オバマ新大統領の演説

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 昨日立ち寄った書店で偶然『オバマ演説集』が目に止まり、買ってしまった。
オバマ演説集
 人を魅了するすごい演説だと聞いていた。
 同じ韻を何度も踏むとか、声の質がバリトンで心地よいとか、色々言われている。
 テレビでちょっとだけ見ていてもよくわからない。
 ということで聞いてみた。
 明らかに違うのは、2004年の少しアルト調の声質と、2008年の低音が響く声質の違いである。
 別人の声かと思うくらいに違って聞こえる。
 まあそういうことはいいが、途中泣けてきた。
 英語などわからないが、なんだか魂を震わすような響きがあり、自分でも驚いている。
 CDを聞きながら、訳文を見ながら、ということをしてはいたのだが、英語がそのままわかるわけではもちろんない。
 なんだろう?
 アメリカは分断されようとしているが、実は一つのアメリカで、白人の国と黒人の国とヒスパニックの国とアジア系の国なんかがあるわけではない、一つの合衆国なんだ、自分たちアメリカ合衆国の国民はもっと色んなことができるんだ、と重ねて言っている。
 しかしべき論だけを言っているわけではない。税金を何に使うかどれだけ使うかという具体的なことも言っている。
 が、国が分断されている、という印象を持っているときの国民に必要なのは、一体感とか自信とか誇りといったものではないかと考えたとき、この人の主張は、その思いに渇望している人たちにとって大きな力になるのではないかと思った。
 それは、アメリカだけではなく、我が日本にも必要なことではないか。
 誇り・・・これはとても大事なことだ。
 一人ひとりの人間にとっても、国民という大きな単位の人々の共通の価値観にしても、また企業で働く仲間にとっても。
 オバマさんの演説がなぜこれほど大衆受けをし(ちょっと表現が下卑ているかな)、不利だと言われていた選挙戦を勝ち抜いてきたのか。
 そのヒントは、失望しかかっている人々に、自信と誇りを持って生きていくことを思い出させたからではないか。
 う~ん、我が国の政治家や経営者にこういう人が出てこないものか。
 部下を言葉で叩きのめす上司や他党をこけおろす政治家ばかりでは、社員、国民は自信喪失、うつになるばかりで、誰も力を合わせてこの大変な状況を立て直していこうとはならず、自分の権利や主張や生活を守ることだけに汲々としてしまうのではないかなあ・・・。
 モチベートということについて考えさせられたCDであった。

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異業種交流勉強会「とやまキトキトBIZねっと」新春セミナー大成功

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 昨日は、「とやまキトキトBIZねっと」という勉強会兼異業種交流会の開始1周年を記念しての「新春特別セミナー」があった。
 そもそも、主宰者のN氏が何人かの中小企業診断士や税理士に声をかけて仲間を募り、一緒に勉強会をやらないか、と誘ったのが始まりである。
 勉強会のイメージは、メンバーだけではなく、メンバーの知り合いや、知り合いじゃない人も含め、何か、今までとは違った出会いや刺激や気づきを求める人たちが気軽に集える会にしたいというようなもので、その主旨に賛同した、ほぼ同年輩のメンバーで運営をしている。
 通常は、毎月第二土曜日の午後3時半から、富山駅北にある「サンフォルテ」という公営施設の会議室を借りて2時間の勉強会をやっている。
 毎回色々な分野の人が講師を務めて下さり、1時間のプレゼンの後、お茶などを飲みながらざっきうばらんに講師への質問やら参加者の自己紹介やらをやっている。さらにその後、都合のつく人は、場所を移して(近くの居酒屋で)懇親会をやっている。この会のコンセプトは気軽に参加でき、来る者は拒まず去る者は追わず、ということで「敷居の低い勉強会&異業種交流会」と銘打っている。そのため懇親会もだらだらやらず、1時間きっかりで終わることにしている。これが継続する秘訣だろう。
 さて、この会も始めて1年が経過するということで、発起人であるN氏から、例月とは違うことをやろう、と昨年の8月頃に提案があった。
 してみると、かれこれ4ヶ月ぐらい準備をしてきたわけだが、例月のセミナーとは異なり、記念講演やパネルディスカッションをやろうということになり、京都で中小企業診断士として活躍している我々の先輩である「成岡秀夫氏」をメイン講師に迎えたり、司会はプロの人にお願いしようということになって、人づてに片野優子さんというフリーの名アナウンサーに頼んだり、とかなり気合の入ったものとなった。
BIZねっと1周年記念セミナー
 結局運営メンバーを含めて49人という多くの参加者を集めることとなった。
 企業経営者あり、個人事業主あり、サラリーマンあり、独立志望者ありと、様々な人が集まったわけだが、今回つくづく感じたのは、どの人も、ほとんど「たまたま」知人に誘われて、という感じで、たまたまのご縁で集まったというケースが大変多かったことである。
 縁というのは不思議なもので、本当に「たまたま」の重なりである。
 パネルディスカッションでも「色んな人に助けられて今日がある」というような話があったが、それにしてもやはり「たまたま」のご縁で、知り合った人が助けてくれた、ということもあった。もちろん、本人がそれを望んでいて、日頃誠実に人付き合いをして、という積み重ねや願望があって初めてそういうチャンスもつかめるものだと思うし、今回集まった人たちも、何か機会があればそういう場に出て知り合いを増やしたいとか、チャンスを待っている人たちなのではないかなと思う。
 それともう一つ。
 「そもそもなんなのか」という根源的な問いを常に持っていなければならないという話である。これはメイン講師の成岡氏が語っていたことであり、企業経営においても極めて重要な問いかけであるのだが、私も経営相談会の真似事をやっている中で色んな経営者の方とお話をするが、その「そもそも」何の為にこの事業をやっているのか、という問いに即座に答えられる経営者とそうでない方では、話の深みや真実味において大きな差を感じる。それがまた業績にも反映してくるのではないか。
 偶然の出会いを大切にし、はぐくみ、自分もそうだが相手にとっても何か役に立てるようなコミュニケーションを深めていく・・・こういうことが人を支えていく大切なものではないか、と思う。
 感謝。
 「とやまキトキトBIZねっと」のブログ:http://blog.livedoor.jp/kitokitobiz/

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セレンディピティについて

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 セレンディピティについて書こうかと思ったが、ちょっと遅くなったのでまたにする。
 世の中、色々不思議なめぐり合わせがあるものです・・・。

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腹回りは今日も・・・

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 昨日、新年初日でズボンのベルトがきつかった。
 ためになるべく歩くようにしたが、今朝も同様、きつーい朝だった。
 幸い天気が悪くないので、駅から会社までの片道15分は行き帰りともに歩くようにしている。
 明日も曇りということで、この季節にしては歩きやすいようなので、引き続き、極力体を動かすようにしよう。
 とにかく21日の人間ドックで、「あんた! 前より不健康になったじゃない!」とだけは言われないようにしなくては・・・。
 さあデブ2日目がふけてゆく。

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油断!気づいたら、デブ・・・。

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 わずか5日ぶり、であるにもかかわらず、今朝ズボンをはいたら異変があった。
 ベルトが大変きついのである。
 たった5日、仕事に行かなかっただけである。
 こんなこと久しぶりだ。
 年末年始、たった5日しか休みがなかったのだが、よほど楽をさせていただいたのか、食べ過ぎたのか・・・。
 思い当たるほどの楽はしていない。
 そんなに酒を飲んだわけでもない。
 現に3日の夜などは酒を飲まなかったのだし。
 とすると、食べすぎか。
 確かにもちは浴びるほど食べた。
 2日の夜は妻の実家の家族と焼肉屋に行ってすき焼きをさんざんいただいた。
 そして、昼寝はそこそこにした。
 ああ、それが原因だな。
 今月21日は一年ぶりの人間ドック(但し日帰り)だ。
 メタボだ、と言われないように、ちゃんと体重戻して行こう。(反省!)

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今年最初の遠出

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 急に少し遠出をしたくなり、妻を誘って高岡の瑞龍寺に行って来た。
 魚津から国道で1時間あまりだが、瑞龍寺に行ったのは初めてである。
 加賀藩二代藩主の前田利長の菩提をとむらうために、三代の利常が建立したもので、最近国宝になった曹洞宗の寺である。
 寒い時期であり、いくつかある駐車場の、一番入り口に近いところに車を止めることができた。
 来客はそんなに少なくはなかったが、たぶん、関西方面からの一個団体があったためであろう、JTBの観光バスツアーと一緒になった。
瑞龍寺
 境内は、そんなに色んなものがあるわけではなかったが、私の関心を惹いたのは、石廟というところである。
 回廊を左から回って中ほどに行ったところからさらに左のくぐり戸を通って入るところである。
 中に5つの石の墓があった。
 まつられているのは寺の主である「前田利長公」、建立者である「前田利常公」、そして「織田信長公」、「信長夫人」、「織田信忠公」ということであった。
信長墓所
 不思議だったのは信長及びその妻子の墓であり、そばにあった説明板に「本能寺の変の後、信長公父子の分骨を得て・・・」と書いてあったことである。
 織田信長の遺体は見つからなかったというのが定説であり、そうならば、分骨などありえないことだが、まあ、寺の言い伝えでそうだというのならそうなのだろう、と思って礼拝し、後の工程を回った。
 久しぶりに妻と語らいながらのドライブと思ったが、日頃の疲れのせいか、彼女が起きていたのは瑞龍寺の中だけで、後はぐっすりおねむの人だった。

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2009年「我が家の方針」

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 子供たちに守ってもらいたい方針を昨年の途中から家の中に貼っている。
 細かな計画や目標は今日明日で作ろうと思っている。
 「方針」は今回の場合、大晦日に作り、子供たちに主旨を話して、元日早々に貼り付けた。
 今年の「方針」は次のとおり。
 ①夢を持つ
 ②計画をする
 ③実行する
 ④思いやる
 ⑤確認する
 ⑥倹約する
 夢を持つということばかり言っていると、夢で終わってしまう危険があり、少年期の子供たちにそういう上滑りなことを教えてもなかなか伝わらず、結局「夢」だけで終わってしまうのではないかと思い、これまで「夢」について語ることは封印してきた。
 しかし、ここのところの自分自身の行動や、子供たちも受験という厳しい現実にさらされ、「夢」を思い描くだけでは現実は変わらないということを身に沁みて感じてきたはずだ、と思い、そろそろ封印を解いて、語っても良かろうと思い、「夢」を冒頭に挙げることにした。いや、むしろ、子供たちの気持ちをアクティブに前向きに向かわせるための励ましの気持ちもある。
 昨年は
 ①思いやり
 ②確認
 ③節約
 ④勤勉
 としていた。(名詞と動詞の語感の違いも意識した)
 子供たちの自分勝手な言動が目に付いたため、冒頭に「思いやり」をもって行動してほしいという気持ちを伝えた。
 元々いい子達なので、わかってくれていたし、わかっているのだが、やはり思春期の少年たちだから、思っていても言葉や行動はウラハラということが往々にしてあったのだろう。
 しかしおかげで最近は言葉や動きに少し思いやりが見えてきたので、大晦日に「ありがとう、おまえたちの行動は変わってきた。思いやりが見える。不必要ではないが、二人ともわかってきてくれているので、来年は少し順位を落とす。」ということを話した。
 節約については、時間、お金、エネルギーを大切に、ということを言ってきたが、まだまだなので、昨年以上に厳しく「倹約」という表現にし、子供たちにも再度念押しをした。
 そして「夢」「計画」「実行」について。
 一見「勤勉」を削ったようにしているが、私の中では「勤勉」を解きほぐすとこうなる、と説明した。
 自分は何をしたいのか、何の為に生きているのか、何をもって世の中に貢献するのか、それが「夢」である。自分を動かす本当の原動力だと思う。
 「夢」を持ったら、それに向けて行動する必要がある。
 行動なくして夢の実現はありえない。
 但しやみくもに行動しても夢に向かうとは限らない。
 たまたま近づくことは出来るかもしれないが。
 ゴールを定め、それに一歩一歩向かっていくための「計画」が必要だ。
 これまた同じことだが「計画」を立てるだけでは画餅に終わってしまう危険性がある。
 すぐに「実行」することが大切だ。
 できることから一歩ずつ。
 トライアルも良し。いきなり計画に入らず、どんな具合か、どれだけの時間がかかりそうか、実験してみた上で計画に落とし込むも良い。
 いずれにしろ「計画」を立て、「実行」する。
 これで始めて「夢」に近づくことができる。「夢」を実現することができる。
 そんな話を大晦日の夜に子供たちに語った。
 自分への言い聞かせでもある。
 子供たちは「また貼るの?」と苦笑いをしていたが、いつかわかってくれるだろう。

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三木聖子さんの「まちぶせ」と底流でつながっている友人

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 中学2年の秋のある夕方、部活を終えてだったか、委員会活動の途中だったかは覚えていないが、教室に戻ったら、何人かのクラスメートが残っていた。10人ぐらいいたか。
 そのときに突如、当時流行っていた、三木聖子さんの「まちぶせ」という歌を歌いだした。
 友人のO君と私が一緒に、である。
 O君が先だったか、私が先だったかははっきりとは覚えていない。
 歌いだしたのは私だったと思っているが、O君だったかも知れない。
 ま、そんなことはどうでもいい。
 要は突然歌が始まって、二人の男子生徒がアイドル歌手の歌で手拍子をとりながらコラボレーションした、ということである。
 そしてその歌を最後まで歌いきった。
 それから三十年以上たつ。
 その間、石川ひとみという人が「まちぶせ」をリバイバルで歌い、三木聖子さん以上の大ヒットを放った。
 石川ひとみの歌が流行っていた頃、元祖は三木聖子という人なんだということを周囲の人に語っても、誰も知らないと言っていた。共感のできない寂しさと、O君とは共感どころがコラボまでできたということが今も誇りになっている。
 そのO君から年賀状が届いた。
 仙台に出張したときに入ったスナックのママさん(という言い方が適切かどうかはわからないが)が、なんと三木聖子さんだったという話しだ。
 三木聖子さんが生で「まちぶせ」を歌ってくれたらしい。
 「お前、覚えておるか」というコメントが書いてあった。
 覚えておるかどころではない。
 今も三木聖子さんと林寛子さんは永遠のアイドルだ。
 先日もYouTubeで三木聖子さんを探して、「まちぶせ」を聞いたくらいだ。(レコードのジャケットだけで動画はないのだが)
 離れて暮らし、三十数年を経てはいるが、心の友とは底流でつながっているんだなという感じがして嬉しかった。
 今年は幸先いいぞ。

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