昨年暮にNHKテレビで「名曲探偵アマデウス」とかいう番組をやっていた。
てっきりモーツァルトを探偵に仕立てて何か中世ヨーロッパの事件を絡めるようなドラマかと思って、一回だけだったが録画しておいた。
モーツァルトではなく、筧利夫氏が「天出臼夫」(アマデウス オ)という名の探偵役であった。
ま、それはいいのだが、その回はドヴォルザークの偉大なるシンフォニー「新世界より」であった。
高校2年の時だったか、FMラジオで偶然聞いたのが最初だった。
カール・ベームというドイツ人が指揮するウィーン・フィルの演奏だったように思う。
ベームという人は、モーツァルトを振らせたら当代随一と言われていた人だった。
その時の演奏はモーツァルトではなく、ドヴォルザークであったわけだが、そんなことを知らない私にとっては、それが初めて大感動したクラシックであり、交響曲というものはすごいものだなあと思ったものだ。
就職してからバロックなども聞いたが、ダイナミック、人の魂を震わすという点で「新世界より」以上にすさまじい曲は聴いたことがない。
久しぶりに、録画したそのテレビで第4楽章を全部聞いたが、相変わらず大きな曲であった。
感涙。
日別アーカイブ: 2009年3月20日
我が家の「春」
春分の日を迎え、我が家では、4月からの子どもたちの進む道がようやく決まった。
上の子は、富山市にある私立大学で、教員養成の学部に進む。新設学部だ。学力のレベルははっきり言って大変低いが、新しく作られた学部であり、学校としても力を入れて行くだろう。しかし何よりも本人がこれから真剣に自分のなりたい職業に向かって現実的な努力をすることが必要だ。親があれこれ心配して与えるのではなく、自ら必要なものを先取りして獲得していくようになってもらわなければならない。
下の子も、富山市にある私立高校。県立の普通科に入る力がないと判定され、かといって職業科には行きたくないということで、県立の願書を出す少し前に意思決定(県立は受験しないと)した。蓋を開けると、定員に満たない県立普通科もあったため、ありゃあと思ったが、それはやむを得ない。大学に行きたい、と今頃言っているありさまではあるが、進学に関して熱心な学校だし、塾も続けて自分の不足点を補って行きたいと言っているので、塾の先生にも個別のプログラムをお願いしたところであり、親としてできる限りのバックアップをしていきたい。
ピリピリしていた1年間が過ぎたわけだが、ピリピリしていたのは私と妻と双方の両親。
子どもたちはどこ吹く風、であったように思う。
親の立場からすれば満足の行く結果にはならなかったし、子どもたちも志望校を落とし続けなければならなかったので精神的にはしんどかっただろう。また、これからの彼らの人生を考えたらまだまだ不安で一杯だが、過ぎ去った時間はどうにもならない。
前を向いて生きていくしかない。
二人とも十代。
一人立ちをした後に、どんな人生が待ち受けているかわからない。
幸い、荒波にもまれていく手前の、まだモラトリアムの時間だ。
少しでも荒波の手前で、波への対応力を持たせたい。
そのために、本物の学力、生きる力をつけてもらいたいと思っているが、マンガとゲームではそれは覚束ない。
そういうことに、上から押し付けずに気づかせることが、5年間仕事にかまけて子育てから逃げてきた私の責務ではないかと思う。
しかし、すっかり自我も確立しているようなこの子らにどうやって気づかせたら良いものか。
口やかましく言えば言うほど、心は遠のいてしまう。
かと言って何も言わなければなかなか伝わらない。(背中で教える、というのはやってきたつもりだが効果があったとは思えず、そのため結局口やかましくなってしまった・・・)
彼らと接触する時間を少しでも持ち、お互いに色々と話をしていくこととに尽きるのではないか。
やれるだけやろうと思う。
前を向いて進もう。
半村良さんの講演
語り部(かたりべ)という仕事がかつて我が国にはあったらしい。
昔から伝わる説話や神話を語り伝えることをなりわいとしている人々のことであるらしい。
さて今から30年ほど前、高校生のときに、この魚津という田舎町に流行作家の半村良さんがやってきた。
文芸春秋主催の「文化講演会」というようなものではなかったか。
講演者は、半村良さんのほかにもう一人いたが、覚えていない。
話はすっかり忘れてしまったが、1時間ぐらいの講演で、ご自身のある体験談だったように思う。
聞くほどにどんどん引き込まれて行き、話しておられる内容が目に浮かぶような感じだった。
ところが、最後に、これらは全部夢の中の出来事だった、というオチで、一気に現実に引き戻されるような、目の覚めるような話の展開だったような気がする。
その急転直下の展開があまりに鮮やかだったので、しばらくはぼうっとしていた。
半村良さんが、冒頭に書いた「語り部(かたりべ)」にかこつけて、「嘘部(うそべ)」というようなキャッチフレーズで文壇におられ、その小説は語り部が語るが如く、虚構なのに現実世界を細部までこと細かく反映して嘘を構築する、ということはその時点では知っていたが、まさかご自身の講演でもそれ(虚構を巧妙にホントのようにつむぎだすこと)をされるとは、いやあ一本取られたなあという感じであった。
それ以来半村良さんの小説にのめりこみ、『産霊山秘録』や『石の血脈』『魔女伝説』などの伝説シリーズなど、いわゆる伝奇ものを読み漁った時期があった。
今日ラジオで「語り部」という言葉を耳にし、ふと、昔のそんなことを思い出した。
半村作品はまだまだ読んでいない人情ものやSF作品なども沢山あるので、これからも読んでいきたいものだ。(時間があれば)