けきれずに放り込んだ昔の文庫本やらなんやら、本が山のようにある。数えたら段ボール30箱分にもなっていた。
 そのほか、ものを捨てられない両親のストックも山ほどある。
 使わないのに捨てられない。
 なのに使わないから、さらに使い物にならなくなっていく。
 徐々にゴミと化す。
 納屋はいつの間にかゴミ箱になっていた。
 しかし両親からするとそれらはゴミではなく、仮に置いてある生活必需品なわけだが。
 とにかく、一つの納屋がしばらくの間消滅するわけだから、それらのものを整理しなくてはならない。
 背に腹は変えられなくなった。
 実は去年のGWに納屋の整理というのを一つの目標にしていた。
 一昨年のGWを迎えるときもそう思っていた。
 結局毎年何にも手付かずだった。
 今年こそ、と今年は思っていた。
 そこへ今回の建て直し騒動である。
 天から機会がめぐってきた。
 このチャンスを生かさない手はないと思い、先週末から下調べを含め、着手した。
 整理と同時に大量のゴミも捨てなければならない。
 というか、それを名目に捨てようよ、というわけである。
 先週末、ざっと全体を見回し、どういう手順で何をどこへ置き、リサイクルショップには何を持っていってもらい、自分でゴミ処理場に持っていくのはどうして、とあれこれ工程の設計をした。
 我が家の子らは、大学生と高校生のおのこである。
 今日は二人の子どもたちにも手伝ってもらい、母や妻には本当に使うものだけを残すための検分をしてもらい(珍しく妻も休みだった)、大体の絵図面で工程を説明し、朝から一気呵成にやった。
 二日はかかるかと思っていたが、思いのほか子どもたちの働きが良く、大変はかどった。
 子どもたちにはそれぞれ用事があり、半日ずつの手伝いだったが、結局夕方五時すぎに全ての荷物の移設、ゴミの仕分けが終わった。
 大変疲れたが、こんなにスムーズに行くとは思ってもみなかった。
 子らに感謝である。
 機会にも感謝。
 妻と母にも感謝。
 来週は山のような本の整理だ。
 処分すべき本も相当あると思う。
 それらはBOOK OFFかな。
 処分できない本は、建て替えた納屋に入れよう。
 ゴミはGW明けの週末に処理場に持っていく。
 とにかく、積年の願いが今日、一気に片付き、大変心地よい。(ちょっと腰が痛いけど)

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BIZねっと勉強会の感想

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 今日は敷居の低い異業種交流&勉強会「とやまキトキトBIZねっと」の第15回の例会だった。
 「カラーユニバーサルデザイン」という、色に関して、なるべく多くの人にきちんと情報が伝わるようにしようという動きに関する講演だった。
 色の情報が正しく伝わらない人・・・いわゆる色弱と言われている人が、男性の場合20人に1人いるらしい。
 と、いうことは・・・。
 それらの人に正しく情報が伝わるように、たとえば商品のパッケージの背景色と文字色を工夫することで、最大5%の売上増加が見込める余地があるということだ。
 いや、なんでも商売のネタにする発想はね、とたしなめられるかも知れないが、ビジネスマンとしてはそういう目で色んなことを考えることも必要だと思う。
 さらに、某清涼飲料水メーカーの商品は、黒い飲み物を透明のケースに入れ、赤い文字で商品名を表しており、色弱の方々にとってはとても見にくい、というより、ほとんど読めないようである。
 わかっていてそうしているのか、気づかずにしているのかはわからないが、逆に、カップ麺でもケースの色を工夫して、文字がしっかり読めるように配慮しているものもあるようだ。
 赤の背景色に黒の文字、などほとんど見えないそうだ。
 どうしても赤が好きなら、せめて朱色かオレンジ色にしなさい、と講師は言っていた。
 微妙な違いだが、それで随分見えるようだ。
 ビジネスの現実の世界では、しっかりそういうことを考えながらパッケージングしているものもある、ということをしっかり認識して、これからは色んなものを見ていきたいと思う。
 と感じた今日この頃である。
とやまキトキトBIZねっとのHPはこちら。

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トイレにボチャン

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 今日、久しぶりに、トイレに携帯電話を落とした。
 ぼちゃん。
 ではない。
 がちゃん、と言った方が正確だ。
 トイレと言っても大便器ではなく、小便器だからだ。
 従って、6年ほど前に京都の鞍馬寺の前の売店の公衆便所(大便器)に落としたときほどの汚れはなく、きったねえ、といったショックもない。
 すぐに水洗いして、オッケー!と思っていた。
 ところが、帰りがけ。
 電車からかみさんに帰るメールをしようとしたら、キーを打っても字が出ない。
 あちゃー。
 しっかり水が中に入り込んでしまったみたいだ。
 トホホ。
 仕方なく、帰ってすぐに、バッテリーやメモリーカードを外して冷蔵庫へ。
 丸一日も入れておけば乾燥するだろう。
 だめなら保険に入っているし、と思ってはみるもののやはり愛着があるし、これまでのデータは消えてしまうものもあるだろうから、やはりちょっと困る。
 なんとか復活して欲しいものだ、一晩で。

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仕事ができる幸せ

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 仕事は結構大変である。
 上司は鬼のように厳しく、せっかちでコロコロ優先順位が変わる。
 ありえないくらいに方針がわかりにくい。
 そういう人の下にいるのでさぞかし大変だろうと思う。
 実際大変だ。
 しかし、ふと思う。
 まがりなりにも健康で、普通に仕事ができるというのは有り難いことだ、と。
 今日外出した折、国道脇の石の囲いに入った仏さまに手を合わせている人がいた。
 近くには県立富山中央病院がある。
 自分は健康で、普通に仕事ができている。
 仕事がしたくても、体の自由がきかず、できない人も大勢いる。
 仕事がしたくて、体の自由がきいても、働く場所のない人も最近は多い。
 そういう中にあって、自分は普通に仕事をさせていただいている。
 なんと幸せなことか。
 鬼の上司がどうしても気に入らなければ、企業倫理ヘルプラインに電話すれば良い。
 数日以内に自分の首が飛ぶか、上司への注意のどちらかがあり、いずれにしろ状況は変わるだろう。
 とりあえず首が飛ぶことの覚悟さえできておれば、恐いものはない。
 そう肚を据えてから仕事に臨めば、全てこれ経験として楽しむことができる。
 いけないのは、過度なスピード、過度なプレッシャー、過度な量。
 こういうものを要求する上司はだめだ。
 でも多くの日本のサラリーマンは、そういう状況にあっても、客観的にものを捉えられないかも知れない。
 なんてったって、日本の社会は「ムラ社会」であり、自分のいる共同体のルールが全ての規範に優先すると錯覚しているからであり、しかもそれはほとんど錯覚ではなく、自分をもまた周囲の人をも縛りつけ、現実になってしまっており、そこを出たら死んでしまうというふうに思ってしまっているのだから。
 う~ん、狭いニッポン、せせこましいことだ!
 ともかく、自分は今、このしんどい状態を楽しめているし、仕事を普通にさせていただけていることに心から感謝している。
 ありがたいことだ。

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夜桜満開

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 最近、退社時間が午後9時を過ぎることが多い。
 ということをまともに書くと、サービス時間外の問題となるので、あまりおおっぴらには書くわけにはいかないのだが・・・。
 今日も、退社したのは午後9時20分過ぎ。
 富山市の中心部を流れる松川。
 その川沿いには多くの銅像が立ち並ぶ。
 その銅像たちのたもとで、そこかしこで、今宵は人々が写真を撮ったり、夜桜を楽しんだりしていた。
 おお、そうか、桜が満開になったのだ。
 と、一人感懐にふけりながら、駅への道のりを急いで帰ってきた。
 今年はいつもより早いのかな、桜。

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生きて行く上で力になること

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 なぜ勉強ということが必要なのか。
 子どもたちの将来に思いを馳せ、考えてみた。
 生きて行くためには、色々実行しなければならないことがある。
 食事をしたり、寝たり運動したり、という本能的なことはもとより、それ以外にも、人として学んでいかなければならないことや守るべきことなどがある。 
 実行すべきこととしては、
  学生時代は学校の勉強
  社会人になってからは学校の勉強をベースとした専門知識
  新しいことを学び続ける意欲と吸収力
  健康であり続けるために必要な体力
  人として生きていくための人間性
  ルールを守る当たり前の常識  などであろうか。
 そして、それらの行動を下支えする態度としては、
  日常的な不断の努力
  挨拶・態度
  執着心 といったものが大切なのではあるまいか。
 できないことは努力で克服できる。努力し続けないことがいけない。
 頑張ってもできないことはある。しかしできるはずなのに努力しないことを、私は最も憎む。
 態度の背後には、持つべき「心」や「生きて行く上での姿勢」といったものがあるのではなかろうか。
  前向きな気持ち
  明るさ
  いい意味での欲望
 こういったものが、様子ににじみ出てくるし、それが行動にも表れ、結果にもつながるというのが、これまで私が生きてきて感じることである。
 そしてそういういことを、ここ数年間子どもたちに伝えてこなかったことを反省している。
 反省を踏まえ、これらを文字にして子どもたちに語って、書いたものを渡した。
 少しでも父の経験や失敗や反省が子どもたちに伝わればと思う。

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親戚の皆様への感謝と子らへの激励

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 子どもたちがともかく進学することとなって、妻の実家や親戚からお祝いをいただいた。
 ありがたいことだ。
 先週から今週にかけて、一通りお礼の挨拶に妻と子どもたちともども行って来た。
 最近は親戚といえども、それほど日頃行き来があるわけではない。
 そのため数年ぶりという疎遠状態であったが、皆さん喜んでいただいた。
 ありがたいことだ。
 さ、明日からいよいよ上の子は大学生。
 当面は家からの通学ということでほっとしている。今日は新しいベッドを一緒に組み立てた。
 下の子は水曜から高校生。
 二人とも今までのように、家から5分、ではなく、電車に乗って30キロぐらい離れた学校への通学だが、心新たに取り組んでくれることと思う。
 二人の新たな門出に祝福とエールを。
 がんばれ。がんばれ。

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北陸の古刹「千光寺」

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 子どもたちの進学先が曲がりなりにも決まり、妻の休みと私の休みが久しぶりに一致し、今日は花見だ、とばかりに富山の向こうまで出かけた。
 どこがいいかなあと思っていたが、最近ちょくちょく砺波方面へ出かけることがあり、その際に通る359号線という国道沿いの「千光寺」という鬱蒼とした境内が気になっていたこともあって、そこまで足を伸ばした。
 大阪に住んでいた頃は、一月に一回は必ず奈良か京都のお寺に出かけていた。
 それが私にとっては疲れを癒す治療剤になっていたような気がする。
 富山に帰ってきてから、地元なので住んでいること自体が癒しになるはずだが、なかなかビジネス社会の厳しさからか、精神的な疲れが取れずにいた。
 今の職場に移ってからも、勤労時間は減ったものの、資本主義社会の最前線にいて、精神的に安らげることはそう多くはない。
 そろそろ奈良か京都にでも出かけなければなあと思っているが、そんな時間もとれずに、ちょっと鬱屈がたまってきていた。
 そんな折の千光寺である。
 初めて行ったが、なかなか趣の深い、良いたたずまいであった。
 聞くと、なんでも創建が大宝三年、西暦で言うと703年、北陸最古の古刹だという。
 北陸28番札所との掲示があった。
 入り口のところに、石仏が沢山並んでいた。
 仏様のそれぞれの台座のところには、「第一番・・寺」などと彫られていて、岡寺や長谷寺、清水寺など、馴染み深い寺の名前があった。
 朝日町の護国寺と同じである。
 しかしその上の仏様方は、結構古く、顔が削り取られていたりして判別できないものも結構多い。
 台座の寺の名前も全く読み取れないものも多い。
 そんな中にあって、このお寺の石仏群は、千手観音らしき仏像が多いことに気づいた。
 数えてくれば良かったが、33体あるうちの三分の一ぐらいが千手観音ではなかろうか、と思う。
千手観音
 案内表示順に従って境内に至る。
千光寺参道
 京都嵐山あたりの古寺を思わせるような参道である。
 気持ちいい。
千光寺境内
 ここは比叡山か、と思わせるような木立のたたずまいである。
 気持ちいい。
 中にある様々な仏様は新しいものもあるが、古いものも相当沢山あるようだ。
 観音堂から中に入り、閻魔堂で閻魔さまやらその他の仏たちの恐ろしい形相をひとしきり見て(実は皆すべて仏さまの別の姿らしいのだが・・・そういう意味では、金峯山寺の明王たちとその後ろの建物にいた三体の仏さまたちを思い出さした)、本堂へ至る。
 本堂には、中央に大日如来、両袖の後ろの方に、弘法大師と地蔵菩薩が安置されていた。
 地蔵菩薩は扉が閉まっていたが、右手後方の弘法大師のところは扉が開いていて、中が垣間見えた。無心に拝んでいたら、ふと目の前を光がよぎった。どういう意味かはわからない。一瞬の光芒であったが、一瞬の弘法だったのかも知れない。なんてだじゃれを言ってる場合じゃないか。
 とにかく、久しぶりに癒されたひとときであった。
 感謝感謝。

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ブログ開始からまる一年

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 ここのところ四、五日続けてビールを飲んでいる。
 やばいかも。
 今日はエイプリルフールなのにまだ嘘をついていない。
 やばい。
 仕事が忙しくなってきた。
 サービス超勤当たり前・・・前と一緒ではないか、と思う。
 でも前の会社では恐らく得られないであろう力を毎日吸収している。
 それも、ただで、いやお金をもらって、である。
 財務だとか金融だとかの知識と色々な経営者との接触による、現場の生々しいお金と経営に関する実地体験である。
 すごいパワーだ。
 これはとにかく感謝、である。
 ブログを始めてから、今日で丸一年だということに、今、書きながら気がついた。
 早いものだ。
 これからも「勝間和代精神」に則って、自分の意見を発信していこうと思う。
 読者を意識しているようなしていないような、自己満足のような誰かに聞いてもらいたいと思ってやっているような、なんだかフワフワした感じではあるが、とにかく書き続ける。
 次男坊との英語交換日記は今日も続けている。
 2月22日から始めたので、もう1ヶ月以上続いている。
 これもそれなりに凄いことだと思う。
 時々書かない日があるが、そんなことは気にせず、とにかく続ける。
 続けることが大事だ。
 続けることがパワーになる。
 明日も頑張ろう。

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