昨年の7月に職場の先輩から僧ガ岳(魚津市と宇奈月町にまたがる山)登山に誘われた。
雀躍して、行くぞ、と思っていたら、夜半からの雨で中止になった。
あれから1年、遂に再び僧ガ岳登山のチャンスがめぐってきた。
ニッコウキスゲという素敵な花が咲くらしい。
ということで、本日、遂に念願叶って登ってきた。
登山口は宇奈月温泉の町から車でさらに30分以上山道を上がったところだ。
それから延々。
1時間半ぐらいのところにニッコウキスゲが満開のお花畑があった。
いやあ、素晴らしい。
さて登山行はそれからが本番。
さらに30分で僧ガ岳の頂上に到達。
それで終わりかと思いきや、リーダーの一言で、そこからさらに1時間半を要する後ろの「駒ガ岳」まで登った。
僧ガ岳から駒ガ岳に向かう道すがら、クマのフンがボテボテ落ちていて、ああ、きゃつの縄張りなんだなあと思いながら、臭いにおいに耐えながら延々。
山道は尾根をずっと歩く。
風が吹いて心地よかった。
1時間半ぐらいだったろうか、やがて山頂に着いた。
標高2002メートル。
石の碑が据え付けてあったが、重さ100kgはあろうか、あんなものをどうやって運んだんだろう、と思う。
この行程は、帰りがきつい。
往復7時間。
クマの襲撃を心配しつつ、なんとか下山した。
男7人の登山行。
楽しかったが、今度はもう少し短い行程にしよう。
(ジムで30分ぐらい歩いたり走ったりしてもほとんど効果はない。もうちょっと本格的に体力作りをしなきゃ)
月別アーカイブ: 2008年7月
井波の瑞泉寺へ行ってきた
井波町にある瑞泉寺に行ってきた。
元々は郡上八幡へ涼みに行こうかと妻と言っていたものだが、2週間前に奥飛騨に行ってきたばかりだし、岐阜はこのところ暑いので、ということで、昨夜急遽行き先を変更して、井波になった。
なぜ井波かについての深い意味はない。
ただ、今年の1月頃に瑞泉寺や木彫りの町を散策して風呂にでも浸かってという行程を考えていたので、代替案とした次第。
行き先は、まずは井波の「道の駅」。
駐車場内に巨大な七福神の彫り物があり、目を引いた。
そしてその隣にある井波彫刻総合会館。
数十万の彫り物から百万単位の欄間などどれも目を見張る素晴らしい技術品ばかりだった。
中でも1千万円近くもする聖徳太子の馬上像はすごいものだった。
(金額でいい悪いを決めているわけではないが)
そして瑞泉寺。
井波彫刻の粋を集めた素晴らしい寺だ。
宗派のことでもめごとがあるのかどうか知らないが、こういう芸術的なお寺が富山の片田舎にあることは奇跡的なことかも知れない。
南北朝時代に、京都本願寺五世の綽如上人(しゃくにょしょうにん)という人が来たから開山されたものらしいが、その後前田利長公が彫師を招聘したことが今日の井波=彫刻の町へとつながったというから、歴史というものはふとしたことで何かが作られていくものなのだなあと感ずる。
池波正太郎氏の父祖もこの地の出身らしい。
明日の午後から聖徳太子の偉業を偲ぶ「太子伝会」というのが開かれるらしい。
毎年同じ日程なのだろうか。
今年はその前日に訪れ、偶然太子2歳の像を拝むことができた。(ような気がする)
後光松天皇が下賜されたものらしい。
ほんの一瞬だけ、本尊の正面に据えられたときに、たまたま正面から拝んだ。
本物なら、目前で拝むことができたことはなかなかない行幸だろう。
偶然いいこともあるものだ。
帰りは福光の華山(はなやま)温泉の砂風呂に入ってきた。(温泉と合わせて一人1600円也)
汗がたっぷり出て、すっきりした。
良い休日を過ごすことができた。
久しぶりのジム
久しぶりにスポーツジムに行ってきた。
魚津のありそドームである。
2月に右肩の痛みが出てからあちこちの医者に行ったりして、原因は首の骨だということもあったため、それをまず治してからじゃないとなあと思っていたら、やがて半年近くが過ぎてしまった。
元々、山登りや短距離のマラソンなどにも出たいという願いがあり、それに向けた体力作りのために昨年の11月から始めたものだ。
今年4月のしんきろうマラソンは、そういう経緯もあり出場を断念した。
久しぶりだったし、先輩でジムに行き過ぎてヘルニアになったという話を聞いたこともあり、いきなり色んな運動をするのは控え、まずは軽く「ラン」を15分やり、その後で山登りめいた機械での歩行を15分やった。
汗はたっぷり。ビールがうまかった。
右肩の痛み・しびれが完全に治まったわけではないが、これからまたスポーツもしていこうと思う。
さて、今日はもう一ついいことがあった。
先週から探しまくっていた『おくのほそ道』(岩波文庫)が見つかったことだ。
論語や徒然草など、古典を愛しているが、おくのほそ道もその一つである。
新しい仕事の勉強も色々していかなくてはならないが、精神の栄養も必要だ。
おいおい読んで行こう。
妻の願望
珍しく、妻が自分の行きたいところを言ってきた。
ここ数日の出来事だ。
今月になって私の帰宅が少し早くなり、話ができるようになったことが大きな原因
だろうと思う。
行きたいところの一つは緑の見られるところ、もう一つは岐阜の郡上八幡。
郡上八幡は、東海北陸自動車道が全線開通したために、富山側からのアクセス
が容易になったこともあろう。
テレビか何かででも宣伝していたものか。
「行きたいところが色々ある」と言っていたから、今後徐々に叶えていってあげたい
と思う。平日は深夜12時頃に食事の世話をしてもらって、朝は起きたらすぐに食事
をして、土日もたまに買い物を一緒にするぐらいの夫婦生活だったので、つまらない
思いをさせてきたと思う。
さて、郡上八幡は私もずっと行ってみたいと思っていたところだ。
今度の三連休にでも出かけるとするか。
また、これからの半年程度は、新しい会社関係の試験をいくつか受けなくてはならない。
仕事そのものの勉強もあるし、試験勉強も複数やっていかなくてはならない。
自分自身の夢もある。
盛り沢山だ。
楽しみながらやっていこう。
まずは計画をきっちり立てて、不確定要素への対処ができるように、少しゆとりを持って。
11年ぶりの発見
書棚を整理していたら11年前の夏休みに書いていたノートが見つかった。
そのノートの存在は知っていたが、まっさらのノートだと長い間思っていた。
中に、1997年の7月に書いたメモが残っていた。
自己実現メモである。
時間をどう使おうかということが事細かに書いてある。
ウイークデイの夜8時に帰宅して以降、12時に寝るまでの30分刻みの、その日の仕事の振り返りやラジオ講座などの自己啓発。
金曜夜のゆったりとした読書の時間。
土日の日中は子供や妻などとの行動に充て、夜は自己啓発の時間。
それら自己啓発を通じて得るスキル。
そのスキルを活用して実施したいこと。
今の仕事内容ではとてもできないことの数々。
ちょうどそのメモを書いたあたりから私の時間は異様なスピードで回転を始めたようだ。
全然時間がとれなくなった。
あれから11年。
時間は戻ってはこないが、実現できたことも色々ある。
自己実現メモを作った時点では思いもよらなかった中小企業診断士という資格も取った。
マネージャーの経験もさせていただいた。
今回の転職を機に、あの時描いていて今も実現したいことを再確認して、新たな取組にかかろうと思う。
「実現したいことリスト」は自分を奮い立たせてくれるいいものだ。
書く、という行為、その文字を目にする、ということが自分の潜在意識への働きかけにつながり、その結果、実現に向けた何らかの行動に結びついていっているような気がする。
転職から2週間
新しい会社では取引先である中小企業の再生支援に携わっている。
携わってみてつくづく感じるのは、自分で何かができるわけではなく、お客様が自身でなんとか浮上しなくてはならないため、とてももどかしい。
こちらは金融機関であるので、数字でものを見るのが中心になる。
いつ健全になるのですか? というのが我々からの唯一最大の質問である。
そのために何ができるのか。
中小企業診断士として、またITコーディネータという資格を持つ金融マンとして、何ができるのか。
まだやるべきことがつかめない。
もちろん、お客様ごとによって対応すべき内容は異なるのであり、たとえば経営破綻の危険性のある企業に対しては、SWOTだの3Cだのということを言うよりも、一刻も早く、コスト構造を見直して計数管理をちゃんとやってその結果を報告して下さい、と言うのが最優先事項である。これについては診断士がどうのこうのと言っている場合ではなさそうだ。
ちょっと危ないかも、という企業にどう対応すべきか。
できる支援を行いたい。
当然その結果として早期に健全になっていただき、我が社にちゃんとしたリターンがある、というのが金融マンとしての目的だ。
勉強しなければならないことが山ほどある。
一気にできるはずがないが、一歩ずつ着実に自分のものとして、まずはこの組織で有用な人間にならなくてはならない。中途採用して良かったと思っていただける以上のリターンを返さなくてはならない。と思って頑張ろう。
飛騨への思い
今年実現したいことが色々ある。
これまでの生活では、会社がすべてであり、仕事以外のやりたいことは一切手をつけられなかったため、たまのスーパー銭湯などが関の山だった。
本当は一昨年のうちに行きたかったところが、奥飛騨である。
22年前、職場の人たちと一緒に行った新穂高温泉の「深山荘」という宿のそばに川が流れており、そこが温泉となっていた。
あまりに気持ちよく、最年少社員であったにも関わらず、先輩たちの世話もせずにじっくりと川風呂に浸かりも浸かったり、1泊2日の旅行で、都合8時間もその風呂に入っていた。
思い出深い旅行であり、そこへもう一度是非行きたいと常々思っていた。
当然行くときは1泊のつもりだったが、今回奥飛騨方面へ車が向かい、偶然その宿の看板を見つけたため、そのまま吸い込まれるように行ってしまった。
残念ながら湯には浸からなかったが、私の家から、ゆっくり行って3時間で着くということがわかった。
十分日帰りで湯だけ浸かって帰ることができる距離だ。
近いうちにまた来ようと考えている。(写真の「川」が温泉になるのです、但し季節によってらしい)
深山荘の場所をしっかりカーナビに覚えさせて、その足で新穂高ロープウェイに乗って一番上まで行った。バカとアホウは高いとこ好きよ、よいやさのよいやさ、という歌があるが、私などはすぐに高いところへ行きたがる、典型的なアホウかも知れない。
さらにそれから国道158号線を西にとり、高山ICから、この日全線が開通した「東海北陸自動車道」の飛騨清見インターに乗り入れ、10710メートルという日本で二番目に長いトンネルを含む新道を通って魚津の我が家に戻った。
このトンネルを通り抜けるのに30分かかった。
グルリと回った一日であった。
ガソリン高騰の折、ではあるが、22年ぶりに夢にまで見た「深山荘」を訪れて場所の確認をきっちりできたし、こちらを通ると遠回りだということが実地で確認できた新道の通行など、収穫大、であった。
何よりも、職場を変わって、これまで頑張ってきた自分へのねぎらいができたことがうれしい。
また来るぞ。
新たな世界へ初出勤
今日から新しい会社に出勤。
午前中は社内のえらい人たちに挨拶、午後は取引先に挨拶。
ワクワクドキドキで迎えた初出勤だったが、ことのほか思いのほか疲れた。
知らない業界に来ているためもあり、単語から何からわからないことだらけだ。
しかし、先輩が親切に教えてくれるため、呆然と佇むということはない。
また、大変厳しい業界で、オフィスの中ではピリピリのし通しだが、会議のための資料作りに汲々とする必要がない。
しかも午後8時前には会社を出ることができた。(前の職場はいつも22時30分退社だった)
仕事の詳しい内容や取引先に関する具体的な話などは、当然のことながらここには書かない。
ということでとにかく初日が無事終わった。
明日以降また新たな「夢」の実現に向かった話題を沢山書き連ねていくことだろう。
夢に終わりはない。