富山県よろず支援拠点での相談員の仕事が11年目に入りました&最近の米国に思うこと

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この4月から「富山県よろず支援拠点」のチーフコーディネーター(相談員 兼 他の支援機関との調整係)の職を拝命しました。前任者がとても素晴らしい方であり、私のみならず他のコーディネーターもその方を慕う気持ちでこの仕事をしてこられた人たちが多いと思われるため、この私で良いのだろうかという気持ちがありましたが、なったからにはしっかり務めなければと思っています。
かといって肩に力を入れすぎてはマネジメントに失敗し病を呼び覚ましたいつぞやの繰り返しになりますので、自分のため、また周りのみんなのため、そこは適度に。
よろず支援拠点というのは、中小企業・小規模事業者のための経営なんでも相談所、といった位置づけで、平成26年6月に国が全国47都道府県に設置したものです。毎年予算が組まれれば継続となる事業のため、来年はないかも、というスリリングな思いを抱きながらも、目の前の事業者さんのために全身全霊を打ち込んで相談対応をしてきました。私は事業開始の2年目、平成27年4月からこの事業に参画させていただいていますので、丸十年が経過したのですが、言ってみれば、昨日まで「ピン芸人」だったものが、翌日からいきなり19人の超有能なタレントさんを擁する芸能プロダクションのマネージャーになったようなものです。しかも自分自身も時々はステージに立たねばならない立場ということもあり、夢かエイプリルフールかのいずれかではないかと頬をつねってみても現実は変わらず、これまでとは時間の使い方も仲間との接し方も大きく変わりました。
やがてひと月が経過する段になって、この文章を書ける心持になりました。
今後「富山県よろず支援拠点」での仕事などについても触れる機会があるかも知れませんし、ないかも知れませんが、個人事業者である自身の、今年はメインの仕事になりましたので、身心に気をつけながら取り組んでまいります。

さて。富山県よろず支援拠点のチーフコーディネーターになって3日目、東京の全国本部から指示がありました。いわく「米国自動車関税措置等に伴う特別相談窓口」を設置しなさい、というものです。もちろん早速設置し、このことで我が富山県の中小企業・小規模事業者がマイナスの影響を受けても事業を継続していけるよう、相談対応をしていかなければならないと思っています。(一昨日、政府の五本柱「米国関税措置を受けた緊急対応パッケージ」が発表されましたので、それらも踏まえて。)
米国のドナルド・ジョン・トランプ大統領の政策で、世界中が右往左往していますし、批判的な論調が目に付きます。彼の政策を経済学的に妥当だという論をなかなか目にしませんが、そのうち裏付ける理論が後付けで出てくるかも知れません。
経済学的な理論はともかくとして、日経新聞などを見ていると米国の批評家からも政策の粗暴さや憲法違反の暴君だなどと批判されていますが、それでも米国内では約半数の国民が支持している、というこのことは一体なんなんだろう?と考えてしまいます。新聞などにものを書く「賢者」が正しく、半数の米国民は無知・無教養で誤っている、ということなのでしょうか。だとすれば、選良たる共和党の国会議員や政府首脳も間違った人々なのでしょうか。Firedされるのが怖いから忠誠を誓っているという書きぶりもありますが、そもそも閣僚の多くは選挙戦の時から支持してきたのであり、選挙に負ければそれまでつぎ込んだ選挙資金も時間も無駄になってしまうわけで、そんな「賭け」をしてまでも支持してきた理由があるはずではないか、と考えてしまいますし、米国人の半分が知的に劣っていると考えるのは極めておこがましいことではないかと思います。
そうした矢先、小松左京さんの『アメリカの壁』という小説に行き当たりました。もちろん現大統領が出てくるずっと前に書かれたSF小説ですが、この小説を読んで、今の米国の半分の人々の「思い」に近づけたかも知れない、という仮説を持ちました。https://amzn.to/3Yk2E7Q
高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』という著書にもありましたが、大国はその重みに耐えかねて自ら衰亡するという主旨です。ローマも帝国の版図を維持し続けることができず(財政面や国家市民の奉仕心などの減衰によって)、既に傭兵などとして浸透していた「蛮族」の激しい攻撃に耐えられず、他方市民の心の拠り所となっていた一神教にすがることによって皇帝の権威がなくても生きていけるあっても関係ないというような思いになっていったのではないかと感じています。
小松左京さんの小説は、米国民が「外の世界に、ひどくいやな形で傷つき、シュリンク(萎縮)しはじめた」ために、もうこれ以上「むしられ」ないよう自国だけで生きていこうと、領土領空を覆う霧を作ってしまう、というもので、「孤立で受けた損害よりも利益の方が大き」く、「もう外の世界から泥沼のような援助をもとめられたり、支配力や影響力のぐらつきに焦ったりしなくても」良くなり、資源はなんでもあり食料はありあまるほど生産できるので「たった一国でも生きのびる」力を持っているというようなことが書かれています。もちろんSF小説ですから、それが今の米国の実相だというつもりはありませんが、これだけ世界から問題視されている大統領が国内では半数の人から支持されているというのはそれなりの(彼らからして)真っ当な理由があるはずだと考えるのは不自然なことではないのではないかと思います。
つまり、米国の人々は、世界中に対する関与に疲れ、少し「普通の国」になりたがっているのではないか。その昔人気絶頂期のキャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と言って解散したのと同じような心情かも、と感じています。思えばオバマ大統領が「もう世界の警察官じゃない」と言ったことが「普通の女の子になりたい」と言ったキャンディーズの思いと通ずるところがあるように感じます。
私の学んでいる「交流分析」という心理学では、コミュニケーション過多で疲れると、一旦他社との交流から離れて一人になりたくなることがあり、そのことを「閉鎖・引きこもり」と言い表しています。この単語はマイナスのイメージがあるかも知れませんが、放出しきったエネルギーを蓄積し、再び他者とコミュニケーションを取るための準備期間が必要になるための行為、という見方もできるようです。
私などはこれまで一部のビリオネアの姿ばかりに目がいき、ウォールストリートやデジタルビリオネアがアメリカだ、という風に感じていましたが、存外それらの人は本当に1%程度であり、残りの多くはヴァンス副大統領が書いた『ヒルビリー・エレジー』の世界の住人だとすれば、自分たちの納めた税金が自分の生活を守るためでなく他国の戦争の武器購入や他国の難民の生活のために使われていることに耐えられない不満を持っていると考えるのは無茶な想像ではないように思います。そんな考えは近視眼的だという批判もあるでしょうが、自らの立場で考えると、果たしてそうかなとも思います。
トランプ大統領は「Make America Great Again」と主張しています。確かに小松左京さんの小説に描かれている大統領も「輝けるアメリカ」という主張をして当選したようですし、「みんな、自信を取り戻そうよ」という呼びかけは、ロジカルに大国の役割を主張するよりもよほど心に響きますし、萎えた心を鼓舞するには必要なスローガンだと思います。しかし彼らの本音は「もう、別に世界から尊敬されなくてもいいから、世界の警察官を務めるのも大変だから、とにかく自分たちの生活をなんとかしようよ Make America Shrink Again」ということなのではないでしょうか。「MAGA」というスローガンの背後に隠れている本音は「MASA」なのでは?と考えると、彼らの支持と政策がなんとなく整合性が取れているように感じられるのです。もしもそうなら、自動車一つとっても、日本市場に売るための努力をしないからではないか、という論理的な反証をしても彼らにはなんら響くことはないように思います。米国を市場としてあまり期待しないという方向性もありかも知れません。もちろん関税分が高くなっても買って下さる米国顧客には従来どおり販売すれば良いのですが、シュリンクしたがっている米国市場をこれまで同様の巨大市場であると思わず、違う国を向いて商売していくという風に割り切るのも一つではなかろうかと思います。
昨4月26日の日経新聞「経済論壇から」にありましたが、黒田東彦氏は「米国は外国の資源や市場に依存せず、すべて自国の中で生産して完結するという方向性で、保護主義というよりも孤立主義」と見ており、小松左京さんの小説と同じことを述べておられるようです。とはいえ、現時点でドルは基軸通貨であり米国が大国であることに変わりはなく、この先も当面は「国際関係のハブ(岩井克人氏)」でしょうが、トランプ政策を支持しているであろう半数の米国民の思いも考えることで、私たちの打ち手も「米国に売るためになんとかしよう」という考え方から解放されることにつながるかも知れません。

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平岡正明さんの『昭和ジャズ喫茶伝説』

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平岡正明さんが亡くなったのは2009年のことだということです。この本は今年の2月に出版されているので、亡くなってから15年以上も経過しています。しかも本の内容は昭和のジャズ喫茶をテーマにしたもの。単行本として出版されたのは2005年。
中をパラパラとめくると、安保闘争や発禁本やジャズメン、演劇、出版、劇場、雀荘、スピーカーなど、1960年代の東京の猥雑な断片をある時は当事者としてある時は傍観者として脈絡もなく書きまくられているような印象を持ち、一体こんな古典とも言えぬような、特定趣味人しか読まないような本を誰が読むと思って筑摩書房は出版したのだろう?と思いながらレジに真っすぐに向かう私がいました。
しかし買って帰って読みだすと、とにかく面白い。1960年代、日本がたぎっていた時代、ジャズもどんどん進化していった熱い時代、平岡正明さんは中上健次さんよりも生年では5歳年上になるので、恐らくこの本の中に書かれている様々なエピソードは中上健次さんも同時代に経験しているのではなかろうか、などと空想しつつページをめくり続けています。

私の興味をそそっている部分を書き出したらきりがありませんが、p22にオーネット・コールマンの「淋しい女」という曲が、セロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」の焼き直しではないか・・・というくだりがあり、早速聴いてみたところ、ははあ、なるほど、そういう風に聴くのか、と感心しきりです。これは、発表された当時だからこそ感じるものであり、ずっと後の時代になってから何十年も前に録音されたものをバラバラと聴いているような聴き方では気づかないことだなあと思いました。
その勢いで、続く「ガレスピーが1963年に1945年を回想した消灯ラッパつき『ラウンド・ミッドナイト』を聴いて」という記述を読んで思わず、ディジー・ガレスピーが演奏している同曲は聴いたことがなかったと、検索して幾通りもの同曲を聴きました。中にはモンクがピアノを弾いてガレスピーがあの折れ曲がったトランペットを吹いているコンサート映像もあり、貴重な映像が残っていることに感激しました。

この本は私にとっては長らく楽しめそうです。

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トーマス・マン『魔の山(上)』

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24歳のドイツ人青年ハンス・カストルプがいとこが入院しているスイスの高原のダヴォスにあるサナトリウム(療養所)を訪れるところから始まる物語です。
こういうものを読もうという動機はなかったのですが、たまたまなんとなく気になって、昨年秋頃に買い求めました。はじめは岩波文庫で読み始めたのですが、さっぱりわからず、途中で断念し、新潮文庫ならもう少しやさしいかもとなんの根拠もなく切り替えました。しかしながら手に負えず、結局10月に読み始めた上巻が半年近くかかってようやく読了にこぎつけました。NHKの「100分de名著」でも扱っており、とても興味深く視聴しましたが、本はなかなか手強く、テレビでうんうんと眺めていたような感じではありませんでした。

「魔」の山というくらいなので、普通の健常者がそこで治療を受けている人たちと一緒に過ごしているだけで、日に日に体調がおかしくなっていくという不思議な、ある種ホラーめいたところも感じる小説です。そういう筋書きなのかなと予想はしていたものの、実際に読んでいくと難渋です。この人はなんでこんな面倒な難解なものを書いたのだろうと疑問を持ちつつ読み進めています。言い回しが面倒。見開きの2ページがほぼ文字で埋まっていて余白がない。ジョン・コルトレーンのシーツ・オブ・サウンズを小説で表現するとこのようになるのだろうなという感じです。コルトレーンの演奏でも、あまりにもソロのアドリブが長いので観客が全員帰ってしまったことがあるというエピソードを聞いたことがありますが、この小説も「退席」したいと思うことしばしばです。


20世紀ドイツ文学の最高傑作だと言われているそうです。しかもこの作品をはじめとする色々な作品群で、トーマス・マンはノーベル文学賞を受賞しているとか。下巻の裏表紙にも「ファウスト、ツァラストラと並ぶ二十世紀屈指の名作である」なんてことまで書かれていました。そんなことも知らずに私はこの本の巨大な迷宮にほとんど準備をせずに入り込んでしまっています。読んでいて、確かに「観念的」だなあと感じます。ドイツ観念論なんて言葉は知っていても意味は知りませんので、安易なことは言えませんが、なるほど、そういうことなのかな?と思ったりもします。登場人物の言葉からとても観念的な印象を受けます。

もしかすると、本当の病気になったわけではなく、偶然見初めた年上の女性に対する恋心が発熱となって出ただけなのかも知れません。ということが上巻の一番最後まで来て感じられました。私の気のせいかも知れませんが。

読んでいて、とても興味をそそられる記述がありました。p570「だから意識なるものは、結局のところ、生命を構成している物質の一機能」であるというくだりです。
あれ? 毛内拡さんの『心は存在しない』やレイ・カーツワイルさんの『シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき』などに「意識は体と別のところにあるものではなく、脳の働きなのだ」というような主張と同じことがこんなところに書いてある、と思い、びっくりしました。(これも気のせいかも知れませんが)
またこんな記述もありました。p586「原子はエネルギーの充満した一宇宙を構成しており、その体系内では、太陽にも似た中心体の周囲を多くの天体が自転公転し、たくさんの彗星が、中心体の引力によって外心的軌道内に引きとめられながら、光年的速度でその天空を飛びちがっている」・・・という感じで、小説の中に、生命論やら物理学的なものやらなんやらかんやらをごった煮の如く詰め込まれたもので、難儀してます。

しかし上巻の最後に来て急転直下、これまでの長い道のりはここにつながっているんだ、という感じで話が進み、それまでの悪路難路が一気に報われた感じがしました。孤独のグルメで松重豊さんがいつも言っている「ああ、そう来たか」というつぶやきを私も思わず漏らしてしまいました。
さてこの先、下巻が待っており、上巻ですら文字が敷き詰めて700ページもあったのに、それよりさらに100ページ分パワーアップの800ページも待っているということで、どういう展開になるか、期待ワクワク、腕が鳴ります。

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レイ・カーツワイル氏『シンギュラリティはより近く:人類がAIと融合するとき』

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レイ・カーツワイル氏は、ご存じ「シンギュラリティ」という言葉を、AIの進化によって人類全体の知能をコンピュータが上回る時が2045年には到来するという意味で人口に膾炙した方です。
このカーツワイル氏の新刊『シンギュラリティはより近く』を読みました。

以下、私の関心を惹いた箇所などを抜き書きしておきます。
・p8。シンギュラリティ(特異点)は、数学と物理学で使われる言葉で、他と同じようなルールが適用できなくなる点を意味する。(これは隠喩であり)私がシンギュラリティの隠喩を使ったのは、現在の人間の知能ではこの急激な変化を理解できないことを示すためだ。だが、変化が進むにつれ人間の認知能力は増強されるので、対応できるようになる。
・・・という記述からすると、シンギュラリティとは、人類にとって次のステージに移行する進化のことを意味しているのかも。と考える理由は、次の第1章で六つのステージ論とも言うべきものが展開されており、現在の人類はその4番目のステージだということを示唆しているからである。
・p15~。(六つのステージについての記述)
第一のエポックは物理法則の誕生と化学プロセスの誕生である。今から数十億年前に第二のエポックが始まった。自己複製能力、原始生命。第三のエポックでは、DNAによって記述された動物が生まれ、情報を処理し蓄える脳が形成された。第四のエポックでは、認知能力を利用するとともに、親指を使うことで思ったことを複雑な行動に移すことができるようになった。それが人類である。第五のエポックでは、生物学的な人間の認知能力とデジタルテクノロジーの速度と能力が直接に融合するブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)が実現する。第六のエポックは、私たちの知性があまねく宇宙に広がっていく。
・p19。2030年代で鍵となる達成レベルは、六層構造(上の「六つのステージ」とは別の「六」であると思われます)となっている私たちの大脳新皮質の表面に近い部分とクラウドコンピュータを接続し、直接に私たちの思考を拡張する。これによってAIは人間の競争相手ではなく、人間を拡張するものになる。・・・攻殻機動隊の世界の出現。
・p68。Googleの「Talk to Books」というアプリ。10万冊以上の本のすべての文を調べて、あなたの質問に最適な答えをくれる。極めて優れものだが2023年に閉鎖された模様。
・p82。現在、AIに足りないものは文脈記憶、常識、社会的相互作用。(ここで言う「文脈記憶」は、最近の生成AIで前のプロンプトの内容を踏まえた回答をしてくれているが、そのような短期のレベルではなく、もっと長期的な文脈を意味しているのかも知れません)
・p93。今から約20年以内に、人間の脳の機能すべてをコンピュータはシミュレートできるようになるだろう。
・p100。(チューリングテストに)成功するAIは自分が人間を超えているところを見せないようにする。・・・なぜ?これは意味がよくわかりませんでした。
・p137。信じられないほど低い可能性のなかで人類は誕生した。男性が一生のうちに作る精子の数は2兆、女性の卵子の数は約100万個。受精は1を2兆×100万で割った確率。(さらに言えば、地球に生命が出現したこと自体が大変な偶然の産物との詳しい説明あり)
・p164~。私たちは選択バイアスが働いて、迫りくる危機に関するニュースを選ぶ。社会はものごとを悲観的にとらえる3つのバイアスを持っている。
 ①私たちが悪い知らせに引きつけられるのは、進化的適応である。進化の歴史において、生存のためには危険かもしれないものに注意するほうが重要なのだ。
過去を美化して覚えている心理的バイアスは、それも進化的適応のひとつだ。心痛や苦悩の記憶はよい記憶よりも早く消える。ノスタルジア(ノストス:帰郷、アルゴス:心の痛み)は、過去を変えることで、過去のストレスに対処するメカニズムなのだ。
 ②悪いニュースは広まりやすい、という認知バイアス。世界は初期の状態から崩れて、悪くなっていくと考える。失敗への備えをし、行動に出る動機を与える建設的なてきおうかもしれないが、人々の生活における向上点を見えなくする強力なバイアスになる。
 ③利用可能性ヒューリスティック。私たちは悪い状況をすぐに思いつけるようになっている。(できないことの言い訳、に近いもの?)このバイアスを正すためには、楽観的になる強い論理的根拠、人間の創造力と努力が必要。
・p183(私たちの生活は今後指数関数的に良くなっていくが、障害がある。)。第一の障害はテクノロジーではなく政治にある。ダロン・アセモグル教授は、人類の発展において政治制度が大きな役割を果たしていることをあきらかにした重要な研究をしている。多くの人々が自由に政治に参加することを認める国や、未来のためのイノベーションや投資が保証されている国では、繁栄のフィードバックループが根づくことが可能になる。

宗教的なことに関するような記述もありましたが、あまりに難解でしたのでここでは触れません。
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また、同時並行で3年半ほど前に出た小林雅一さんという方の『ブレインテックの衝撃』という本を読みました。この領域は3年半も経つと古い感じがしましたが、ここでも「心」や「意識」についての記述がありましたので引用しておきます。
・p69。今では私たちの「意識」や「心」は、それら無数のニューロンの電気・化学的な活動の総体と考えられている。
これが本当ならば、将来的にはロボットに自分を完全に移植することで、意識をもった自分が永遠に生きるということも可能になるかも知れません。シンギュラリティというのはそういうこと・・・かも知れないと思った晩冬の宵でした。
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2025年(令和7年)NHK大河ドラマ「べらぼう」の蔦屋重三郎同時代年表を作りました

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NHKの新しい大河ドラマ「べらぼう」が始まりました。初回は明和九年の江戸の大火のシーンでした。今までの大河ドラマでは、主人公の子ども時代から始まるのが通例でしたが、今回はいきなり大人としての登場だったため、はて?この時蔦屋重三郎は一体何歳だったのだろう?と疑問を持ち、また天下御免では山口崇さんが平賀源内を、坂本九さんが杉田玄白を演じていましたが、平賀源内が初回から出てきており、既に有名人になっていたようなので、一体何歳ぐらいなんだろう?と思ったのがことの起こりです。関連する人たちが、いつ、何歳で各時代の場面にいたのかということがわかるようにしたいと考え、同時代人の年表を作りました。
去年は、ほとんど藤原さんばかりだったので、縁戚関係がわかれば良かったので、系図と年表があれば理解の助けになりましたが、今年は色々な人が登場するので、同時代人がわかるものがあればと思った次第です。下記にアップしておきますので、必要な方はダウンロードしてテレビを観られる際などに傍らに置いてお楽しみいただければと思います。ダウンロードの際、拡張子が変わってしまうようですので、ダウンロード後に改めて拡張子を「xls」に変換した上で開く必要がありそうです。また、印刷の際はA3版をお勧めします。
なおいくつかの年表を見て作成したものではありますが、名前や生没年その他誤りがある可能性はありますので、その点をお含みおきの上で個人の責任にてお使いいただき、ウイルス感染等を含め使用に際して何らかのトラブルが生じても責任は持てませんのでご承知下さいますようお願い致します。

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正しいことは爽やかである(本田百合子さんの言葉)

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TKC&D CREAREという会報誌が送られてきました。2025winter Vol.83とあります。
中に、日頃お世話になっているアシステム税理士法人の本田百合子代表のインタビュー記事が掲載されていました。
自分への戒めと備忘のため、感謝の念を持って、(私が感銘を受けた部分はご本人のお考えの中のどういう位置づけのものかはわかりませんが)一部抜き書きさせていただきます。
・メインの人をサブの人が必ずダブルチェックするきちんとした仕事
・正しいことがいかに爽やかであるか、明日ポックリ逝ってもいいようにと退路を断って本気でお話しする
・経営計画を作りましょう、ちゃんとした利益を出し続けましょうと、口酸っぱく言い続けている
・(関与先事業者の)利益にもこだわっていきたい
・先延ばししている場合ではない
・スタッフが幸せになるように頑張っている
ある事業者さんが、資金繰りが厳しくなって廃業の決意を伝えに本田先生の所へ挨拶に行かれた時、本田先生から「本当にできることをすべてやった上での判断なのか」と強く尋ねられ、まだできることがあることに気づき、その後業績が回復した方がいらっしゃいます。上記の「明日ポックリ逝ってもいいように」「本気で話をする」というお考えが根底にあってのご指導だったのだなとこのインタビュー記事を拝読して感じました。当然、ハッキリ言わなければならないくらいに切羽詰まった状態であったと思われ、またそれまでの信頼関係が作られていてのことだろうと思います。
そうした助言は、正しいことは爽やかであるという言葉ともつながっているのではないか感じます。
私の地元の魚津市を中心に県内全域でご活躍の本田先生は、大学の先輩でもあり、これからも(間接的ではありますが)ご指導を賜りたいと思っています。

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脳と心について

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心というものがあるのかないのか・・・心理学という学問がありますし、私たちは子どものころから霊魂というものの存在を聞かされており、地獄という世界があって死んだらそこに行かないように善行を積んでいかなければならないという教えに接していましたから、死んで肉体から分離していくものがあるのだろう、それが心もしくは霊魂というものなのだろうと、無条件で思っていました。


しかし、最近『心は存在しない』(毛内拡氏著)https://amzn.to/4gSgQM7という本を知り、これは仮説だとの見解で書かれたものではありますが、もしかすると吉本隆明さんの言っていた「国や社会は人間が作った共同幻想」というようなことと同じように、心や魂も脳が作った幻想ということかも知れないなあ、という仮説を立てて考えてみるのも面白そうだと感じています。


梶本修身さんという方が『すべての疲労は脳が原因』https://amzn.to/4a3B3wbという本をお書きになっていますが、先日ラジオでこの方の話を聴いていたところ、脳の真ん中あたりに自律神経の中枢があって、人間が色々な判断をすればするほどここが疲れて来るそうです。人間は一日に35000回もの意思決定・判断をしているそうなので、それは例えば単に走っているというだけでも(つまり、いわゆる仕事をしているわけではない時でも)周りの状況を見たり、足元の道の状態を感じて安全性を判断したり、ということらしく、尿意を催してトイレに行くのも自律神経が排泄を命じており、身体がその指示に従って動いているのでありそこにも自律神経による意思決定があり、それらの連続で脳の中枢が疲れてしまうのだそうです。沢山肉体を使って「疲れた」と感じることがあり、今日はよく肉体を駆使したからなあと思っていますが、それは肉体が疲れたのではなく、肉体に酸素を供給する前提の状況判断や送るという判断をして送り続ける自律神経の働きが疲れたということらしいのです。確かに言われてみれば、身体が疲れた、と感じても、そのあと事態が急を要するような時には、「動ける、あれ?動けるぞ」ということも実際にありますから、もしかして肉体が疲れたというのも錯覚(脳が、自分が休みたいので、身体を横たえさせようとしていることを勘付かれないように隠れて指示しているために起こる錯覚)なのかも知れません。


優秀な方は、意思決定の量を少なくすることを心がけており、日々の生活の中になるべくルーチンを多く取り入れていると聞いたことがあります。具体的には例えば故スティーブ・ジョブズ氏は、いつも黒のタートルネックとジーンズという風に衣類を選ぶために脳を使わないといった話がありますが、こうした事例も沢山あるようです。してみると、いかに脳を活力あふれる状態で使い続けられるかということは、一つには判断しなくても良いようなことの判断をしなくても良いような生活習慣を取り入れることのようです。
と同時に、睡眠が極めて重要だということも梶本修身さんは仰っていました。

睡眠と言えば上田泰己さんという方が『脳は眠りで大進化する』https://amzn.to/3DNy6Unという本を書いておられ、こちらも注目しています。日本人の睡眠が短いということは以前から指摘されており、この本の中でもOECD33か国中日本人は男女とも最も短いということが書いてあります。日本人の平均睡眠時間は7時間22分とのことですが、個人的にはそんなには寝ていないなあと感じます。それでも40代の激務時代から比べれば伸びてはいます。そういえば大谷翔平さんが睡眠をとても重視しているという話はよくインタビューでも言っておられますし、スケートの浅田真央さんも良い睡眠のためのマットを持参して遠征に行っておられたという話も聞いたことがあります。

論理性に著しく欠ける話ではありますが、脳科学の最新研究成果だと言われている上記の色々な話を総合すると、どうも、脳の真ん中にあって色々な命令をつかさどる機能が生命の本質なのではなかろうか?という仮説を持っています。その機能≒自律神経を司っている部分は、生れて来たからには生き続けるということがプログラムされているように思います。例えば他の人から危害を加えられそうになったら、人は一般的には防衛や反撃をします。肉体的な危害もあれば精神的な侮辱などのことも危害と捉えると、防衛や反撃は、自己の生存を守るための反応ですので、脳の中枢にある自律神経を司るものがそれを命じているのだなと考えます。
スピノザは『エチカ』https://amzn.to/41P9sNkという書物の中で人間の基本的感情を3つに限定して、それ以外の感情はその3つの基本的感情から派生しているものだといったことを述べています。3つの基本的感情は「喜び」「悲しみ」「欲望」(文庫(上)181ページ)ということで、(ここからは交流分析からの学びに関係していますが)それらはいずれも人間の生命を維持することを目的にしたもののようです。怒りやすい人も泣きやすい人も呵々大笑しやすい人も、恐らく子どもの頃にそういう反応をした際に「生命」を維持できた、という成功体験が積み重なって大人になってもそういう感情が表出しやすくなっているのではないかと思います。

そこで改めてアリストテレスがどのようにそこら辺りを見ていたのか?ということを調べてみようと思い立ちました。彼の『心とは何か』https://amzn.to/4hf3fyPという本が岩波文庫から出版されています。邦題は他にもいくつかのタイトルがあるようですが。この本の解説に「アリストテレスは、プシュケーが身体から独立した存在であることを否定」とあり、「心とは身体がある一定の能力をもった状態である」「一種の能力」とあります。さらに「心は、生きていることの原因であり、その原因とは、栄養摂取能力、感覚能力、運動能力、思考能力」ともあります。ちょっとだけ脱線しますが、アリストテレスはこの本の中で「睡眠と覚醒については別のところで考察する」と述べており、この別の考察について書かれたものはなんと『アリストテレス全集第6巻』という大部の著書に当たらなければならず、すぐには手が出ませんが、上記の「眠り」の本や「すべての疲労は脳」の本などとも関係があるかも知れないと考えると興味が尽きません。アリストテレスを絶対視するつもりはありませんが、今の色々な科学の多くが遡れば彼の思惟に行きつくことを考えると一旦彼が何を語っていたのかということに触れ、改めて考えるのも意味があるのではないかと思います。改めて同書の解説ですが、この本は「難しい著作のなかにあって、内容の深さの点から言っても、頂点に位置する」のだそうで「他の著作で論じた論点の上に築かれており」「この講義で用いる重要な概念に受講者があらかじめ通じていることを前提にしている」のだそうです。「睡眠と覚醒」などにしても別の所に書いたからそっちを先に読んでからこっちに来なさいね、ということなのだろうなという気もします。

生きんかな、というのが生命の本質だとすれば、そのために色々な外からの刺激にどう反応すれば最も生命維持にとって有効かを経験や知識から選択して判断している、ということが私たちの日常生活なのでしょうか。しかし中には『心配事の9割は起こらない』https://amzn.to/3W1LZ7Uとか『反応しない練習』https://amzn.to/49XM0zmといった、実際にそうだなあということもあり、ちょっと見渡せば、自律神経を酷使して「つっかれたあ」と感じなくても良いような知恵が周囲には沢山あることにも気づきます。

脳と心について、感情の起伏、睡眠による疲労回復、元気溌剌で過ごすために工夫できることなど、調べ始めたところですので、今後もっと勉強し2025年はこういう知恵も使いながら楽しく心地よく過ごしていけるようにしたいものです。



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松岡正剛さんを悼む

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その昔「遊」という雑誌がありました。何冊か購入したような覚えもありますが、今手元に残っているのは1981年秋の臨時増刊号一冊のみです。発行は工作舎、編集者は松岡正剛さんという方です。エディトリアル・ディレクターという聞いたことのない職業でした。カタカナの職業名に、なんだか変な、というのが第一印象でした。


数日前松岡正剛さんの訃報に接しました。新聞の片隅の著名人の死亡欄に載っていただけだったのであやうく見過ごすところでした。享年80歳とのこと。
「遊」で見ていた頃は、「日本はすごい」という論調が前面に出ていたこと、お名前が戦前のある政治家と同じであったことなどから、勝手な印象として、少し偏った思想の持ち主ではなかろうかと感じていました。そのため、超のつくようなこの人の博学ぶりに驚きと憧れを持ちつつも、その該博ぶりは本当であろうか、といぶかしがり、深入りすまいと距離を置いて眺めていました。
但し、この「遊」については、第一級の著名人が、それも大勢寄稿しており、これらの人が皆変な思想の持ち主だとはどうしても思えず、松岡さんに対する私自身の見方も妙な偏見やも知れぬと定まらぬ立場でしばらくはいたような気がします。

平成2年、「電話100年記念出版」として、NTTのグループ会社であったNTT出版から『情報の歴史』という分厚い書物が発行されました(非売品)。世界史年表の体をとった情報の歴史を扱った大部のもので、7000万年前から、人類の脳容量が1600立方センチになる時期を経て1989年(平成元年)に至るまでの歴史(地球の歴史を含む)を情報という切り口で編集されたものです(今年の大河ドラマの源氏物語についても記載されています)。企画監修・年代構成・本文執筆・作図構成を松岡正剛さん、構成編集を松岡正剛さんが主宰する編集工学研究所が担っており(当時の松岡正剛さんの活躍の舞台は主にこの編集工学研究所であったと思われます)、企画進行にはその数十年後に私の上司になった西山等さんが担っておられたことが巻末に記載されています。
これによって松岡正剛さんの印象が随分変わり、ああ、こういう仕事をしている人なのか、ちょっと偏見を持って敬遠し過ぎていたなあと見方を変えました。

その後の松岡正剛さんの活動を振り返って見ると、とにかく知が好きで、知を編集することが大好きなひとだったのではないかと感じます。最近は角川ソフィア文庫から「千夜千冊」のシリーズを刊行されており、この本自体は元々随分以前からネットで書き連ねておられたものだと思いますが、その他の著書や雑誌などにも登場しておられたため、てっきりまだまだ元気で知の啓発活動を進めて行かれるものだと思っていたので、急な訃報で本当に驚きました。松岡正剛さんの読書術なる本なども読み、この知の巨人がどのように読んでいるのか、読み方の一端に触れたような気もしますが、既に記憶からは抜け落ちてしまっています。

そういうわけで松岡正剛さんという人物に対しては、最初のちょっと斜に構えてしまった印象が尾を引いてしまって、あまり深く関わろうとしないこの40年間でしたが、そうはいっても色々と影響を受けてきたことには変わりなく、改めて感謝するとともに追悼の意を表したいと思います。そしてまた、彼と彼のお仲間が著わした『知の編集工学』や『探求型読書』なども読んでみようかと思っている次第です。

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ガブリエル・ガルシア=マルケス氏の『百年の孤独』

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ガブリエル・ガルシア=マルケス氏の『百年の孤独』読了です。
一言で言うと、面白かったあ、という感じ。
600ページを超える長い読み物。6代に及ぶ一族の物語。時にヒタヒタと時にハチャメチャに享楽ありバイオレンスあり突然死あり、ある時は筒井康隆さんの『脱走と追跡のサンバ』を思い出し、またある時はウルスラは中上健次さんの『千年の愉楽』のオリュウノオバでありマコンドは路地であろうなどと確信めいた思いを持ったりしながら読み進めました。オリュウノオバは、ああ見えて多分50代であり、映画では寺島しのぶさんが演じていたのですが、ウルスラは150歳まで生きていたようなので、単に印象だけの相似であり、全く違うのでしょう。中上健次さんも『百年の孤独』を知ったのは『千年の愉楽』を書いた後だと仰っているようなので、まあ類似性を感じたのは偶然であろうと思います。さて或いは、また筒井康隆さんですが『ダンシング・ヴァニティ』なども繰り返しが多用されており、同じ名前の人が繰り返し何度も出てきて似たような行為を繰り返す情景なども類似性を感じました。(感じ方は、多分人それぞれ、自由です)類似性だの相似だの、何を感じたかというのはそれほど重要なことではなく、この物語がとっても面白かったということを、とりあえず最後に述べさせて短い読後感想文とします。
『族長の秋』はずっと以前にザザザザザッと読んだだけだったので、いずれの時にか、今回の『百年の孤独』のように、もう一度しっかりと読んでみたいと思っています。

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「山田宗睦さん」のこと

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先日新聞に山田宗睦さんという方の死亡記事が載っていました。どなたかは全く存じ上げませんでしたが、なんとなく気になって著書を探し、古代史の解説ものその他色々なジャンルに及んでいることを知りました。たまたま地元の図書館を訪れた際に書庫にいくつかこの方の著書が蔵してあることを知り、借りてみました。
その中の一つ『旅のフォークロア』をパラパラとめくっていると、「能登」という紀行文に出会い、読んでみるととても興味深く引き込まれてしまいました。

「戸坂潤を百科全書的な思想家とみるのが、定説だ。厳格にエンサイクロペディストととるなら、わたしなどとても縁がないが、ややずらして、なにごとにも好奇心をもつというくらいにとるなら、わたしもまた戸板の徒だ。」(この謙虚な言い回しに引き込まれました)

「さいきん、能登半島への旅がクローズアップされてきたが、能登へ入るには、北陸本線の津端で七尾線に乗り換える。この七尾線が河北潟ぞいに海岸に出たところが、宇ノ気である。宇ノ気は、鳥取砂丘につく河北砂丘の北東の端にあたる。砂丘の南西の端は、清水幾太郎の名を高くした内灘だ。宇ノ気は西田幾多郎の生まれたところだ。(中略)敗戦の直後、軍隊から復員するとき、まずこの村によったのも、わたしに西田の生まれた村で今後の行き方を考えてみたいという気があったからだ。」

「戸板が西田を慕い、一高在学中に京都に訪ねたのは、1921年1月6日のことで、それは西田の日記に残っている。入学はその翌年。のちにマルクス主義者として戸板は西田哲学を批判するが、西田はその批判を『理解のある大変よい批評だ』と、戸板への手紙に書いた。」(ここで冒頭の戸板潤と西田幾多郎の関係が明かされます)

「その年(1936年)、小学生のわたしは、この海辺にきて、ようやく泳ぎをおぼえた。この辺り海はおどろくほど遠浅で(中略)十センチもある大きな蛤が、ごろごろ取れた。そう、今浜はわたしの父の古里だった。」(ここでまた驚きです。山口県下関生まれ、と奥付に書いてあったので、北陸はたまたま旅をしにきただけの紀行文かとおもいきや)

「1944年秋、わたしはこの村の神社で、村人の出征壮行会におくられ、金沢の連隊に入った。(中略)45年6月7日に、西田が死んだ。石川出のこの大哲学者が死ぬと、曹長はわたしのところまでやってきて、「元気をおとすな」と言った。戸板が獄死したのは-当時のわたしは知らなかったが-その二か月後、8月9日、敗戦の六日前である。」

「羽咋市から直線で20キロほど北、福浦から富来をへて関ノ鼻にいたすS字型の海岸33キロが昨今著名となった能登金剛である。戸板が幼年期をすごした里本江もこのなかにある。」

「雪のたたきつける内灘の砂上で、対戦車砲の演習をしながら眺めた、白い歯をむく海のこわさを、わたしは忘れがたい。松本清張『ゼロの焦点』が、原作でも映画でも、ともに、荒涼とした能登金剛の風物を、たくみに利用したのは、同じ印象からだろう。」

「能登の探訪は、美しいが疲れもする。その疲れをいやすのに、加賀温泉郷の一つ粟津温泉に泊まるのも一興だろう。なぜなら、戸板潤は四歳のとき、ここに移った。祖父が転勤したからだ。そそて五歳までいて東京の母のもとにかえる。この温泉のある小松市の東隣に根上町というのがある。わたしの母の古里だ。」

ふたりの哲学の師に連なる自身の立ち位置をさりげなく示しつつ、能登のことを織り込みつつ、最後は母で締めくくるという、なんとも素敵なエッセイだと感じ入った次第です。この本が発行されたのは1978年、私がまだ高校2年生の時です。私にとってはなんのゆかりもない方ですが、感じ入った文章の一部なりとも残しておきたいと思い、書写させていただきました。もう少しだけ本書から抜粋させていただきます。次の一文は「山の辺の道」です。

「山の辺の道を、いくども歩いた。(中略)この道が有名になると、案内板もできたし、ガイド・ブックに道筋を示した地図ものこっている。現代人は教条主義だな、とおもう。(中略)しかし道はきままに歩くのがいい。これが山の辺の道と、まるで試験のように一歩も路をふみはずすまいと歩くのでは、あじけない。一つや二つ、上下に、それとも自由に、畦道をたどる方がいい。それと、この道を歩くまえに、『万葉集』や古代史をのぞいて、古代人の心でこの道を歩く用意をした方がいい。(中略)山の辺の道は、初瀬街道に面した三輪山南麓の金屋からはじまる。ここから歩きだすのがいちばんいい。」という感じで山の辺の道と古代王家にまつわる女性たちの悲哀がつづられていきます。私の大阪勤務時代に何度も訪れ、歩いた山の辺の道を、この見知らぬ哲学者もよく歩いておられたのだということをこの書を手に取って知り、なんとなく、上の能登の話とあいまって、余計に親しみをおぼえた次第です。
ちなみにかつて大阪勤務時代に山の辺の道を歩いた時は、私はいつも石上神宮からしか出発したことがなく、都側から見れば当然のルートだと思っていたのですが、どうもそうではないということを後年知ったところですし、山田宗睦さんもこっちから歩くのが良いと仰っていますので、次に訪れる機会があれば、三輪山側から歩いてみようかと思います。

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