大ぶりの書籍は敬して遠ざけていた感があります。
特に経済学の本などは、大学生の時にミクロ経済学の入り口で挫折して以来、経済学部生であったにもかかわらずその門に近づくことさえせずにいました。
カール・マルクスの資本論なんてもってのほかだったのですが、一冊も買いもせず、書店で見向きもせず、ということで果たして良いのだろうか、と思っていたら、偶然町の書店でこの本が目に入りました。
帯には「120分で読める」というようなことが書いてあり、入門のさらに入門編の書として開いてみるのも良いかもと思い、求めました。
一読して目から鱗がポロポロポロリとなだれおちました。
著者の小暮さんがどこまで意訳されているのかはわかりませんが、資本主義の本質をわかりやすく説明されているなと感じました。
最近、経営革新計画やものづくり補助金などの仕事に携わる機会があり、これらの本質を考える上でも大変役に立つ本でした。
曰く「商品の価値」とは「原材料」「機械使用料」「労働量」の総和であり、ここからは「利益」は出ない。(私たちが一般的に使っている「価値」とは定義が異なるので注意が必要です)
商品の値段は価値で決まる。
但し、同じような商品でありながら、ある会社では倍の労力を要して作っても、その労力分を価格に転嫁することはできない。
価格は社会平均で決まる。社会平均とは、一般的に社会で製造する平均的なコストのかけ方のこと。よってある会社が社会平均よりも手間暇かけたとしても高い価格で売れるわけではない。
また、「価値」とは別に「使用価値」というものがある。
商品の価格は「価値」で決まり、「使用価値」で多少上下する。
「使用価値」とは使う人のメリットである。
この考え方を私たちの賃金(労働力の値段)に置き換えても同じである。
賃金は、労働力を作るために必要な要素の合計で決まる。
その仕事をするために必要な体力と知力、食事、休息、住居、など。
たとえば、医師は医師になるために多くの時間をかけて専門知識をたっぷり吸収しなければならないので、単純作業をする仕事よりも「価値」が大きく、賃金が高い。
営業担当者の場合、営業をするための体力、知力に応じて賃金が決まる。
会社により大きな利益をもたらす、高い成果を上げる営業担当者は、会社にとっては「使用価値」が高いことになる。
「使用価値」は、それが高くても賃金に大きな差はつかない。なぜなら、賃金の基本は「価値」で決まり、「使用価値」は多少の上下にしかならないからである。よって売上や利益が同僚の2倍稼ぐ営業担当者がいても賃金が2倍になるわけではない。
会社の「利益」は「価値」からも「使用価値」からも出てこない。
需要と供給が一致している場合、投入した資源(かけたコスト、支払った費用)はそのまま「価格」になるので、「利益」はゼロである。
「利益」は「剰余価値」から生まれる。
「剰余価値」とは労働者が自分のもらう給料以上に働いて生み出す価値のこと、だそうです。
原材料は形を変えても仕入れた原材料以上の価値にはならない、機械も同じ、剰余価値は人が手をかけた分からしか生まれない、のだそうです。
「剰余価値」には「絶対的剰余価値」「相対的剰余価値」「特別剰余価値」の3種類があるそうです。
「絶対的剰余価値」は労働者を給料以上に長く働かせることによって生み出される剰余価値。資本主義が進むと、剰余価値=利益を追い求めるために、労働者に給料以上の労働をしてもらわないと会社に利益が残りにくくなる、そのために、ブラックや過労死などが増えていく。
「相対的剰余価値」はデフレ(需要<供給)でものやサービスの値段が下がり、下がった結果、労働者が労働力を維持するために必要な費用が下がり、その結果賃金を下げたが、働く時間は変わらないため、結果として労働量よりも労働者に支払う賃金が少ない状態になることで生まれる剰余価値。
「特別剰余価値」・・・これが経営革新計画やものづくり補助金などにとって重要なかかわりのある内容です。
ある会社が最新鋭の機械を導入することなどによって生産性を高め、一定時間で他社よりも多くの商品を製造することができるようになると、他社よりも小さいコストで製造できることになり、社会平均価格で販売した場合は、安いコストで作った分、利益が出る。
つまり、イノベーションによって出てくる剰余価値です。
しかしいずれどの会社も同じように最新鋭の機械を導入して同じ程度のコストで作ることができるようになる、又はそれができない会社は淘汰され、同じコストで作ることのできる会社だけが生き残る。つまり低価格の方に引っ張られる。コモディティ化する。
そうすると、折角イノベーションをして儲かる仕組みを作ったにもかかわらず、ある程度時間が経つと自社の利益はまた少なくなる。自分で自分の首を絞め続けるのが資本主義の仕組みだということです。
となると、他社よりも若干古い機械を使用しており、老朽化しているので最新鋭の機械を入れる、というのは、そもそも社会平均よりも高いコストで製造していたのを、社会平均並にするというだけであり、これは革新でもなんでもないことになります。もちろん国が「ものづくり補助金」の申請に求めるものも「革新的な」という内容を満たすことが前提になっていますので、こういう例は残念ながら採択されることはないと思います。経営革新計画も同じです。
とはいえ、新しい機械を導入しても、いずれまたコモディティ化の波に呑まれてしまうというジレンマがあり、企業の経営者にとっては悩ましい課題です。
大企業は大量生産し続けていくことが必要なため、自社が製造する商品については、できるだけ他社に先駆けてイノベーションするか、ちょっと変わった機能をつける「付加価値」で多少高価な値付けをするか、などが必要になります。
しかし中小企業は大企業と同じ土俵で競争をするだけの力がないため、できればイノベーションと縁遠い仕事(自社にしかできない技術・技能・・・例えば一品もの、少量生産もの、試作品など)で勝負できるようにして生き残って行くことが必要ではないかと思いました。
この本には、では労働者はどうやって疲弊せずに生き残って行くか、というヒントも書いてありました。
それについては、ご関心のある方は是非ご一読をお勧めします。とても読みやすく理解しやすい本でした。(このブログの内容がわかりにくいとすれば、ひとえに私の文章表現の問題であり、著者さんの問題ではありません)