不思議な符合(古代の神々の足跡)

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 先日テレビを見ていたら、邪馬台国に関する話をしていた。
 天照大神=ヒミコ、豊受大神=トヨ(又はイヨ)ではないか、というような話や、大和と出雲の密接な関係、大神神社(おおみわじんじゃ)のことなど、幅広くやっていた。
 昔のことはよくわからない。
 という前提ではあるが、色々想像をめぐらしてみるのは楽しいことで、ひとときの気分転換になる。
 この番組の中で、伊勢神宮の神様(アマテラス、トヨウケオオミカミなど)は元々丹後にいらっしゃって、その元々の地を「元伊勢」と呼び、そこのお宮の系図には「アマテラスさんやトヨウケオオミカミさんなどが書いてあるということだった。
 神社の名を「籠神社(このじんじゃ)」というらしい。天橋立の近くにあるそうだ。
 驚いたのは、その神社の境内に五つの色の玉がある、という話だった。
 しかもその色は「赤」「青」黄」「白」「黒」の五色であった。
 本物かどうかはわからないが、欄干のところにあるそれら五色の玉はカメラに映されていた。
 かつて日本の天皇の祖先が富山の皇祖皇太神宮というところにいて、その頃全世界には「いついろひと=五色人」が住んでおり、天皇の祖先はそれら「五色人」を統治していた、という伝承がある。
 竹内文書という古文書に記されているらしい。
 その五色というのが、「赤」「青」黄」「白」「黒」であると書いてあるのだ。
(五色のうち、「青人」は滅んだらしいので、現在はそれ以外の色の人しか残っていないとのこと)
 何か、偶然の一致にしては、と思えてならない。
 卑弥呼の頃といえば、歴史に記載されている時代なのだから、「日本の天皇の祖先がいついろひとを統治していた」という超古代からすれば、随分歴史を下ってしまうのだが、その頃の名残として籠神社に「玉」という形で残っているのではないか。
 などと想像をめぐらしてしまう今日この頃である。
 とりあえず一回行ってこよう、と思う。(まあ、暖かくなってからかな)

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小室等さんのこと

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 今日ちょっと買い物に出たときに、道中聞いていたラジオで小室等さんがしゃべっていた。
 午後3時少し前のことだった。
 結構張りのある元気そうな声だった。
 もちろん、病気だとかなんとかいうことは全く聞いていないので、元気であることに驚くことはないのだが、伝説のフォークシンガーであるだけに、元気に民放ラジオの番組を持っているということがちょっと驚きだった。(もう64歳ぐらいのはず)
 もう30年以上前に、井上陽水や吉田拓郎、泉谷しげるらとともにフォーライフというレーベルを立ち上げた、独立系でかつ商業ベースに乗せて成功することができた先人ではないか。ニューミュージックだとかJポップだとかいう人たちは、皆この人がいなかったら今は違う動きになっていたのではないかと思う。
 フォークの神様といえば岡林、とか、吉田拓郎はなんだとか、色々あるが、商業ベースに乗せて成功したという点で大変な人だと思う。
 個人的には、六文銭と一緒にやった上条恒彦の「旅立ちの歌」や「雨が空から降れば」とか「愛よこんにちは」などが大好きだ。
 取り立ててなにかというわけではないが、自分の少年時代に色々影響を与えてくれたフォーク界の第一人者の1人である小室等さんが、今も第一線でご活躍されている様子に感動して、思わず筆をとった次第。

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ビーチバレーボールその後

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 地区のビーチボールバレー大会から丸二日がたった。
 腹筋が痛い。
 腕の筋肉が痛い。
 何よりも太ももが痛い。
 歩くのがつらいほどだ。
 当日もくたくたに疲れて帰宅後シャワーを浴び、昼食をとってバタンキューとなって3時間も寝たため、おれはまだ若いなあ、その日のうちに疲れが出るくらいだから、と思っていたが、さにあらず、日を追うに連れ、痛みが増してきている。
 ビーチボールバレーがこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。
 年も考えず3試合も出たのだからしょうがないが。
(それも人数がぎりぎりだったからだし、出たというよりもみんなの足を引っぱっていたというのが正しい表現だが)
 とにかく激しいスポーツだ。
 次回はもう少し体を事前に動かしてから参加しよう。
 生きてるっていいことだ。
 体の痛みが生きていることの喜びを感じさせてくれる。
 夕方の懇親会は大変なごやかに楽しい会であった。
 町内会デビューもとりあえずはうまく運んだ。

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町内会行事への参加

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 今日は校下の体育行事があった。
 ビーチボールバレー大会である。
 当町内からは9名が参加。
 私にも声がかかり、参加させてもらった。
 私の参加するチームはAチーム、BチームのうちのBチーム。
 弱い方だ。
 もちろんそれで良く、勝とうということを目的にせず、楽しくでも頑張ろう、という感じでできた。
 結構疲れるものだ。
道下地区ビーチボールバレー大会
(この写真は本文と直接の関係はありません)
 まあ、それは良い。
 この土地に住み始めてかれこれ30年以上経過するが、町内の人の名前と顔が一致しない。
 ほとんど知らない。
 向こうも私のことなど知る由も無い。
 実際に生活したのはここ2年ほどを含む10年程度であり、住んでいる間も、平日は早朝出勤の深夜帰宅、土日も仕事か何かで、町内の役員が回ってきたときは父がやってくれていたこともあるし、そんなこんなで土地の人間にはなっていないのが実情。
 もう50歳近くにもなるのにこれではいけないと思っていた。
 そんな矢先に、隣の家の主人が区長をやっておられたこともあって、声がかかった。
 三連休の谷間であり、今の職場の仕事ならば、休日のうちの一日ぐらいなら潰せる状況にもなっている。
 ということで参加させていただくことにしたものだ。
 町内の、こういう行事に参加するメンバーもだいぶ若返ったみたいだ。
 だいたい私と似通ったような年代の人が揃った。
 おかげで楽しく汗を流すことができた。
 夕方からは反省会という名の懇親会もある。
 そこで十分懇親を深め、顔を名前の一致する人が1人でも多くできるようにしていこう。
 徐々に徐々に、である。

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一風変わったパン屋さん

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 富山県滑川市のちょっと高台のところに「東福寺野倶楽部」というこじゃれたレストラン兼焼物屋さんがある。
 休日はいつ行っても奥さん方やカップル連れで一杯だ。
 今日は穴の谷の霊水汲みに行った帰りに、かみさんと久しぶりに行ってみた。
 ようやく一組分の席が空いていて座ることができた。
 食事のときの敷物が、一枚の紙である。
 そこにはこの先の営業日やサンセット時間、店から見える立山連峰の山々の名前、近隣の地図などが書いてある。
 私の敷物には近隣の地図が描いてあった。
 東の方に「パン工房 とある」と書いてあった。
 すぐそばに神社のマークがある。
 「パン工房 とある」・・・なんだろな?とかみさんと喋っていて、どんな「パン工房」なんだろう、ちょっと行ってみようか、ということになり、食後、その場所を探してみることにした。
 たぶん、そのパン屋さんには「パン工房」としか書いてなく、店の名前がわからないので、「東福寺野倶楽部」の主人もしょうがなしに、「パン工房 とある」としか書きようがなかったのだろう。
 高速の滑川インターの下り口から、山に向かって南下する、一本道である。
 途中、神社があり、その角を左折すると、やがて「パン工房 とある」と書いた看板があった。
 街のパン屋さんではない。
 田舎の、山、とは言わないまでも平野部ではない中腹のところにある。
 あった。
「とある」の外
 驚いた。
 「とある」というのはお店の名前なのだ。
 立山連峰が近くに見える、実に清々しい、いい場所である。
「とある」の玄関
 たぶん、大々的に沢山売ろうというつもりはないのだろう。(と勝手に想像する)
 かみさんがパンをいくつか買った。(ウチのかみさんはパンが大好き)
 なんとかブレッドとかいうのを買おうとしたら、その棚にあるのは全部予約のものらしく、買えないものもあった。しかし手作りでとてもおいしいパンだった。
 店内に「ナントカ恵比寿」の熊手のようなものがあり、思わず、大阪の正月の縁起物かな?と思って、そこに書いてある神社が大阪のどこかにあるものかと聞いた。
 大阪ではなく、愛知県らしい。
 奥様の出身地が愛知だということで、実家の近くの神社の縁起物だという。
 いやあ、はるばる、富山県のこんな田舎までようこそ、と応援したい気持ちになった。
 さわやかな午後であった。
(明日は町内のビーチボールバレー大会だ。頑張らなくっちゃ!)

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経営相談会6回目

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 会社の実施する経営相談会。
 9月から始めて、本日6回目を数えた。
 今日は砺波地区での出張相談会。
 1人で順次6社の経営者と対応した。
 業況のいい会社もあれば、ちょっとしんどそうな状況の会社もあれば、青息吐息の会社もあって、皆それぞれ悩みのポイントが異なる。
 「ああ今回はこの社長のお悩みをうまく解消する手伝いができたなあ」と思ったら、次の経営者には全く歯が立たず、「う~ん、全然役に立てていないなあ」と悔しい思いをしたり、と様々である。
 さすがに疲れたが、自分のやりたい仕事への一里塚だし、本気で経営相談をやらせてもらっているし、中には相談会に来て何かをつかめたと思っていただけている経営者の方もおられるので、ありがたく心地よい疲れだ。(経営者は必死の思いで相談に来ておられるので、こういう言い方は不謹慎だが)
 中に、自分が前の会社に入社したときの課長だった人をよく知っているという社長がおられた。
 たまたま会社の所在地がその上司の住所の近くだったので、こちらから水を向けてみたのだが、土地の有名人かも知れないし、もしかしたらご存知かも知れないと思って聞いてみたら、ズバリ。
 篆刻をしておられた関係で、その上司のことはよく知っておられ、本をもらったこともあると仰っていた。
 なんであなたの上司だったの?という顔をされた。
 会社が違うからキョトンとされても無理ない。
 わけを話し、ご理解いただいた。
 世間は狭い。
 元上司は顔が広い。
 残念ながら3年前に亡くなってしまったが、今でも父のように尊崇している人だ。
 その上司に感謝しつつ、今日の出会いと仕事にも感謝。

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新潟三条記

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 新潟は三条市にある某研修所に行ってきた。
 地域密着力を高める支援方法という地域の金融機関職員向け研修の受講が目的である。
 東三条というJRの駅を降り、近くで食事をしてから研修所まではタクシーを使って行った。
 車中の運転士さんとの会話。
 「三条から新潟市までの距離はいかほどですか。」
 「30kmぐらいかな。」
 (随分近いんだなあ)
 「良寛さんの出雲崎まではどのくらいですか。」
 「海沿いで1時間半ぐらいかかるよ。途中に「せんきょかいかん」という有名なところがあるから、そこには是非寄っていった方がいい」
 (へえ、さすが、田中角栄さんのお膝元だけあって、選挙会館かあ、砂防会館みたいなものがあって田中角栄さんの元選挙事務所か何かで色々展示してあって観光名所になっているのかなあ)
 「魚が豊富で新鮮でね」
 (へっ? 選挙事務所で魚?)
 「選挙事務所なんですよね」
 「いやいや違う、せんぎょかいかんだ」
 「あ、鮮魚会館ですか」(ふう、びっくりした、変な先入観があると人の言葉がまともに聞こえないもんだなあ)
 「お客さん、どっから来たの?」
 「富山です」
 「ああ、富山ね、富山、私も時々行くよ」
 「あ、そうですか」
 「うん、金沢の兼六園とかね」
 (それって、石川県なんですけど・・・・)「ああ、そうですか、いいところでしょ」
 「うん、それに、あの、海沿いの有名なホテル・・・」
 (そらそら、来たぞ、和倉温泉のことを言うのじゃないかな)
 「あの、なんてったっけ? あ、そうそう<加賀屋>っていったっけな」
 (ああ、やっぱり来た、それ、石川県なんですけど)「最高級のホテルですよね」
 「そうそう」
 ここまで来ると、富山も金沢もおんなじようなものかも知れない。
 結局富山の話題はないままに、研修所に到着。
 お風呂に入ってびっくり。
研修所の風呂
 立派な立派な大浴場に私一人。
 なんと贅沢な、と思っていたが、意外に節電があちこち行き届いていた。
 どの電源スイッチのところにも全部、省エネというシールが貼ってあり、無駄な電気は一切ついていない。
 う~ん、国の予算で運営しているようなところで、贅沢な設備があり、無駄遣いしてるなあという印象を一瞬持ったがさにあらず、節約すべきところはちゃんとやってました。
省エネ
 ということで翌日から2日間研修を受けたが、外の紅葉は大変きれいなもので、こんな感じであった。
紅葉その1
 遠景も素晴らしいながめでこんなところで研修を受けさせてもらって大変清々しい気持ちになりました。
遠景
 遠くに見える二つこぶの山はなんて山だろう。
 弥彦山って山かな?・・・よくわからない。
 また勉強しておこう。

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蘇我氏のこと

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 時間がないので詳しくは書けないが、昨日の日経新聞の文化面(他の新聞ではラテ面)に、文化部の中野稔という記者の記事が載っていた。
 「蘇我氏は逆臣」イメージ変化?というタイトルの記事であった。
 平成11年から7年半大阪に住み、奈良や京都へよく出かけた。
 好きなところは飛鳥の石舞台である。
 一回行って大好きになった。
 聞くところによると蘇我馬子の墓らしい。
 土はすっかりなくなって、石しか残っていない方墳か円墳か何かである。
 この土地に来て感じたことは、このように美しく心やすらぐ場所を支配していた人物が悪人であるはずはない、蘇我氏は後の権力者によって悪人に仕立てられたのではないか、という直感だった。
 その後、数年間、蘇我氏が悪人ではない証拠を一生懸命に探した。(書店とインターネットという限られた領域ではあったが)
 調べているうちに、「大陸の技術者集団を統括していた」とか「天皇家に妻となる人たちを輩出する特殊な家だった」とか「国際的な視野の持ち主だったようだ」とかいう研究論文に行き当たったり、「本当は外国の侵略から飛鳥を守るために防衛強化をしていたのが甘粕岡だったのだ」とか、色々と蘇我氏悪玉論ではない資料が出てきたが、なかなか決定打がない。
 そうこうするうちに、ここ数年、急に蘇我氏擁護論の本が相次いで出版されている。遠山美都男さんや関裕二さんや水谷千秋さんなどという人たちのものである。
 追い風だ、と思っていたら、遂に日経新聞にまで蘇我氏善玉論の記事が掲載された。
 いよいよ日本の歴史にも今までとは異なるスポットライトが当たるようになってきた。
 面白い。
 最近の参考文献を記す

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企業が永続するためには

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 昨日の異業種交流会でF社のSさんという教育研修を担当している人から面白い話を聞いた。
 100年企業、などという特集が日経ビジネスで何度か組まれたが、では日本にはその100年企業が何社あるか、という話である。
 企業の寿命は15年とか30年とか言われている。
 最近はさらにその寿命が短くなっているとも。
 しかし、我が国には100年以上続いている企業がなんと1万5千社もあるそうだ。
 そのうち200年を超えるものが300社。
 1000年以上継続している企業も9社を数えるとのこと。(一体どこだ?)
 さらにさらに、世界最古の企業も日本にあるとのこと。
 聖徳太子の時代から続いている金剛社という企業らしい。
 ネタはNHKの特集番組らしいが、Sさん自身、色々ホームページなどを調べ、それらの企業の長寿の秘訣を見つけたらしい。
 残念ながら立ち話で終わってしまったためにその先の「秘訣」までは聞けなかったが、自分でも考えつつ、次回お目にかかった時にはその辺のことも教えていただこう。
 う~ん、異業種交流はためになる。

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素晴らしい異業種交流勉強会

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 「とやまキトキトBIZねっと」という異業種交流勉強会に参加している。
 今年の1月12日(土)からスタートし、毎月第2土曜日に開催。
 今日が11回目であった。
■敷居の低い勉強会&異業種交流会
「とやまキトキトBIZねっと」
HP:http://blog.livedoor.jp/kitokitobiz/
 毎回、色々な人がスピーカーとして自分の仕事に関する話題を提供してくれ、それに対して参加者が自己紹介がてら、スピーカーに対して質問や意見を述べ、それに対してまたスピーカーが答えたり意見交換をしたり、という流れでやっている。
 肩の張らない勉強会、気軽にビジネスの話をしよう、といったことをうたい文句にやっている。
 運営の中心メンバーは、富山県在住のおおむね30代から40代ぐらいの若手ビジネスパーソン、といったところ。皆郷土富山を愛し、富山を元気にしたい、と願っている人たちだ。
 さて、そんなこんなで、今日は「多文化共生社会の構築」というテーマで、講師は富山市のOさんという行政書士の方。
 富山に来ている外国人の様々な法律的な問題の解決や支援に当たっておられる。
 外国人と同じ空間で生きるということについて、その共存の仕方に「4つの態度」があるということを今日は教わった。
 ・相手も認めも受け入れもしない・・・「分離」(戦争での大量虐殺などがこれに当たるそうだ)
 ・相手を受け入れてもそのままでは認めない・・・「同化」(植民地支配をして自国の宗教や名前を押し付けることなど)
 ・相手を認めるが受け入れることはしない・・・「すみ分け」(○○地区、などといって外国人居住地を区分けしたりすることなどがこれに当たるのだろう)
 ・相手を認め、しかも受け入れようとする・・・「共生」
 外国人と自国人は、間違いなく違いがあり、違和感があり、おかしいと思うのだろうなあ。
 その違いを「おかしい」から「面白い」と感じることができるようになれば、「では一緒にやっていこうか」ということになる。
 ある参加者が言っていた。
 「(ウチの会社に)実習生として来ている外国人の方が、日本人よりもよっぽどしっかりし、仕事ができる」
 別の機会に聞いた話。ある製造業の社長が「外国人には日本人のものづくりの心は絶対わからない」と言っていたが、どちらも本当なのだろうとは思う。
 しかし、世界経済がどんどんボーダレス化していく以上、いつまでも鎖国ではいられないわけであり、我が富山県民も、自分たちと異なる生活習慣や文化を持つ人たちを差別的な目で見るのではなく「違いを面白いと思う」ように心を広く持ち、ホスピタリティ精神を少しずつ涵養していく必要があるのではないかと思う。(もちろん同じ土地で暮らすために守るべき法律には従ってもらわなければならないが)
 そう言えば、私が高校生のときに「コスモポリタン(世界市民)」という言葉が大変気に入り(アリストテレスかアレクサンダーが考え出した概念だったと思う)、何がしか、色々な外国人たちと一緒に国際的な共生の活動をしていきたいという夢を持っていた。忘れていた夢だったが、今日それを30年ぶりに思い出した。
 あの頃は現実的な考えのないロマン、ホンマの夢であり、非現実的な夢、空想でしかなかった。
 人が生きていくためには、まずは経済面、そして心のつながり、信頼というようなものがお互いに必要だ。そこらへんの現実に立脚した政策や対策がとれれば、高校の頃に思っていた「コスモポリタン的な活動」も夢物語ではないかも知れない。
 いや、「共生」こそ、これからの私たちが実行していかなければならない大きな課題ではなかろうか、と思う。

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