映画「大いなる陰謀」

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 DVDをレンタルして、久しぶりに映画を観た。
 邦題が「大いなる陰謀」
 原題はたぶん「Lion for Lambs」というようなタイトルだった。
 ロバート・レッドフォードが作り、自らも出演している。
 他の主なキャストはトム・クルーズとメリル・ストリープ。
 観る前は、てっきりトム・クルーズが中心の役割なのだろうと思っていたが、どうもそうではない。
 陸軍士官学校を主席で卒業した超エリート上院議員のトム・クルーズが、テロとの戦いを終わらせるために、新たな戦闘を起こし、その戦争を終結に向かわそうというものだ。
 しかし実態はさにあらず。
 厳しい気象状況の中、敵地に赴いた新兵(大学教授役であるロバート・レッドフォードの教え子たち)を含む十数人のヘリ部隊は敵高射砲に打ち落とされ、最後にはロバート・レッドフォードの教え子たちは「戦争の最前線に立って現場で役に立ちたい」と志願して行った最初の戦闘で、真冬のアフガニスタンの高地であえなく敵弾に倒れる。同じヘリに乗っていた他のメンバーも、恐らく全員戦死である。
 その戦闘が行われているさなか、トム・クルーズは、ベテラン記者であるメリル・ストリープに、自らの戦略を滔々と語り、「敵は狂信的であり、絶対許さない、勝つためには手段を選ばない」とプロパガンダを行っている。そういうトム・クルーズの目が狂信的だったりする。
 結局ヘリ部隊がいけにえとなって、その「エサ」に釣られて出てきた敵兵士たちを、空爆で一気に叩き潰すことによって、その一帯の高地を獲得し、トム・クルーズの作戦は成功したことになる。
 それと同時進行で、ロバート・レッドフォードが自分の教授室に一人の学生を呼び、話をしている。
 学生はとても優秀だったが、途中からしらけてしまい、授業に出てこなくなり、このままだと落第する恐れのある人物。
 弁は立つが、何一つ現場の苦労を知らない。
 「政治家なんてのは、みんな・・・」と評論家になってしまっている。
 「何か現場に立って世間の役に立つことをしたらどうか、そうすればB評価を与えてあげる」と説得する教授に対して、ああでもないこうでもないと反論を繰り返し、結局何も動こうとしない学生。
 物語のお終いは、ロバート・レッドフォードが件の学生に対して「君はもう大人だ、自分で判断し、行動しなさい、来週の火曜日に授業があるから、そこで結果がわかる」と言い(たぶん、落第とか退学とかいう判決が下されるのだろう)、学生は「とんでもない過ちをしてしまったかな」という顔をしながら、反論ばかりしてきた自分を反省するかのようなそぶりで部屋を出て行く。
 彼がたむろしている学生会館ではテレビでニュースをやっており、トム・クルーズの企画した奇襲作戦が成功したというテロップが流れている・・・。
 という、3つの場面が同時進行でかわるがわる流れていく映画だ。
 淡々とした感じだが、なんだかメッセージ性の強い映画だ。
 マイケル・ダグラスの「トラフィック」という麻薬をテーマにした映画も淡々とした語り口だが強烈なメッセージがあり、しかも後味があまりよくない(テーマが重いので後味が良い方がおかしいが)映画だった。
 どうも、底流を流れるものは「トラフィック」と似たようなものであるような気がする。
 一体ロバート・レッドフォードは何を言いたかったのか。
 何かを言いたいがために、こういう映画を作ったのだろうと思うが、自らも三分の一ほど画面に登場し、穏やかな口調で、でも必死に若い学生を動かそうと説得し、最後はあきらめてしまう、という終わり方である。(学生の心には何か残ったような感じではあったが)
 彼が説得しようと試み、しかし説得し切れず、約束の時間が過ぎてしまった、当の「学生」は、見ている私たち、あるいは、彼が見て欲しいと思っていた「アメリカ国民」そのものなのかも知れない。
 とすると、アメリカ国民に対して、戦争に参加するのではなく、忌避するのでもなく、あおるのでもなく傍観するのでもなく、募金運動やボランティアなど、何か地道に人の役に立つことをすべきではないか、ということを訴えたかったのかも知れない。
 ちなみに原題の「Lion for Lambs」は、普通「一頭のライオンがいれば、後は羊たちであっても戦争には勝てる」というようなことに反して、今のアメリカの戦争は、元気のいい「ライオンたち」が頭だけで私利私欲にかられた「羊たち」を守るために前線で死んでゆく、というようなことを言っているようだ。(全ては私の勝手な解釈である)

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