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塩野七生さんの『ローマ人の物語』の最終巻(文庫では42巻)にアッティラに攻められるイタリア北部の様子が描かれています。一部の人々は塔の上にのぼり、どこへ逃れれば助かるだろうかと考え、そこから遥か海の方に葦のはえている潟まで行けば、何もない所だから、奪われるような財物は何もないから助かるのではないか、と考え、移動した先が後のヴェネツィアになった、ということが書いてありました。『ローマ人』の次は『ヴェネツィア』だ、と決めていました。
学生時代に読んだ高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』という名著があります。私にとっては小室直樹さんの『危機の構造』や山本七平さんの『空気の研究』野中郁次郎さんたちの『失敗の本質』などと同じようなポジションの本です。塩野さんの『海の都の物語』は文庫上巻だけで521ページ、下巻はさらにボリュームがあって607ページ、両方合わせると1128ページという大作です。よって先に、もう一度『文明が衰亡するとき』を読んで肩慣らしをしてから、と思って(第二部 通商国家ヴェネツィアの栄光と挫折を)読み始めたところ、第一章の途中に「ヴェネツィアが海洋貿易にはっきり転換したのは、西暦1000年ごろアドリア海の海賊を退治してから後と言ってよいが、その遠征に至る外交過程はヴェネツィアの外交の巧みさを如実に示している。この過程は塩野七生氏の『海の都の物語』にあざやかに描かれているから、くわしくはそちらを読んで欲しい」とあり、さらにその章の脚注に「始めにヴェネツィアの歴史を知るために読むべき書物をあげておくと、日本では、塩野七生『海の都の物語』(中央公論社 昭五十五)、同続(昭五十六刊行予定)がある。ディティルの描写がすばらしく、それが全体像とつながっている。」という文章に遭遇してしまいました。本文中にも塩野さんの同著からの引用が何カ所かあり、こりゃ、なまくらしてはいけない、高坂さんが引用した本を先に読めということだなと思い、改めて、塩野さんの本から取り組もうと決意しました。
『ローマ人の物語』の二十五年前に書かれたのがこの『海の都の物語』です。私自身は文庫になって、1989年=平成元年にこの上下本を買っていましたが、なにせ分厚いので手にとっては挫折、の繰り返しでしたが、ローマの終焉を終え、ようやくそれに連なるものとして読み終えることができました。
第四次十字軍に関する記述の中にこんな一節がありました。文庫上巻のp198です。「神はわれらとともにある、という確信は、往々にして、自分たちと同じように考えない者は悪魔とともにある、だから敵である、という狂信につながりやすい。私には、それが物欲をともなわない高貴なものであろうとも、絶対に同意するわけにはいかない。」最近また世情を騒がせている新興宗教(?)の協議にも似たような考え方があるように聞いています。塩野さんは「絶対に同意するわけにはいかない」と強い口調で述べておられます。歴史を学び、そこから得られる智恵を活かしていこう(自分勝手ではなく、お互いを尊重し合って、人の自由を侵害しない限りにおいて自由であるというルールが共有できる社会を作っていく)と考えるからこそ、ほとばしり出てきた言葉ではないかなと感じます。私たちが歴史を学ぶ意義の一つが、そういうことではないかなと思います。
さてその記述に続いて、第五次十字軍のことについても少し書いてあります。そこでの主人公はフリードリッヒ二世という人物です。塩野さんの著作にも何年か前に文庫化されたものがあります。
高坂さんの『文明が衰亡するとき』のヴェネツィアの部は、選書で70ページあまりですが、ヴェネツィアの歴史、興隆から衰退に至る経緯をコンパクトに、しかし決して単純な因果論ではない書き方をしてある点がとても考えさせられます。ヴェネツィアは印刷術を商業化し、商業演劇を始め、海洋貿易で財をなし、簿記を取り入れて複式にし、商業銀行を創始した、など、今に通じる様々なものの始まりをなしていることが書かれていました。そして改めて塩野さんの著作を引き、個人の野心と大衆の専横とが結びつく危険を避けるため、個人に権力が集中しすぎないようにしつつ、安定したリーダーシップが発揮できる政治体制を作ったという主旨のことも書かれていました。もちろん、それを単純に礼賛しておられるわけではなく、叙述的な記載に徹しておられます。何か一方向に偏り過ぎないことが大事なことなのではないかということを高坂さんの記述からも感じます。
塩野さんの著作で読んでいないものもまだ沢山あります。楽しみは尽きません。