下の子どもの携帯音楽プレイヤーが、あわれ洗濯機のえじきになってしまい、修理に出そうと電機店に行った。
概算で見積を聞いたところ、買うほどの値段を言われた。
まあ2年前のものだから、今から直すのなら、新しいものを買ってもいいかと思い、息子と話をして、彼にも少し負担をさせるということで、新しいものを購入した。
そのついで、というわけでもないのだが、2年前から欲しいと思っていたiPodの通信機能のあるやつ、つまりiPhoneを購入した。
番ポして今の携帯から携帯電話も換えるという手もあったが、ドコモの親会社への長年の義理のある身として、魂まで譲り渡すわけにはいかない(というほど大袈裟なものではないかも知れないが)。
従って、新規ということで購入した。
帰ってきて半日iPhoneで遊んだ。
大変楽しい。
操作性がバツグンにいい。
今までの携帯電話はなんと固いことか。
使う人の使いやすさを主眼に置いた機械である。
大人のおもちゃだ。
やはりドコモはアップルと組むべきだった。
大きな戦略誤りではないか。
これだけ完成度の高い大人のおもちゃは、日本人のアイディアではなかなか開発できないように思う。
ドコモは国粋技術でずっとやってきたが、それでは立ち行かぬほどに国際化が進んでいる。
この機械一台で、メール、インターネット、ゲーム、音楽、写真、映画、と色んなことができる。
のみならず、使う人の利便性(コスト)を考え、家庭では、無線LANのルーターがあれば、そこと直接アクセスしてくれ、いわゆる携帯電話としての利用料はかからない仕組みにしてくれている。
そうなれば、家の中では料金のことは何も心配せずにブラウジングできる。
簡単な調べものなら、ノートパソコンを開かなくてもいい。
外へ出たら携帯電話としてのインターネット接続にならざるをえないが、これはこれまでの携帯電話と同じである。
しかし、外は外でも、最初から公衆無線LANのアクセス用ソフトが入っている。つまり、NTT等の戦略では、ノートパソコンに無線LANアダプタをつけたり、公衆無線LAN用のアダプタで無線アクセスをさせる仕組みだが、iPhoneはそういう機能が全部、オールインワンで入っているのである。
だから、マック(全国のマックにソフトバンクの公衆無線LAN設備があるとのこと・・・全部の、ではないが)に行けば、通信料金(パケット料金)を意識せずにインターネットができる、というわけである。
つまりつまり、iPhoneとソフトバンクは、無線と有線の垣根をこの機械でやすやすと越えてしまった(いわゆる「FMC」)のである。
まいったたまげたとはこのことだ。
日別アーカイブ: 2009年4月29日
守りたいもの、変わらないもの
昨日は職場の同僚を残して、午後7時半に退社。
年明けから約束していた友人との飲みに。
2月には会おう、3月には会おう、4月には・・・と言って伸ばし伸ばしになっていたが、ようやく実現し、それでも遅刻40分。
あかんなあ、と詫びを入れつつ、駅前の居酒屋で乾杯。
共通の思い出がある
三木聖子さんの「まちぶせ」に関わる思い出である。
夕暮れの教室で、同級生がいる中で、突如三木聖子さんの「まちぶせ」を二人で手拍子しながら歌っていたことである。その後石川ひとみさんがリバイバルしたが、「断然三木聖子のまちぶせがいいっ!」と長いことお互い思ってきた。
そしてその情景や「三木聖子のまちぶせがいいっ!」ていう思いは、あの秋の夕方、同じ教室で同じ時間を共有していたはずの、他の十数人の同級生にすら共有はできない感覚ではないかなと思う。
昨年暮に仙台へ出張した彼は、三木聖子さんのやっているスナックに偶然行き、三木聖子さんに会い、三木聖子さんの生の「まちぶせ」を聞くことができ、三木聖子さんの写真を撮った、というセレンディピティそのものの体験をしている。
その感動を分かち合える喜び。ちょっと誇らしい気持ちだ。
私の頭の中で、また中2の秋の教室のシーンがまざまざとよみがえって来た。
ありがたい。
ところで、彼と二人で飲むのは、それぞれの結婚が決まったとき以来、21年ぶり。
その後、お互いの子どもたちが小学校1年のときに立山山麓家族旅行村のバンガローで泊まって家族一緒に食事をしたときからしても、10年以上あいている。
それでも会えば、一気に中学時代の心と状況に戻ってしまい、私はあけすけに全開放となってしまう。それこそ、全部さらけだしてしまう安心感というかやすらぎ感というか甘えというか・・・たぶん甘えなんだろうなと思う。
仮面や飾りというようなものを人は年を経るに従い、知らず知らずに身にまとっていく。
人によってはそれが過度になり、それで自分を守ろうとする。
弱い人間ほど、まとうものが多く、そのうち自分でも何が飾りで何が自分の生身の姿かがわからなくなってしまうのではないか。
世間の人は知らないが、自分は弱い人間だとつくづく思う。
自分をあけすけにさらけだし、甘えられる(どんなアホなことを言っても、笑って見てくれている)間柄の友人がいる、ということは大変ありがたいことだ。
そういえば、中学の頃も私のやっていることを見守ってくれていたような気がする。
後ろで見守ってくれている羅針盤のような自立性を持っているのだ。
しかし、こちらからの甘えだけの依存ではなく、大事にしていかなければならない。
さて解散後、彼は1時間かけて富山市郊外の自宅へ歩いて帰って行った。
相変わらず、静かだがきりっとしたポリシーの持ち主だ。
製材所は大変ゴホンゴホン
今日(4月28日)、経営相談会ということで、某市の製材所にお邪魔した。
日曜にひいた風邪は、葛根湯のドリンク剤とバファリンと「ぐったり夕睡」で当日中に直すことができた。最近のバファリンは本当によく効く。ありがたい薬だ。
さて製材所の話に戻る。
着いた途端に、駐車場までおかくずの粉末がブワーっと舞っていて、霧か黄砂かおがくずか、といった有様で、いやあな予感がしていた。
お客様の会社の応接室に通され、社長と名刺交換。
なんだか、喉がムズムズ。
とりあえず景気の話だとかロシアの関税が一服している話などから入り、次第に当のお客様の業況に入り込んでいこうとした矢先。
げほっ。ごほんごほん。
と喉が詰まったような変な咳。
えっ?
風邪は完全に治り、昨日も元気に仕事をしていたはずだから、風邪じゃあねえだろう。
もしかして、今はやりの××インフル?
・・・声が出ない。
と、正面を見ると、当の社長「こいつ、もしかして××インフルではないか?」的な顔をして眼鏡の奥から金壺まなこでこっちを覗き込んでいる。
さも「マスクせえ、マスクを!」とでも言いたげな顔である。
こっちはこっちで、就職試験に訪れて、面接官との会話がかみあわず、ばつの悪い状態になっている大学生のような気持ちになり、あせってしょうがない。
心の中では「誰が好き好んで喉を詰まらせるか。お宅のオガクズのせいだと思う。それに気づいて、なんか言えば?」と怒鳴りたい気分になりつつ、必死で会話をつなごう、そのために普通に発声しようともがいている。
結局、出されたお茶をごくっと飲み干し、なんとか声は元に戻ったが、まあ、ばつの悪いことといったらありゃしない。
その後訪れた別の企業でも、突如喉がごそごそして咳が出て喉がふさがるような感じになり、会話が出来なくなる事態が発生した。
たぶん、あの材木挽き工場でのオガクズの空中散歩連中が私の喉にべたっと貼り付いて、悪さをしたのだろう。
いがらいがら。
製材所にはもう二度と行くもんか(仕事でさえなければ)、と心に決めた連休前のひと時であった。