急に少し遠出をしたくなり、妻を誘って高岡の瑞龍寺に行って来た。
魚津から国道で1時間あまりだが、瑞龍寺に行ったのは初めてである。
加賀藩二代藩主の前田利長の菩提をとむらうために、三代の利常が建立したもので、最近国宝になった曹洞宗の寺である。
寒い時期であり、いくつかある駐車場の、一番入り口に近いところに車を止めることができた。
来客はそんなに少なくはなかったが、たぶん、関西方面からの一個団体があったためであろう、JTBの観光バスツアーと一緒になった。
境内は、そんなに色んなものがあるわけではなかったが、私の関心を惹いたのは、石廟というところである。
回廊を左から回って中ほどに行ったところからさらに左のくぐり戸を通って入るところである。
中に5つの石の墓があった。
まつられているのは寺の主である「前田利長公」、建立者である「前田利常公」、そして「織田信長公」、「信長夫人」、「織田信忠公」ということであった。
不思議だったのは信長及びその妻子の墓であり、そばにあった説明板に「本能寺の変の後、信長公父子の分骨を得て・・・」と書いてあったことである。
織田信長の遺体は見つからなかったというのが定説であり、そうならば、分骨などありえないことだが、まあ、寺の言い伝えでそうだというのならそうなのだろう、と思って礼拝し、後の工程を回った。
久しぶりに妻と語らいながらのドライブと思ったが、日頃の疲れのせいか、彼女が起きていたのは瑞龍寺の中だけで、後はぐっすりおねむの人だった。
日別アーカイブ: 2009年1月3日
2009年「我が家の方針」
子供たちに守ってもらいたい方針を昨年の途中から家の中に貼っている。
細かな計画や目標は今日明日で作ろうと思っている。
「方針」は今回の場合、大晦日に作り、子供たちに主旨を話して、元日早々に貼り付けた。
今年の「方針」は次のとおり。
①夢を持つ
②計画をする
③実行する
④思いやる
⑤確認する
⑥倹約する
夢を持つということばかり言っていると、夢で終わってしまう危険があり、少年期の子供たちにそういう上滑りなことを教えてもなかなか伝わらず、結局「夢」だけで終わってしまうのではないかと思い、これまで「夢」について語ることは封印してきた。
しかし、ここのところの自分自身の行動や、子供たちも受験という厳しい現実にさらされ、「夢」を思い描くだけでは現実は変わらないということを身に沁みて感じてきたはずだ、と思い、そろそろ封印を解いて、語っても良かろうと思い、「夢」を冒頭に挙げることにした。いや、むしろ、子供たちの気持ちをアクティブに前向きに向かわせるための励ましの気持ちもある。
昨年は
①思いやり
②確認
③節約
④勤勉
としていた。(名詞と動詞の語感の違いも意識した)
子供たちの自分勝手な言動が目に付いたため、冒頭に「思いやり」をもって行動してほしいという気持ちを伝えた。
元々いい子達なので、わかってくれていたし、わかっているのだが、やはり思春期の少年たちだから、思っていても言葉や行動はウラハラということが往々にしてあったのだろう。
しかしおかげで最近は言葉や動きに少し思いやりが見えてきたので、大晦日に「ありがとう、おまえたちの行動は変わってきた。思いやりが見える。不必要ではないが、二人ともわかってきてくれているので、来年は少し順位を落とす。」ということを話した。
節約については、時間、お金、エネルギーを大切に、ということを言ってきたが、まだまだなので、昨年以上に厳しく「倹約」という表現にし、子供たちにも再度念押しをした。
そして「夢」「計画」「実行」について。
一見「勤勉」を削ったようにしているが、私の中では「勤勉」を解きほぐすとこうなる、と説明した。
自分は何をしたいのか、何の為に生きているのか、何をもって世の中に貢献するのか、それが「夢」である。自分を動かす本当の原動力だと思う。
「夢」を持ったら、それに向けて行動する必要がある。
行動なくして夢の実現はありえない。
但しやみくもに行動しても夢に向かうとは限らない。
たまたま近づくことは出来るかもしれないが。
ゴールを定め、それに一歩一歩向かっていくための「計画」が必要だ。
これまた同じことだが「計画」を立てるだけでは画餅に終わってしまう危険性がある。
すぐに「実行」することが大切だ。
できることから一歩ずつ。
トライアルも良し。いきなり計画に入らず、どんな具合か、どれだけの時間がかかりそうか、実験してみた上で計画に落とし込むも良い。
いずれにしろ「計画」を立て、「実行」する。
これで始めて「夢」に近づくことができる。「夢」を実現することができる。
そんな話を大晦日の夜に子供たちに語った。
自分への言い聞かせでもある。
子供たちは「また貼るの?」と苦笑いをしていたが、いつかわかってくれるだろう。