バランスシートの読み解き方の一考察

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金融機関に奉職していた頃、お金は利益が出ている会社に貸すという発想ではなく、貸借対照表(バランスシート)を見て貸すのだ、という話を当時の上司から教わりました。
爾来、バランスシートとの格闘が始まりました。
損益計算書は、本業で儲かっているのか、金利負担が大きすぎて経常利益が圧迫されて返済財源がない、などのことがわかりやすいのですが、バランスシートを見てお金を貸せるかどうかの判断をする、という発想がなかなか理解できませんでした。
実際いまだによくわかってはおりません。

お金を右の方から借りて、左の方で使途を書いたものがバランスシートだ、と言われます。
私の日常では、物事は左から右へ流れていきます。(日本語や英語の横表記しかり、カレンダーしかり、スケジュール表しかり、バリューチェーンしかり、プロダクトライフサイクルしかり、需要供給曲線しかり、損益分岐点売上高のグラフしかり、日本刀の払い方しかり・・・これは日常的ではありませんが)
逆ではないか。
なかなか腑に落ちません。

自己資本は返済しなくていいから一番下、すぐに返済しなければならないお金であるところの「買掛金」や「支払手形」などは一番上、現金や預金はすぐに使えるから一番上。一番上同士を見れば、短期の資金繰りが忙しいかどうかがすぐにわかる。・・・これはまだなんとなく納得しやすいです。しかし現金や預金がすぐに使えるというポジションに置いておくのはいかがなものか。
売上に貢献していない過剰設備なるものがあるとしても、それは自己資本と長期借入金でまかなわれているから大丈夫(固定長期適合率)、というような解説をするものだから、経営者の方々は安心して、ああ、借入で賄えるから良いのだな、と錯覚してしまいがちです。
これがバランスシートの下の方に固定資産が置いてあることの弊害ではなかろうか、などと思うわけです。

歴史をひもとくと、バランスシートを発明したのは15世紀イタリアのルカ・パチオリ(ルカ・パチョーリ)という数学者だそうです。この人物の住んでいたところが右側が陸地でそこから資金を調達してきて、左側の海に向かって船が出て行く様子を見ていたので、バランスシートは右が資金調達、左が資金使途だ、という説明をどこかで読んだような気がします。

バランスシートの配置を、左右を逆に、上下も逆にしてみたらわかりやすいんではないだろうか、とふと思いました。
そうすると、損益計算書から一番最後に出てくる当期純利益が、バランスシートの左上に配置された純資産にプラスオンされて、それを増やしていく楽しみが経営者に伝わりやすいし、そのすぐ右を見ると不稼働な設備や不要な土地がどかんと鎮座していれば、もっと稼働率を高めるか不稼働資産を圧縮しなければ非効率だなと一目でわかる(コンサルとしては説明しやすくなる)のではないかなと思ってみました。
が、そもそもこの現在の形式で500年も続いているものです。そんなアホみたいな思いつきで変わるものではないでしょうし、配置を変えても内容を変えるものではないので、とりあえず細々と個人作業において試行錯誤してみようかなと思っています。
(この問題が自分の中で解決しても「債務超過」の場合のバランスシートの表し方がまた悩みどころになるような気がします・・・)

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失敗を学習のチャンスと捉える、ということについて

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 先日ある中小企業の取締役の方とお話をする機会がありました。
 その企業では、従来の事業の先行きに対する不安から、新しい事業に手をつけておられるのですが、なかなかうまく育つ事業にならない、と仰っていました。
 私は簡単な絵を描いて、アンゾフの成長ベクトルの4つのパターンについて説明し、そして3つの質問をしました。
 1.新事業に進出する際にお客様のどんなニーズに基づいて判断してこられましたか。
 2.それが自社のこれまで培ってきた強みを発揮できる分野かどうか、など従業員とどんなふうに話し合いましたか。
 3.日頃従業員との会話はどんなふうにしていますか、お客様のニーズなどについても話し合っていますか。
 これらに対する答えはいずれも「そういうことはしてこなかった」というものでした。
 以前従業員の声を経営に活かすべく「意見箱」を設けたことがあったそうですが、全く意見が入れられないままに廃止となったそうです。
 その取締役の方は、自分たちがいかに従業員の話を聴こうとしてこなかったか、またお客様のニーズを把握しようとしてこなかったか、お客様に一番近いところにいるはずの従業員とお客様の求めているものについての話し合いをしてこなかったか、などについて、滔々と喋りだされました。
 多くの経営者の方は、第三者である私などが質問をしても、すぐに「下手なことを喋るとコンサルにつけこまれる。」と思われるのか、たいてい「いや、うまくいってるよ」とお答えになります。視線を少しだけ横へ泳がせつつ。
 しかしこの日の取締役の方は、しっかり自分たち役員のやってこなかったことに向き合い、どう変えようかと真剣に考え始めておられました。
 そんな矢先、フェイスブックのCOOであるシェリル・サンドバーグさんの『OPTION B』という本を見ていたら、「人はまちがいについて語れる環境にあるとき、過失を報告しやすく、犯しにくくなる」という一節に当たりました。また「失敗を学習のチャンスと見なす組織文化を育むことの重要性を海兵隊での訓練で学んだ」とも書いておられました。 日本企業には、ことに大企業であっても、失敗を隠す組織があるように思えます。(小室直樹さんの言う「法律とは別に、組織内に時として法律に優先してしまう規範ができる”二重規範”が日本組織に内在する問題点だ」ということと関係があるような気がします) 上が隠すから下も隠す。隠しおおせれば上の人は傷つかず、組織の対面は保たれ、本人は人事で損をしないし、怒鳴られることもない・・・もちろんなんでもかんでも全てオープンにすることが良いわけではないかも知れませんが、隠すことが美徳になりすぎているようだと、組織から自浄能力が失われてしまう、(その原因はまたさらに深いところにあるのでしょうけれども)こんなことが最近の大企業などの不祥事の原因だとすると、チャレンジしようという気持ち、提案しようとする気持ちは抑制されてしまうように思います。(『OPTION B』にも「報告会はうまくやらないと公開処刑のようになってしまう」「個人攻撃・・・」などの記述があります)
 上述の企業では、従業員ときちんと向き合い、その声にしっかり耳を傾けようと役員一同気持ちを合わせて取り組んでいくとのことでした。
 変化が激しく競争の厳しい時代であるからこそ、従業員、お客様の声によく耳を傾け、過ちがあれば早めにみんなでそれを認識し、次はどううまくやってのけるかを考えて実行していく企業が生き残って行けるのではないでしょうか。
 過ちを改むるに憚ることなかれ(論語)・・・これを企業の文化にまで徹底することが大事だと感じました。

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小島俊一さんの『崖っぷち社員たちの逆襲』

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 著者は元トーハン執行役員、現㈱明屋書店(トーハングループ)代取であり、中小企業診断士でもある方です。
 小説ではありますが、実践的経営学ともいうべき色んな要素が詰まっています。経営学とマーケティングとコーチングと財務諸表活用法と論理的・情念的説得術と鎮魂と再生の物語・・・。(鎮魂と申しましたのは、私の想像ですが、某書店への出向時代の悔しい思いがあったのではないかと推察した次第です)

 ストーリーは、地方銀行の元支店長である主人公・鏑木が、銀行から経営の先行き懸念のある地場の書店に、<貸付金の回収>を目的として専務取締役として出向し、財務やマーケティングの知識とコミュニケーションを駆使して再建へ導いていく工夫と成功の物語です。

 物語の詳しい内容はさておき、私が参考になったキーワードをいくつかご紹介しておきます。今後仕事で使えそうなフレーズなどもありました。
・財務3表を車に例えると、損益計算書はスピードメーター、貸借対照表はエンジンの状態、キャッシュフロー計算書はガソリンの残量。(p25)
・企業の再生は、社長の決算書への理解から始まる。(p71)
・心理学によって人を支配し操作することは、知識の自殺である。(ドラッカー)(p111)
・売れるための条件:①人を売る、②店を学校にして体験を売る、③社会貢献や志を売る、④問題解決を売る、⑤期待値の1%超え・・・の5つの具体化。(川上徹也)(p148)
・独自化とは:ファースト・ワン、ナンバー・ワン、オンリー・ワンの3つの具体化。(同上)
・「傾聴・受容・承認」「最後まで自分の価値観を横に置いて、相手の話を聞くこと」(p181)
・愚かさとは、過去を繰り返しながら違う結果を求めること(アインシュタイン)(p187)
・あなたの描く未来があなたを規定している。過去の原因は解説にはなっても解決にはならない」(アドラー)(p187)
・イメージすること、白黒じゃなくフルカラーの4Kで。匂いも音も。きっと叶う。(p188)
・金融機関の信頼を勝ちうるための3つのこと・・・「3か年の再建計画書」「実際の収益の改善効果(コスト削減と売上増の具体策)」「継続的な企業情報(経営状態)の開示」
・人の話を注意して聞けば、90%以上の解決策が見える。(カルロス・ゴーン)(p218)
・一つの驕りが全てを無にする(p231)
・説明は「事実中心の解説」、プレゼンは「事実+感情」(理と情への訴えかけ)(p235)

 関心のおありの方はご一読をお勧めします。

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独立後、NTT関連の初仕事

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先日久しぶりに大阪に行ってきました。
10年以上前NTTラーニングシステムズという会社に出向していた際お世話になった、あるコンサルタントの方からお声をかけていただいたのがきっかけでした。

仕事の内容はNTTグループ企業の営業担当者向け研修において、サブ講師(サブサブ講師かな)を務めるもので、ロールプレイイングやグループディスカッションのお手伝いをするものです。

通信業界を離れて9年以上経ちますが、NTTグループが顧客企業に提供するサービスの根本は変わっておらず、受講者の方々が話しておられる言葉が理解できたのがまず嬉しかったです。もちろん事前にサービスメニューの知識をネットで調べて仕込んでは行ったものの、10年ひと昔と言いますから、話についていけない恐れも十分にありました。言葉が理解できるかどうかはその後の会話に入り込めるかどうかという極めて大事な入口でしたので、ここで一安心。
研修の詳しい中身は書けませんが、ある営業の技法を学んで、練習するというものです。この技法は20年ほど前に私も学んだもので、その後も折に触れ活用したり紹介したりしてきたので、違和感なく参加できました。

技法と並行して受講者の方々に深く学んでいただいたことは、お客様の課題をしっかり把握するということだったように思います。
お客様の話を聞いている際に、こちらが仮説を持って尋ねたことが必ずしもお客様が問題だと捉えているわけではなく、尋ねたことにはさらっと答えられて他の話題に移ったり、お客様自ら別の話題を出されたりすることも往々にしてあります。
その場合、お客様が自ら語っていることに焦点を当て(営業担当が立てた仮説にこだわらず)、仮にそれが真の問題でなかったとしても一旦はよく話を聴き、さらに表層的な話で終わらずに深堀することで課題をより具体化させること(できれば目で見て共有するのが理想)が大事だと思います。もちろんお客様が語っていることが真に危険な問題ではなく、他により重要な危険が迫っている(と営業担当が思う)場合は、例示などをして気付いてもらうよう示唆してみることも大切です。
課題は必ずしも一つではない。むしろ複数存在していることが結構あります。それらをなるべく具体的に(ビジュアルで)双方が認識できるようにして、それが自然体で進んだ場合の影響を、数値や従業員の心理面などを考えながら、着手すべきものの優先度や重要度をお客様と擦り合わせる。・・・とここまで書いてきて、これは営業だけではなく経営相談やコンサルでも同じだなあと、今自分がさせていただいている仕事との共通点があることに気付きました。

私には、24年間お世話になったNTTの社員さんたちに、人材育成やコミュニケーションレベル向上のお手伝いをしたいという夢があります。今回の仕事はその大切な第一歩であり自分の知見が通用するかどうかの試金石でもあると考えて参加させていただきました。プログラムやメイン講師が素晴らしかったこともあり、思った以上にすんなりと入り込めたような気がします。ありがとうございました。

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6月下旬から7月までに読んだ本など

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この一か月ほど体調がすぐれなかったせいもあり、比較的早くに床に入る日々が多かったです。
そのせいかどうか、いつもよりも多めに本が読めたような気がします。

特に塩野七生の『ローマ人の物語』は長いこと停滞していたこともあり、「終わりの始まり」を最後まで読み通せました。

「終わりの始まり」は五賢帝の最後マルクス・アウレリウスから説き起こされています。
哲人皇帝として当時の人びとからも、後の史家からも称賛されているマルクス・アウレリウスにして、後継者選びには失敗した、と塩野さんは言いたいのではないだろうか、とこの上・中・下を読んで感じました。
後継者選びが組織の活力や正しさを維持していくためにいかに重要か。
最近でも『ドキュメント パナソニック人事抗争史』にも描かれているように、前任トップがその権限維持のために後継者を選定した愚がその後の組織の迷走をもたらしてしまうという事例はいくらでもあります。権力についた人は公平な目・公正な目が曇ってしまうのでしょうか。

マルクス・アウレリウスの場合は、色々な事情があり、必ずしも皇帝として適任ではないかもなと思いつつ、我が子を次期皇帝(コモドゥス)に指名してしまった。コモドゥスはアホな治世を繰り返し側近に暗殺されてしまう。その後の皇帝は軍人が元老院の指名を受けて就任するも、自分への見返りを期待して推したのにおこぼれをもらえなかった側近に暗殺されたり(ペルティナクス)、元老院が正当だと認識していたのに皇帝道をわきまえず好き勝手をやって一強となり、誰も表立って意見が言えなくなってしまい、遠征途中に死んでしまったり(セヴェルス)、その子どもたち二人は仲良くせえよと言われていたにもかかわらず「力こそ全て」とばかりに弟を斬ってしまう兄がいたり(カラカラ)、とどんどん混乱を来していく。

カエサルが折角作った、除隊した後の軍人がシビリアンとして地方自治体での活躍ができるようにした仕組みを、セヴェルスは250年ぶりに破ってしまった、と塩野さんはとても残念そうに書いておられます。その結果、「ローマ社会での軍事関係者の隔離になっていった」「これが、ローマ帝国の軍事政権化のはじまりになる」(「終わりの始まり(下)」p106~107)

そしてこういうことも書いておられます。
「権力者であるのも、意外と不自由なことなのだ。だが、この不自由を甘受するからこそ、権力を持っていない人々が権力を託す気持になれるのであった」
セヴェルス皇帝は、「登位直後を頂点にその後徐々に悪化していき」「矜持と言うのであろうか、そのような気持のもちように対する感覚が、鈍ってきた」その結果、おのが出身地に公費をつぎ込み、そこでバカンスを過ごし、国全体のことよりも身の周りのことに関心が向いていった・・・これでは国のトップではなく、権力を持った私人ではないか、という塩野さんの嘆きが聞こえてくるような気がします。
ハードカバーの原著は15年も前に書かれたものですが、歴史の教訓は語るべき人が語ることによって、時代を超えて生き続けるのだなあと感じました。

以下が6月末から7月に読んだ本です。

『「脱・値引き」営業』山口勉著 日経BP社
『多動力』堀江貴文著 幻冬舎
『小さな会社の稼ぐ技術』栢野克己著 日経BP社
『まんがでわかるサピエンス全史の読み方』葉月&山形浩生著 宝島社
『ローマ人の物語 終わりの始まり(中)』塩野七生著 新潮文庫
『神の起源(上)(下)』JTブラウン著 ソフトバンク文庫
『運命をひらく山田方谷の言葉50』野島 透&片山純一著 致知出版社
『未来につながるまちづくり』上田玲子著 彩雲出版
『サイコパス』中野信子著 文藝春秋社
『ローマ人の物語 終わりの始まり(下)』塩野七生著 新潮文庫

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プチ創業など起業の多様化

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 富山市のサンフォルテで今日から明日まで行われている、男女共同参画事業「サンフォルテフェスティバル2017」に行ってきました。
 今日は会場の一角に机を一脚借り、富山県よろず支援拠点の利用を呼びかけるなどしておりました。

 このイベントには「女性のチャレンジショップ」というものがあり、小物製作やエステや消しゴムはんこやブリザードフラワーなど、様々なショップが50店以上も出店されていました。
 ショップの店長さんは、20代から70歳ぐらいまで様々な年代層の方がおられ、また仕事は別に本業を持ちながらの方もおられれば、本格的にこの仕事に専念している方、趣味程度なんですよという方などまちまちです。
 中でひときわ目を引いたのがとっても風変わりな植木鉢。詳しくは書けませんが、それを窓際にちょこんと置くだけで部屋の中に小庭が演出できるような愛らしいものでした。素材の性質上水はけが良く、ペイントでデザインも自由自在、という品物でした。ステキなものなのですが、長持ちさせるための工夫などできるといいなと思いながらお話を聞いていました。
 また、富山県には当店一店しかないという珍しい種類のサロンも。女性限定とのことなので私は行けませんが、ご本人が体の不調を感じた時にたまたまそこへ行って良くなり、その勢いで毎週末関西の学校まで通って資格を取得し、勤めていた会社を辞めて創業した、というお話でした。
 自分に合った小石を持つことで体調などに何らかの影響があるというお店もありました。これも詳しくは書けませんが、ご家族のご病気が軽くなった(もちろんそれの影響かどうかを判断する手段はない、とご本人も仰っていましたが)ことをきっかけに資格を取って仕事の傍ら時々こういうイベントに出店してPRしているんです、というごく普通のお母さんでした。
 そんなこんなで、「創業」と一言で言っても、法人設立のような本格的なビジネスの立ち上げから、個人としての開業、プチ創業、とりあえず副業、趣味の延長など、色々な仕事の始め方・やり方があり、「何かやろう」と思った人は、国があれこれ心配するまでもなく、それぞれ自分のやりやすいようなやり方で始めておられるし、始めることができるような時代になったんだなあと感じた次第です。
 もちろん、利用できる制度があれば利用していただけるように、行政は広報をしっかりしなければならないし、受ける方もアンテナを上げて色々な所に聞きに行くことも必要でしょう。そして相互の情報交流の中でニーズに応えられるように、行政は新しい制度作りや参入のハードルを下げる取組も必要だろうなと思います。

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Fintech(フィンテック)についてそろそろ考えてみる

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 今年はフィンテック(金融とITの融合)ということが騒がれています。
 と言ってもメガバンク辺りはもう10年以上前からフィンテック(という呼称を使わないでも)に取り組んで来ておられるようです。
 また、フィンテック企業は「新興」と言われてはいますが、10年以上前に設立された企業もあるようです。クラウド型の会計ソフトとして近年目覚ましい成長をしているMoneyFowardやFreeeなどは2012年の設立ということですから、これらは文字通り新興企業群であり、まさに時代の寵児と言って良いでしょう。
 私は個人事業者ですので、確定申告をする際、なるべく経費をかけないようクラウド型の会計ソフトを利用させていただいています。
 税務知識がなくてもそういうことができるのは、知をネットに載せ、それを低料金で一般の事業者が利用できるような仕組みがあるからです。しかも驚くべきことに、このクラウドサービスでは、インターネットバキングの利用を前提として、自分が取引している銀行の決済情報を全部吸い上げて管理することもできます。
 北欧のエストニアでは、個人の金融資産・金融機関経由の資金決済などが全て税務当局に把握できる仕組みになっているため、申告という作業もいらないくらいになっており、そのため税務申告をするための税理士さんの仕事が不要になっているということです。エストニア大使館に問い合わせたところ、税理士さんたちはそもそも有能な人たちなので、伝票整理仕事ではなく、もっと高度な助言等本来のサービスに業態転換をして仕事を続けておられるということでした。

 さてここ数か月、仮想通貨のニュースが日経新聞などでも沢山報じられています。
 仮想通貨は支払手段と定義づけられ(通貨ではなく資産との位置付けらしいですが)、今年の7月からは購入の際の消費税がゼロになるとか。
 世の中どんどん変化していますので、私も遅まきながら仮想通貨の勉強に着手しまた。
 とりあえず友人たちの勧めもあり、BitFlyerという両替店でBitcoinを少々購入し、Blockchainという名の財布をネット上に保有して購入したBitcoinをその財布に入れました。さらにはこれを現金化したりリアル店舗での買い物に使えるようにWirexという決済サービスに加盟しました。Wirexのサービスを利用するには決済用のICカードを使います。・・・と、ここまで書いてきて、この理解が正しいのかどうか実はよくわかっていないことに気付きました。まだまだ勉強しなくては到底世の中の流れに追い付かないのですが、着手しなければわからない。着手小極で、とにかくやってみる、もちろんリスクを抑えられるようにセキュリティには十分気を付けて、と思っています。

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水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』『株式会社の終焉』『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』

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 エコノミストの水野和夫さんの本を3冊。いや、すごい歴史認識に立脚した本だと思いました。
 実はこれらの本は、水野さんが2008年から毎年富山県利賀村というところを訪れられ、SCOT(鈴木忠志さん主宰)という劇団の演劇を観続けてきたある時に受けたインスピレーションによってお書きになったというエピソードがあります。これは驚きでした。数百年単位で訪れる歴史の大転換期かも知れないという話が富山で行われていた演劇からヒントを得られたとは。

 さて。
 私たちが所属し、当りまえのようにその中で生きている資本主義経済が今後どうなっていくのか、という問いは常に存在してきたように思います。
 もちろん容易に答えられる問題ではないし、本を数冊読んだところで解答が見つかるものではないと思います。
 3年前に上梓され、当時ベストセラーの一つになった水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』、ずっと積読状態でしたが、その後対談本なども出つつ、また昨年秋と今年になりその続編的な本が出ました。昨年出たのが『株式会社の終焉』。経営コンサルとしては、クライアントである企業組織というものが今後どういう歴史に直面し、どう振る舞っていくべきなのかを考える参考として、これは読んでおかなくてはと思い、発売即購入。しかし2冊とも、どうも難しく、さらには今後どう振る舞うべきなのかの処方箋が見つかりませんでした。
 著者の水野さんは自分ごときに答がわかるはずがない、ゆっくり考えていかなければならないのだ、と仰っています。確かに数百年にわたって世の中の根本原理的だったものが、変化してその後どうなるのかという姿なぞ、そう簡単には見えないだろうというのは無理もありません。
 そこへ3冊目『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』という本が出ました。そろそろ解答編かな、と思い、購入。3冊まとめて読みました。

 まずはそれぞれの本のインデックスを拾ってみます。

 1.『資本主義の終焉と歴史の危機』
 ・資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ
 ・新興国の近代化がもたらすパラドックス
 ・日本の未来をつくる脱成長モデル
 ・西欧の終焉
 ・資本主義はいかにして終わるのか

 2.『株式会社の終焉』
 ・株高、マイナス利子率は何を意味しているのか
 ・株式会社とは何か
 ・21世紀に株式会社の未来はあるのか

 3.『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』
 ・「国民国家」では乗り越えられない「歴史の危機」
 ・例外状況の日常化と近代の逆説
 ・生き残るのは「閉じた帝国」
 ・ゼロ金利国・日独の分岐点と中国の帝国化
 ・「無限空間」の消滅がもたらす「新中世」
 ・日本の決断-近代システムとゆっくり手を切るために

 インデックスだけを見るとそれぞれ異なる印象はありますが、3冊ともほぼ同じ内容です。
 しかし私は3冊読んでようやく全貌が理解できました。3冊読まないとわからないというのは、ひとえに私の理解力が弱いためであり、著者や出版社がどうこうというつもりはありません。
 自分自身の控えとして、これら3冊に書いてある重要なキーワードをつなげておきたいと思います。

 ・資本主義は資本の自己増殖のプロセス。資本主義には「周辺(途上国)」の存在が不可欠。
 ・資本主義は「蒐集(しゅうしゅう)」で成り立っている。
 ・それは「無限空間」を前提としている。しかしもはや無限に拡大するという前提には立たない方が良い。
 ・その証拠がドイツと日本などのゼロ金利、マイナス金利の出現である。
 ・「無限空間」を前提にした資本主義は「より遠く、より速く、より合理的に」という論理でものごとを行う。
 ・その結果「セイの法則」に基づいてどんどん生産する。
 ・これは資本主義の論理であると同時に、民主主義の論理でもある。民主主義は一部の人しか使えなかった財をより多くの人が使えるようにすべきという考え方だから。
 ・空間が有限になってしまったので、「ショック・ドクトリン」(惨事便乗型資本主義)によって、だいたい3年ごとにバブルが崩壊して資本の蓄積が図られるようになってしまった。
 ・生産力が過剰になると、新規需要が発生せず、不良債権化する。
 ・これ以上モノがいらなくなると投資してもリターンが見込めなくなる。それがゼロ金利の原因である。
 ・ケインズはゼロ金利を望ましいことだと考えていた。そして、人生の目的として「人間交流の楽しみ=愛」「美しきものに接すること=美」「知性主義=真を求めること」だと考えていた。
 ・今なすべきことは、21世紀はどんな時代かをまず立ち止まって考えること。
 ・これからの時代は「より近く、よりゆっくり、より寛容に」、今の前の時代である「中世」を参考に(中世を全面肯定しているわけではありません)。
 ・その方向性にいち早く舵を切ったのはEUであり、日本はEUと連携していくべきである。
 ・今後は成長主義から定常状態=減価償却の範囲内でしか投資を行わない=に移行していくことが必要なのではないか。
 ・そのためには①財政の均衡、②エネルギー自給率の向上(家庭ぐらいはせめて)、③地方分権を進めて身近な空間でものごとが終止できるように、という方向性が必要なのではないか。
 ・企業は利潤=創出された付加価値=を新規投資に回さず(研究開発が不要とは言っていないものの、純投資は負担の割にはリターンが小さいので)、雇用者の賃金に回し、そうすれば今よりも1.5倍程度の賃金が得られ、家計は増えた収入の一部を地域金融機関に預け入れる。これは利息ゼロの株式預金とし、現金利息ではなく現物で配当を受ける。つまり地域住民は地域金融機関を通じて地域の企業の利害関係者となる。地域の企業は顔の見えない株主に株式を売り買いされる不安定さから解放されるべきである。トヨタ自動車の新株(配当固定、元本保障、5年間は売買不可)はまさにその先鞭かも知れない。

 ・・・と、とても難しい内容で、私はまだ数回読み直さなくてはたぶんちゃんと理解できないのだろうなあと感じています。
 もちろん水野和夫さんの言っておられることが正しいかどうかはわかりません。こういう見方もあるのだということです。
 

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外国語対応のヘルプデスクについて考える

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 某月某日、富山県内のある中華料理店に入りました。
 店員さんとおぼしき人が、スマホ片手にスピーカー受話で何やら会話中。
 注文もできないので聞くとはなしに聞いていると、NTTがどうこうと相手が話していました。
 どうやら通信回線のトラブルのようで、相手の方は○フト○ンクのオペレーターさんのよう。
 結局、店員さんが日本語がまったく話せないわけではないものの、オペレーターの言葉がうまく理解できなかったようで、中国語で説明してくれるところがあるのでそこに電話し直して下さい、と言われ、店員さんはそのように。

 私は料理を注文し、出来上がったところで、店主が改めて中国語対応のヘルプデスクにかけ直されました。
 彼も店員さんと同じように、スマホでスピーカー受話で相談しているため、こちらまでまる聞こえ。
 もちろん中国語の部分は理解できないのですが、このヘルプデスクでは、初めに日本語のオペレーターが喋って、それを中国語を話す人が翻訳して相手に伝える、というやり方でした。
 たぶん日本語のオペレーターは通信ネットワークや機器の接続について一通りは知識のある方なのでしょう。
 それに対して通訳さんは言語をさえ訳せればいいので、通信技術の素養がなくても大丈夫。
 という仕組みなんだなあと食べながら聞きながら理解できた次第です。
 最終的には光の終端装置と○フト○ンクのルーターをつなぐケーブルを送りますから自分で取り換えて下さい、という話に落ち着いたようです。

 日本在住の外国人も相当増えてきているだろうし、インフラなどのユニバーサルサービスを提供する会社は、そういう対応ができて当りまえの時代になってきたのかも知れません。
 ひるがえって我が古巣のNTTはどこまでそのような対応ができているのだろうか、とちょっと、いやかなり不安になってきました。

 ところで食事が済んで帰り際に、大変ですね、故障時のバックアップとしてケーブルを2~3本買っておいたらどうですか、と店員さんに声をかけたら、NTTの光の屋内ケーブルはもう3回も取り換えていると言われました。
 えっ?とびっくりしたところ、レシートに素早くネズミの絵を描いて、指をさします。
 あ、ネズミが?と聞くと、そうなんです、普段は出てこないのだけど休みの日に出てきてかじってしまっているようなのです、との答え。
 はて、次回もこのお店に行っても大丈夫だろうか、ちょっと不安を覚えつつ店を後にしました。(まあ、中華料理は熱をしっかり通すのが多い、とはいうものの)

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塩野七生さんの『ギリシア人の物語Ⅱ』

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 書店で帯を見て思わず買ってしまいました。
 塩野さんの『ローマ人の物語』文庫版の30巻で止まっているのですが、この人のライフワークだったはずの『ローマ人の物語』が結了し、後は悠々自適にエッセイなど書いてお過ごしになってもいいはずなのに、なぜまだ旺盛な著作活動を続けるのか、それもローマよりも古い時代のギリシアにスポットを当てて大部の作品を手がけておられるのか、『ローマ人の物語』の第1巻でギリシアのことを結構なページを使って書いたのになぜまた稿を新たに書いておられるのか、日本のことが気になって仕方がない(と思われる)塩野さんがなぜ今ギリシアの民主制を書くのか、そんなことが一気に頭の中を駆け巡り、即レジに行きました。
 塩野七生節というと失礼かも知れませんが、この人の語り口には相変わらず独特の趣きがありグイグイ引き込まれます。

 前半は毎年民主的に選ばれ、30年もの長きにわたりアテネの平和と繁栄を先導した政治家ペリクレスについての記述です。現状をしっかり説明し、自分の考えを伝え、可否判断はきみたちだと明言する。塩野さん曰く「真の意味での政治家であった」。
 ペリクレス時代の最晩年に始まったペロポネソス戦役。アテネの首相ペリクレスも相手国スパルタの王アルキダモスも(この二人は友情と信頼で結ばれていたらしい)どちらも戦争になることを望んではいなかった。にもかかわらず27年間もだらだらと、直接の戦いもないままに続いてしまい、最後はアテネの劣化、さらにはギリシア世界の衰亡に至ってしまったということです。
 159ページからのペリクレスの開戦1年後の演説は現代ヨーロッパの高校の教科書にも載っている見事な民主的なマニュフェストだと塩野さんは評しています。
 「われわれの国アテネの政体は、われわれ自身が創り出したものであって、他国を模倣したものではない。名づけるとすれば、民主制(デモクラツィア)と言えるだろう。国の方向を決めるのは、少数の者ではなく多数であるからだ。・・・(中略)・・・アテネ市民が享受している、言論を始めとして各方面にわたって保証されている自由は、政府の政策に対する反対意見はもとよりのこと、政策担当者個人に対する嫉妬や中傷や羨望が渦巻くことさえも自由というほどの、完成度に達している。・・・(中略)・・・アテネでは外から来る人々に対して門戸を開放している。他国人にも機会を与えることで、われらが国のより以上の繁栄につながると確信しているからだ。」
 これほどの賢い人々だったはずのアテネが、ペリクレスの晩年以降、衆愚政治と言われるような状態になってしまいます。
 塩野さん曰く「デモクラシー(民主制)のコインの裏面がデマゴジー(衆愚制)なのだ。」
 この違いは、ペリクレスがいなくなったらアテネ市民がバカになったわけではなく、リーダーの性質が変わっただけだと書いておられます。
 「民主制のリーダー:民衆に自信を持たせることができる人、衆愚制のリーダー:民衆が心の奥底に持っている漠とした将来への不安を、煽るのが実に巧みな人。前者が「誘導する人」ならば後者は「扇動する人」になる。前者は、プラス面に光を当てながらリードしていくタイプだが、後者となると、マイナス面をあばき出すことで不安を煽る。」
 そんなこんなの紆余曲折を経た後、ペロポネソス戦役は徐々にアテネの敗色が募り、最後は完膚なきまでに打ちのめされてアテネは衰亡の道を辿っていきます。途中、ペリクレスの甥でペリクレスの後継者的な位置づけになるアルキビアデスという政治家が現れたりしますが、この人はアテネから追放され、敵方のスパルタの指導者になり、次いでペルシアの軍を率い、またアテネに戻るという不屈の人ですが、最後には暗殺されてしまったようです。
 歴史にifは禁物とはいうものの、後になって振り返ると、先見の明のある優れたリーダーを、民の選択で潰してしまい、自ら滅びの道を辿ってしまうこともありうる・・・上から法律で道徳感や公益への奉仕を強制するのではなく、一人ひとりが自発的に共助に向かうような心の豊かさがあれば、衆愚などと言われるような状態にならないような気もしますが、不満が募るとついアジる人についていってしまう弱さを持っているのかも知れない、そんなことを塩野さんの本を読むと感じます。

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