昨秋亡くなった祖母の納骨のため、京都の東本願寺へ詣でてきた。
我々は納骨と呼んでいるが、寺側の呼び方は「収骨」というそうだ。
仏教にも色々な宗派があるため、それはそれでよくわからないが。
その帰路、京都を出てしばらく走ったところ、急に車の「オイル警告ランプ」(赤色)がつき出した。
慌ててスタンドを探し、オイルを調べてもらったが、まだ油量は十分あるとの見立て。
それでも満タンまで入れてもらい、あらためてエンジンをかけたが、警告ランプは消えず、スタンドの係員も首をかしげていた。
走り出して間もなく、今度は「エンジンの警告ランプ」(黄色)までつき出し、こりゃあかなわんなとなった。
しかし山道のため近くに修理工場らしきものもディーラーらしきものもなく、結局次の町まで走り抜けなければならなくなった。
峠を越えて町の入り口まで入ったところで、ローソンの大きな駐車場に車を停め、JAFに来てもらった。
見立ては、デイーラーの持っている検査装置で解析しなければわからない、というもの。
すでに夜7時を過ぎていたが、まだ自宅までは300キロ以上走らなくてはならず、ここで無駄に時間を過ごしているわけにはいかないため、JAFの人に教えてもらってすぐにその町のディーラーに連絡をとったところ、いますぐなら見てあげるとの回答。
JAFに先導してもらい、ディーラーへ。
そこでの見立ては結構深刻なもので、エンジンのポンプ部分にオイルのかすがつまり、うまく機能しなくなっている可能性があり、原因除去のためにはエンジンごとはずして修理しなくてはならないと思われる、というもの。
強い負荷をかけずに走る分にはしばらくはもつかも知れないが(つまり、高速走行は危険だ、という意味)・・・との付け足し。
明日はディーラーは休みだということもあり、ましてや預けて行くにしても、自宅から300キロも離れたディーラーに預けていくのもちょっとしんどい。
結局、下道でごまかしごまかし転がしていくことにした。
どんな手当てをしてくれたのかはわからなかったが、ディーラーを出たときには警告ランプは二つとも消えていた。
しかし、下道といえども結構夜間は大型トラックがところ狭しと走り回り、おまけに海沿いの道なものだから、くねくね曲がっていて始終対向車があって危険極まりない。
しかも70キロぐらいのスピードを出しても、警告ランプはつかない。
「今度ランプがついたら、すぐに路肩に停めてJAFを呼んで避難して下さい」と結構強い調子でディーラーに言われていたことが耳に残っている。
そんなわけで、ランプがつくような運転はしないよう、なるべく負荷をかけずに静かにアクセルを踏んでいたが、70キロぐらいは夜の国道ではすぐに出るスピードである。
このまま国道をちんたら走っていたら今夜中どころか、明日の朝までかかるとのしんどさを感じ、再度高速に挑戦することにした。
(70キロで高速で行った方がよっぽど安全だ。)
というような経緯があって、武生から高速に乗って富山まで帰ってきた。
無事帰ってこられたことは、ラッキーだったと思う。
長距離の前にはもう少し慎重に事前の検査などをした方がいいなと感じた今回の小旅行であった。
月別アーカイブ: 2008年4月
会社訪問
今日ある会社を訪問し、そこの人事の方と会ってきた。
企業の再生や事業継承・新規事業展開の際の融資などを審査するために中小企業診断士を増員したいが、社内での育成がなかなかできない。
そのため中途採用を募集しているということである。
中小企業金融を円滑化し、弱った中小企業を倒れるがままにしておくのではなく正常化・活性化するための支援を行うことが、地域の活性化・経済の安定化にもつながるという考え方に基づくものである。
弱った企業は淘汰されるべきだというのが自由主義かも知れないが、それが行き過ぎると経済が不安定になり失業も増えて社会不安が増大してしまう。
再建しうる企業は再生してもらおうというのが最近の中小企業支援の主流の考え方なのだろう。
人事の方は、私に対してなぜ今の会社を離れることを考え、転職先としてウチに関心を持ったのかと聞かれた。
自分の持っているスキルや強みを役に立てたいが、今の会社ではどうも役に立ちそうにないからだということと、中小企業診断士のスキルを活かして我が県の産業の発展・中小企業の経営改善に役立ちたいからだということを答えた。
事実そう思っている。
会社を離れるというのは大変なことで、愛着もありまた新しい世界へ行く不安は大きい。
しかし今のままでは変化できないことがわかっている以上、どこかで自分で自分のダイヤルを回さなくてはならない。回すのは自分自身だ。やろうと思った時がやるべき時なのだと思う。
幸運の女神には後ろ髪はない。
と言っても、今日訪れた会社に行くことが幸運の女神かどうか、それは行ってみないとわからない。
もう一回先方の方と会うことになるだろうと思う。
あまり逡巡している時間はない。
給与面では、キャリアアップとまでは行かないまでもキャリアダウンは避けられそうだ。
但しそのためにはちゃんとまじめに働き、試用期間後正式社員に変更されるよう努めねばならない。
そんなこんなで、自分のやりたいことと先方の社のニーズ、大体合っていそうである。
その業界の知識は皆無であるが、勉強すればなんとかなると思っている。
生来鈍感というか楽天的な人間なので、やりゃあなんとかなるさと思う。
ダイヤルを回すのは自分、幸運の女神に後ろ髪はない、やろうと思った時がやるべき時。
5月後半には遅くても答を出していることだろう。
Go Ahead!
大阪は暑かった
久しぶりに大阪へ行って来た。
相変わらず大阪は暑かった。
会議への出席が目的だったが、少し時間があったため、以前出向していた会社に行き、Nという元上司に会ってきた。
この人は元S銀行のシンクタンクにいたコンサルタントだったが、縁あって私の会社のグループ企業である研修会社に転職した人だ。
この人に転職について相談した。
いただいた助言は次のとおり。
・対象となる仕事の、その会社の中でのポジショニング・役割の確認(将来もその業務があるのか、一時的なものでいずれ配転・縮小される可能性があるのか)
・自分のやりたいこと・苦手なことをはっきり言って、先方の条件に合うかどうかを確認すること
・給与など待遇面をきっちり確認すること
・初回の面接以降のスケジュールの確認(もし今の会社を退社する場合のそれまでのスケジュール)
転職経験のある人には学ぶ点がある。
しかも純粋な我が社の人ではなくこの先も独立や別のシンクタンクへ移る危険な香りを持つ人なので、我が社の人には相談できない、自分の転職相談などを安心して相談できる数少ない人だ。
いかんせん、大阪という遠方にいらっしゃるのが難だが、その会社を離れて4年も経っても会ってくれるというのはありがたい。
結果はどうなるかはわからないが、貴重な助言をいただいた。相談して良かった。
記憶術第2回
先日書いた「記憶術」の先生のところへ、今日再び行って来た。
次男坊と妻の二人だけで行ってもらう予定だったが、偶然私の出張が入り、これまた偶然にその帰路、車に乗せてくれる人がいて、事務所の近くまで送ってもらうことが出来た。
既に「授業」は終わりかけていて、前回と同じやり方を再度おさらいとしてやっているところだった。
それが終わって、先生から「ハイ、これで指導は全部終わりです。やり方を覚えたので、これからはこれでできた時間を遊びに使うなりなんなり、時々勉強などもやって、良い時間の使い方をして下さい。」というようなことを言われ、退出した。
帰りの車の中で妻に様子を聞いたところ、今日の授業の内容を細かく覚えていて、先生の話す内容をこと細かに再現したという。それも5分以上もである。50分授業での先生の語りを覚えているというのは驚異的なことだ。私はその場に居合わせていなかったため、息子が再現している授業風景をこの耳で聞くことは出来なかったが、授業の様子がよくわかったと妻は言っていた。
おとといと昨日、そして今日、先生の言っていたやり方を愚直に実行していたらしい。全部の授業ではなく、高校受験の対象科目であるいわゆる5教科について実施したということである。
ちゃんとい愚直に努力したことをまず何よりも褒めてやりたい。
そして、まだもう1回ぐらい行かなくてはならないかなと思っていたが、実施状況の確認一発で合格した息子を誇りに思う。
さあ、私も負けてはおられない。
(税理士の試験にチャレンジしようか思ったが、暗記よりも計算などが多いため、記憶術だけではだめなようである。ちょっと考え直さなければならないかも)
頑張れ、息子よ! 自信をもって!!
勝間和代さんの本
勝間和代さんという人の本がいくつもベストセラーになっている。
昨年暮れに『効率が10倍アップする新・知的生産術』という本を買った。
時間のあるときにパラパラめくっており、あちこち感銘だらけで、大した人だよこの人は、と思っている。
慶応大学に行き、19歳で公認会計士、24歳で中小企業診断士など、学歴・資格取得歴自体が天才的なものであり、頭脳の出来が余人とは異なると思うが、真似てできることはやってみたい。
その中の一つに、軽量なノートパソコンの保有・活用というのがある。
ノートパソコンを持ち歩いてどこででも知的活動、なんてそうそうできるものではないが、とにかく真似てみることにした。
彼女のようにPanasonicのレッツノートというわけにはいかないが、なんとか予算を工面して、サードパーティーの注文生産のノート型を注文した。重さは1.9Kg、画面は12.1インチでCPUは2G、ハードディスクは80Gで、一応DVDドライブがついており、OSはXPのホームエディションである。インターネットエクスプローラーも搭載しているらしいので、ソフトはメーラーもオフィス系ソフトも無料ソフトをダウンロードしたり、Googleを活用すれば、メールやオフィス系もなくてもいいくらいだ。
持ち歩きパソコンでの生活、が実現するかどうかはわからないが、机の上の動きが悪いデスクトップは使い道を制限して、これからはノートでやっていこうと思う。
入手は1週間後ぐらいかな。
どんどん知的生産性を高めていこう。
仕事のプライオリティの整理方法
知人にO氏という人がいる。
この人から、ご自身の書かれた本を分けていただいた。
その中に「3×3のメモ」というようなことが書かれており、興味を惹かれたが、文字面だけではよくわからなかったために、実際どのようなことをしているのか尋ねた。
で、見せていただいたのが上記のようなメモである。
私の仕事柄、時々刻々新しい課題が発生し、上司や担当者との調整や相談も多いため、現実的には全ての課題について、こういうもので整理しながら、あるいは書き足しながら仕事を進めていく余裕はないのだが、比較的大きなものについては、何日かに一回ずつこのシートをワープロ打ちして手元に置いている。重要な課題が新たに発生した場合は、手書きで追記したりもする。
当然この中には、実現したい自分の計画も書き入れる。それを日々目にすることでアクションを起こさなくてはという気持ちにつながる。
こういう課題メモは、他にも色々あると思うが、画期的なことが二つある。
一つは、仕事だけではなく、プライベート上の課題も含め、自分が対応していかなくてはならないものを全て書くということ。これにより自分の時間の使い方をコントロールすることにつながる。最近話題のワークライフバランスを地で行くようなものだ。
もう一つは、完了した案件を黒丸にしつつ、終わったシートはファイリングされている点だ。O氏の場合はこのシートを毎日更新して毎日プリントアウトしているらしい。それによって自分が過去どういう課題に携わってきたか、またどういう課題を重視してきたかの変遷がわかる、と仰る。一週間前の重要かつ緊急課題が、昨日は最も重要度が低くなっているかも知れない。手帳では課題の重要度の変遷までを見るようなことはできない。
仕事は重要度と緊急度で判断しろ、とはよく言われることであり、しかも実戦に適用できる判断基準だが、3×3の9象限に区切るというほんのちょっとの工夫で、知的生産技術として磨きがかかる好例である。
記憶術を教わってきた
4月の目標の一つ。
記憶術を中3の次男坊と一緒に教わり、自分自身のパワーアップと息子の成績向上につなげること。
ということで、今日中3の次男坊を連れて車で1時間半ほどのところにある、高岡市という町の某先生のところへ行って来た。
記憶術というと、特殊な脳トレーニングか何かを思ったりするが、そんなことはなく、ある技法を集中して実行する、それを毎日の授業や自宅学習で繰り返し実行するというシンプルなものである。
そのやり方は、開発した先生自身が自分自身の人生の中で実行して成果をあげ、そのやり方を多くの子どもたちにも伝授し喜ばれてきたものらしい。
教わって、目からうろこ、である。
先生のところでも簡単なトレーニングはしたが、本格的に活用する場面がすぐには見当たらない。
子どもは学校という場があり、そこでの授業ですぐに実施できるが、我々サラリーマンの場合には人から教わり、それを記憶して、というシチュエーションがあまりない。
ハードディスクに相当する人間の脳は授業まるごとを何百日分記憶しても、まだまだ余裕のよっちゃんだというくらいにキャパが大きいらしい。一方でCPUはとても小ぶりなので、考えながらあるいは議論しながら、その内容を覚えるというのには向かないらしい。大脳生理学のによるとそうなのだそうだ。
開発した人のノウハウなのでここでつまびらかにはできないが、いずれにしろ手軽にできそうなので、これから色んな場面で活用してみたい。
管理者になった次の目標は?
管理者になれるかどうかもわからない30代の終わり頃、私のいる職場に外部から招聘した経営コンサルタントがいた。
その人が、中小企業診断士の資格をもっているのなら早めに会社を辞めてコンサルタントとして独立したらどうか、などと言って来た。
それも考えものではある。
しかし、自分の考えとしては、経営コンサルタントたるもの、経営の経験もなくできるものではない、しかし経営者にまでなってからコンサルタントになろうとしても、年齢が相当いってしまうか、又は若くして経営者もやりコンサルタントもやることができる人など、本当に一握りでしかなく、経営者まで行ってからというのはほとんど無理と言える。
だがせめて会社経営の一翼を担う管理者ぐらいにはなっておかないと、相手の企業の経営者と同じ又は近い目線でものを言い、こちらの意見を飲み込ませることは大変困難だ。
経営やマネジメントの経験もない一匹狼コンサルは、所詮組織になじめないから会社を辞め、コンサルとして一本立ちしただけだろう、と思われてもしょうがない。
事実、独立した経営コンサルタントと話をしていた時に感じたことは「この人は勝手なことばかり言っている。実際に我が社に管理者として入ったらそんな理屈どおりにはいかないことが山ほどあるのに、そういうのをわからずに理想論で語っても実現性はほとんどない。所詮組織人でない人の話だな」といったようなものであった。
どんなに良い提言をしても、組織マネジメントの経験がない人の理想論では相手の心に響かず、相手に伝わらなければ意味がない、と思い、であれば、いずれ独立したコンサルタントになるとしても、一旦は管理者経験が必要であろうと考えた。
それで、課長になった。
その課長職もかれこれ4年を経過した。
うまく、部下のモチベーションを上げて成果が上がったこともあった。
全然部下の心に響かず、空回りのこともあった。
マネジメントは面白いなと思う反面、最近は組織が文鎮型になりすぎて、自分が係長のような仕事をせざるを得ないことが多い。
考えて助言して確認してほめる(又は注意する)、といったマネジメント=PDCAのプロセスではなく、自分自身が実務をやらなくては回らない時代になっている。
いや、時代というのは大袈裟だが、自分の所属する会社はおおむねそんな状態だ。
これではあまりマネージャーとしての研鑽を積めるとは限らない。
そこで、24年間勤めた会社を離れようかと思っている。
しかし会社を離れるにはどうしても解決しなければならない2つの課題がある。
1つは収入である。今の所得水準を大幅に落すわけにはいかない。
生活がかかっている。
もう1つは次の新たな仕事は、その仕事を通じて喜びを感じられる仕事かどうか、自分の残りの人生を賭けるにふさわしい仕事かどうか、という点である。自分の生きてきた過程や人生観を反映させ、そして持てるスキルを生かして人の役に立って喜んでいただける仕事になるか、そういう仕事を見出せるか・・・。40代も半ばになると極めて重要なポイントだ。
その2つの課題をクリアできなければ軽々に離職を考えることはできない。
ただ、元々管理者になったら次のステップ(離職、転職、独立)へ、ということを考えていたので、ちょうどいい潮時かも知れない。
財務諸表を読みこなせ
4月の目標がいくつかある。
一つは、財務諸表を読みこなす力を養う、というものである。
中小企業診断士の資格を持っているのだから、そんなの当然朝飯前と言いたいところだが、受験した当時はある程度読みこなす力を持っていたが、取得から8年経過し、日常の仕事の中で全く財務と触れない状態では、そんな力は残っていない。
そこで『決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法』(國貞克則著、朝日新書)というのを買って読み始めている。
毎日7時前に家を出発し、帰宅が深夜の11時半、それから食事と風呂のため睡眠時間が5時間程度、土日の1日は仕事、という生活を続けているため、読書などに充てる時間はほとんど取れないが、少しでも読書の時間がとれるようにと願いつつ、読み始めた。
わかりやすい良い本だと思う。
今月中には読み終え、実戦で使っていきたいと思っている。
短時間で成果に結びつけよう。
管理者になる年齢を想定し、実際になる
今の会社には「地方採用」で入社した。
当時は私の会社には「地方採用」と「本社採用」の2本立てがあった。
もう少し正確に言うと、学歴で3本立てぐらいに分かれていた。
その中で「地方採用」の大学卒の人が課長になるには、採用から20年、つまり42歳というのが最も早い出世だ、と聞かされていた。
一方「本社採用」というのは文字通りエリートで、30代で課長、40歳前に部長、最終的には50歳前に本社の部長になり、そのまま天下りとなるか、取締役レベルまで上がっていくか、という存在であった。
そんな人たちだから、異動は全国区。本社を中心にしつつ北海道から九州・沖縄まであちこちを転々としなければならない。
まるで国家公務員の上級職である。
こちらは一地方採用の平凡な身一人っ子でもあり、地元を離れるわけにはいかない。そんな立場でもあったので、入社当時は、じゃあ自分は地方採用としては早い「42歳で課長になる」というのを目指して頑張ってみようと思った。
それから幾星霜。
途中色んなことがあった。
出世が他の人より遅れた、と感じたこともあったし、あれ、急に進んだなあと感じたこともあった。
しかし、本社勤務がなかったため、結局はそんなに出世のスピードは上がらず、自分よりもずんずん上へ行く地方採用者も何人もいた。
気がつくと課長になっていた。
それも42歳で、である。
しばらく忘れていたが、そういえば入社当時42歳で課長になるぞと思っていたことを思い出した。
願いは叶う、である。
さてこれからだ。
入社当時は、42歳で課長になったとしたら、その後、まだ50歳くらいまでは上に上がる、つまり部長になるという道があった。
地方の中での異動でも、そこらへんまでは行ける道があった。
しかし、あれから随分環境が変化し、今では課長になるにしても、またその上の部長になるにしても、本社やそれ以外の地域の現場に行くなどの広域配転をさらに何度か経験しなくてはならないし、二度と地元に戻れないかも知れない。地域にはそれだけ上の方の管理者ポストが少なくなっているからだ。
この先の選択肢としては、
①さらに上へ上がるために本社や他の地域へ異動する。この場合家族を犠牲にすることになる可能性が大きい。
②このまま今の地方で上へ上がっていく優秀(で身軽)な後輩や同僚を横目で見ながら今の地位に留まり続ける。この場合、自分のプライドのようなものがどれだけ耐えられるか、しかも自分のスキルを十分に発揮できるとは考えにくい。
③(会社に残ってやっていくときの現実解は②だが、それでは働き甲斐や所得も頭打ちになるため)いっそのこと今の会社を飛び出し、違う世界でキャリアアップを狙う。所得が一時的に下がるのは当たり前だが、それを受け止めるだけの心の落ち着きとストックがあれば、やってやれないことはなさそうだ。
の3つぐらいがあるのかな、と思う。
いずれにしろ強く願うことで、瓢箪から駒、というか、思わぬ方向から幸運の女神がやってくることがあったりするから人生は不思議で面白い。
この人生を大切にしていきたい。
ありがとうございました。