昔、アル・パチーノ主演の「スカーフェイス」という映画を観た。
アル・パチーノは成り上がりの麻薬商で、恋人役にミシェル・ファイファーという女優が出ていた。
アル・パチーノのような大物はちょくちょく色んな映画に出てくるので顔なじみだが、女優の場合、パッと出て泡沫のように消えてしまうというか、二度と日本でお目にかかることがない女優も結構いる。
ミシェル・ファイファーも、大変きれいな女優ではあったが、「スカーフェイス」以降お目にかかることがなかった。
さて映画の不思議。
ミシェル・ファイファーは、元々街娼だったのを、大物の麻薬商人が自分の彼女にして、それをさらにアル・パチーノが奪ったという役柄で、そのアル・パチーノが今度は落ち目になり、ミシェル・ファイファーが家を飛び出して街に戻ってしまう、その先は誰も知らない、といったような設定だったように思う。後姿がやけに印象的だったような気がする。
そんな映画の中の印象が、そのままミシェル・ファイファーという女優の印象になってしまっており、ああ、彼女はその後見てないが、きっと「街に戻って行った」んだろう、と思ってしまうわけである。
いや、そんなことはないはずであり、女優なのだから、ましてやアル・パチーノの映画の重要な脇役を演じたほどの女優なのだから、色々なテレビやコマーシャルや舞台や、さらには映画などに出ていて不思議はないのだが、日本に住んでいてアメリカの女優など見る機会がない者としては、映画のワンシーンがそのまま現実だと錯覚してしまうところがある。
そんな風に感じてしまうのは私だけかも知れないが、映画が現実とオーバーラップしてしまっていた。それくらい、やはり俳優の演技というものが真に迫っていたのではないかと思う。(くどいようだが、そんな風に感じたのは私だけかも知れないが)
そんな、嵐の中に飛び出していって二度と普通の世界には戻ってこないであろうと思っていたミシェル・ファイファーが私の目の前に現れたのは、いつのことだったか、ハリソン・フォードが悪役を演じた「ホワット・ライズ・ビニース」という映画があった。亭主に殺されてしまった奥様の役だったように思う。さらにその後、大阪単身時代、行き来のサンダーバードの中で観た「アイ・アム・サム」である。7歳の知能で止まってしまったショーン・ペン演じる知恵遅れの男が娘を児童養護施設から取り戻すために協力する弁護士の役だったか。これはかっこよかった。
・・・というような、役者の仕事をしていることを知り、ああ、女優だったんだ、と思った。
それくらい「スカーフェイス」の中での縁起が真に迫っていたということかも知れない。
ちょっと調べると、これらの他にも随分日本にもなじみの映画に沢山出演していることがすぐにわかる。う~ん、まだまだ映画観てないなあ・・・。
映画、演技の持つパワー
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