交流分析(コミュニケーションの心理学の一つ)の講演を聞いて

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 今日は日本交流分析協会北陸支部の年次大会が開かれました。
 私は午前の部の特別講演に参加しました。
 講師は小山田治子さんという方で「親子関係に活かす交流分析」というテーマの講演でした。

 子どもの頃の親との関わりの中で、子どもは自分の生き方を(ほとんど無自覚で)決意するそうです。
 それはいつでも変更できるのだけれど、大抵の人はそんなことには気づかず、どんどん自分が決めた生き方を「自分ではどうしようもない」「これが私の生きる道」として、良い点だけではなく、本当は改善した方がいいのだろうけどと自分が思う点もそのまま維持し、のみならずそれらをより強固なものにしていきます。
 その結果、不幸な結末を迎える悲しい事件、悲惨な事件が発生しています。

 よく「親の育て方が悪い」と言います。
 交流分析では、そうは言っても、決意したのは幼児期の自分自身なので、自分の性格のくせに気づき、自分が直したいと思う点を少しずつ変えていくことはできる、ということを伝えてくれます。
 確かに「親の育て方」が子どもの栄養(心身ともに)、健康状態、性格の元、社会との関わり方などに極めて重大な影響をもたらすのは間違いないと思われます。同じ親の元で育てられても、その接し方によって子どもの育ち方が変わるという報告もあります。(特に兄弟などの場合、上の子が出来が良く、下の子が上の子と比較されてひねくれてしまうなど)

 親の影響は甚大です。
 いじめや辛い出来事があってもそれにへこたれない強い心を持った人になって欲しい。
 そのためには「お前は強くあれ」と厳しくしつけるのではなく、「お前は生きているべき人」「生まれてくれてありがとう」「無条件で愛しているよ」ということを親が全身全霊で示すことだ、と交流分析では説いています。
 無条件に愛された子どもは心の強い人間に育つ。5399 私の知り合いの知り合いのお子さんで当校拒否となってしまい、時折自傷までしてしまう子がいます。
 同じクラスの子からのいじめがそもそもの発端だと親御さんは仰っていました。
 杉田峰康という交流分析の先生は「リストカットする子は本当は親をあやめたいという深層心理なんだよ」と語られたそうです。また、杉田先生の言葉かどうかわかりませんが「自傷する人は体を痛めることで心の痛みから一時的に逃れており、心の痛みの原因を取り除かない限り体を痛める行為からは抜けられない。自分の心の痛みの原因を探すためには心の勉強が必要」ということも講演の中で紹介されていました。
 さてそのお子さんは上の兄弟がいて、そのお子さんよりも優秀だったようです。(あくまでこれまでの話ですが)
 もしかすると、親御さんは知らぬ間に兄弟を比較して「お前はお兄ちゃんより劣る」という投げかけをしていたのかも知れません。
 お兄ちゃんはその子にしょっちゅう強く当っていたそうです。
 そういう家庭内での「無意識のちょっと冷たい対応」が積もり重なって、自傷や当校拒否に陥る事態を招いてしまっているのではないかという感じがします。
 小山田治子さんの講演からはもっともっと多くの知恵、サジェスチョンをいただきましたが、長くなるのでこの辺にしておきます。

 こういう学びを少しでも多くの若者、親になる人たち、既に親になっている人たち、ちょっと生きづらいかもと思っている人たちに伝えていきたいと考えています。私の仕事であるコンサルティングにおいては、企業内部の人間関係に活用していきますが、もっと早期に、できれば高校の必須科目にしてもいいくらいではなかろうかという希望を持っています。

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ウェブ解析について(イントロ)

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ITコーディネータの研修でウェブ解析というものの勉強をさせていただきました。

必要だなーとは思いつつなかなか敷居の高さを感じていた領域です。

今回は「上級ウェブ解析士」という資格を持った方のお話で、とってもわかりやすかったです。

難しいことをわかりやすく伝えるというのは、大変レベルの高い人にこそできるズゴ技だと私は思います。

と考えると、わかりやすかったことと、できるかどうかということは別ものではありますが、でも、やってみようかな、という気にはなりました。

Google analytics、色々設定があるそうですが、近々チャレンジしてみます。やっペー。%e5%a4%9c%e6%99%af111%ef%be%8b%ef%be%9e%ef%be%99

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婦中町ファボーレ近くのこじゃれたカフェ  <nowhere>さん

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最近仕事で富山県内を走り回っています。
昼食時間近くになると、知らないお店に入ったりすることも。
先日、たまたま通りかかった、富山市婦中町のファボーレ(ショッピングセンター)のすぐ後ろにこじゃれたカフェレストランがありました。
おっさんがカフェなんぞにふらりと入って大丈夫かな?と思いましたが、一人でも良し、パートナーとふたりづれでも良し、数人のグループでも良し、といった感じでした。
お店の名前は「nowhere」・・・ビートルズの曲名みたいでなんとなく親しみを覚えました。店の前にはこんな感じの看板が。①nowhere正面入口はこんな感じです。②入口住宅街の一角にあるのであまり派手な感じでないのがいいです。③中の雰囲気①中に入るとこんな感じの窓に面したテーブル(各コーナーに色々な文芸書などが置いてあったりしてどの座席に座ろうかななんて思います)があったり、④中の雰囲気②二人ぐらいだと丸テーブルに座ってもいいでしょうね。マスターも奥さんも趣味が広いようで、色々な文芸書、旅の雑誌、マイナーレーベルのCD、写真家の写真など色々なものが置いてありました。⑤音楽流れていた音楽は北欧テイストのJAZZでした。時間がゆっくり流れている感じです。
旅の雑誌をめくりながら前菜をいただき、⑥前菜窓に目をやると小鳥の飾り物がさりげなくヤマボウシの木の枝にかかっていたり、⑦窓の外の小鳥そうこうするうちにメインディッシュのパスタ。私がいただいたのはバジルとトマトとオクラのパスタでした。ちょっとビター風味で美味しかったです。⑧バジルとトマトのパスタ最後にマンゴーのデザートとホットコーヒー。ほっとするひと時を味わわせてもらいました。⑨マンゴーのデザート正午前のまだ混み合わない時間帯がお勧め(11:30から営業しておられる由)です。あ、月曜・火曜はお休みのようです。 (富山市婦中町下坂倉34-5 http://nowhere-else.info/?mode=f5)

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工場長の役割について考える

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 ある製造業の経営計画策定のお手伝いをさせていただきました。
 過日社長がメインバンクの方に対して、策定した計画を提示され、私も同席させていただきました。
 そのやりとりの途中、社長が工場長をお呼びになられました。
 工場長は実は数年前までは1セクションの担当者だった方で、自分は一つの作業をしっかりこなすのが仕事だと思っていた、と仰いました。しかし社長から色々指導を受けていく中で、「これだけできればいい」「自分の仕事が終われば後は関係ない」という考え方は間違いで、お客様のことを考えると、みんながある程度多能工になって納期や品質に責任を持つようになるのが仕事だということに気がついた、と言っておられました。無駄な材料発注はやめ、工場内の整理整頓も随分進んだようです。(社長の意図は自分の方針がちゃんと製造現場に浸透していることを工場長の口を通じて私たちに伝えたかったものと思われます)
 納期と品質・・・ものづくりの基本と言われる「QCD」の一部です。QCD
 Q:Quality(品質)
 C:Cost(費用)
 D:Delivery(納期)
 ということで、一作業員だった方を工場長に引き上げ、実地で指導し、上のようなことを自分の口から言うレベルまでに変化したのは社長の教育の賜物だと思います。中小企業の多くにおいて、○○長という肩書の人がいても、実際のマネジメント業務は全部社長が担わなくてはならない、ということが見られます。その点、この工場長はマネジメントの一翼を担っておられるなと感じました。

 ところで、今回策定した経営計画において、今後の課題の一つに製造原価の低減ということを挙げていました。
 そこで工場長に「あなたは製造原価管理の責任者でもいらっしゃるのですか?」と尋ねましたら、キョトンとした表情をしておられ、私が社長の顔を見て返答を促すような視線を送ったところ「製造原価は私が見ている」とのフォロー(?)。「但し原価目標は工場長に伝えている」とのちょっと中途半端な返答。
 ものづくりが大好きな製造現場の有能な作業者に「原価まで責任を持ちなさい」と言ってしまうと、新しいものを生み出すワクワク感とは異質な管理責任という荷物を持ってもらうことになってしまい、大手企業では当たり前の話かもしれませんが、これはこれで悩ましい話です。
 しかし会社がドンブリ勘定から脱却し、ちゃんと各段階で利益を出していくためには、社長だけが数字に責任を持つようなやり方ではなく、持ち場持ち場で役割分担・責任分担を明確にしていくことが必要だと思います。
 ということで、会社の大きさや仕事の分担によって色々なやり方がありますし、急に大きな変更をして有能な方がやる気を失っても困ります。そこで今後の課題として、工場長の役割には本来製造原価の責任まであるのですよということを、工場長と社長にお伝えするに留めました。今後お二人がそのことも意識して事業に取り組んでいただければ、より引き締まった体質の企業になっていくことでしょう。
 期待して応援していきたいと思います。

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珠算塾創業者のお話しに学ぶ起業家のマインドセット

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 昨日8月24日(水)は第2回にいかわ創業スクールの開講前体験講座が開かれました。
 不肖私も創業経験者ということでお話しをさせていただいたのですが、私の前に登壇された、第1回の受講者の方のお話がとても良かったのでその一部を引かせていただきます。
 お話しされたのはHさんという珠算塾を営んでおられる女性の方でした。

 結婚後お子さんができられてしばらくしてから、久しぶりに子ども時代に通った珠算塾を訪れた、というところから話が始まります。
 昔のようにまた算盤を学びたいなと思われ、自身再チャレンジをし、お子さんも学び始められたということです。学習が進むにつれ昇級試験に挑戦したり、さらに他の教室の優秀な子どもたちを見るにつけどんどん学習意欲が高まってより高いレベルに挑戦し続けておられたある日、近所の子どもたちが算盤を教えて、と言ってくるようになり、今度は教育意欲が出てきました。
 寺子屋から塾への進化を図る過程で「事業」という考え方が沸いてきたのでしょう、ちょうど周りの人にご自分の夢を語っている時に、ちょうど昨年の「第1回創業スクール」の募集があり、タイミングよく応募され、受講に至ったそうです。

 はじめは塾の講師をしている普通のお母さんがご自分の経験談を語っておられるのだなあ、となんとなく拝聴していたのですが、お話しの内容を聞くにつれ「起業家が持つべきマインドセット」のエキスのようなものが全部詰まっていることに気づきました。あ、この人はすごいなあと感じ、Hさんのお話しのポイントを私の話においても随所で使わせていただきました。

・創業するのに必ずしも「その道」のナンバーワンである必要はない。他の人よりも少し前に進んでいるだけでも提供できる価値はいくらでもある。(但し継続的な学習や努力は必要)
・自分の思いを周囲に伝える。周りの人に相談するなど「思い」を発信し続けるとチャンスがやってくる。
・自分がどうしたいか、である。環境は関係ない。やりたいことがはっきりしていれば環境は変化する。
・私にもできる、という自信と勇気が大事。自信を持って努力を続ければきっとできる。
・将来を見据えつつも、着手は小局から。背伸びせず実現できる計画に収斂させる。そのためには客観的な外部の意見も聞きながら実現可能性の高い事業計画を作る。そして立てた計画は着実に実行する。

 わずか20分の講演でしたが、ものすごく中身の濃い内容でした。次回お目にかかることがあれば講演用のメモを拝見したいくらいです。ともかく私が一番学ばせていただきました。感謝!にいかわ創業スクール

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塩野七生さんの『ローマ人の物語29(文庫)』

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 塩野七生さんの『ローマ人の物語』、文庫版の第27巻、28巻を読んだのがもう4~5年前のことになります。
 第29巻からはローマ帝国の晩年に入っていきます。サブタイトルが「終わりの始まり」。
 物語は上を向いて進んでいく最中は書き手も楽しそうな言葉が躍っているし、それを読む私たち読み手もワクワク感があります(秀吉や信長などに関する書き物に対する個人的な印象です)。
 この『ローマ人の物語」もカエサルやアウグストゥス辺りの筆致はとても明るい感じなのですが、ティベリウス以降はちょっと事実を丹念に記述することにエネルギーが費やされているような少し下り調子な印象を受けます。
 そのためか前半とは著しく読書テンポが落ちてしまっています。
 今回の主人公はマルクス・アウレリウスです。
 この人は哲人皇帝と言われ『自省録』というストイックな哲学の本を書いており、第29巻においてもあちこちにその内容に触れられています。こりゃあ『自省録』を読まないと先に進みづらいなと感じてしまい、『自省録』を買うまでに数年かかってしまいました。先だって読み終え、ようやく第29巻再開となりました。

 さて。
 世界史では「ゲルマン民族の大移動」の時期を西暦375年( み な ご そっと移動)というふうに覚え、それが長期的なトリガーとなってローマ帝国が滅びた、と教わった記憶があります。
 塩野さんのこの本にはこういう記述があります。
 「番族の首長たちが首都を訪れ、彼らから皇帝に、帝国の支配下に入って他の属州民と同じ立場になりたいという申し出がなされた。しかし、皇帝は、ローマ帝国に何の効用ももたらさない人々を受け入れるわけにはいかない、と答えて、この人々の申し出を断った。」「これこそが、時代の変化の予兆であったのだ。紀元160年といえば、アントニス・ピウスの治世の最期の年で、この「慈悲深き人」は翌年に死去し、紀元161年からの皇帝はマルクス・アウレリウスに代わる。」「マルクス・アウレリウスも、この一事が時代の変化の予兆であったことに、気づかなかったということになってしまう。」(P197~198)
 「紀元170年の春を期して、ローマ軍はドナウを渡りダキアを北上し、大規模な攻勢に打って出た。」(P215)
 「ローマ軍の攻勢がダキアの北に集中しているスキを突いて、ちょうどその両脇にあたり地点からドナウ河を渡ったゲルマンの二部族が、実に大胆な行動に出ていたのだった。」「ウィーンの軍団基地を避けてそのはるか上流からドナウを越えたマルコマンニ族は、ローマ領内に入った後もひたすら南下してアクィレイアを襲撃した。」(P216)
 「リメス(防壁)破らる!の報が、帝国の西方に波のように広がっていった。」(p218)

 塩野さんがこの先どういうふうな話しの展開をなさるのかは読んでみないとわかりません。
 私の推測では、これらの記述が次のようなことの伏線になっているのではないかと感じています。
 カエサル以降、ローマは統制の取れた強い軍隊を持ちつつも、恭順してくる他部族に対しては、生存を認め、部族長にはカエサルという名前を与えることすら行い、農耕を進め定着を促し、闘う必要性をなくしてローマ化していったという平和維持のやり方を採っていたのに、このアントヌス・ピウス、そしてマルクス・アウレリウスは「ローマ帝国に何の効用ももたらさない」「撃退すればよい」という考え方で時代の変化にあった判断をせず、排外的で内向的な政策を取ってしまった・・・。
 つまりこれまでローマを発展させ安定させてきた価値観の一つである「寛容」と反することを時の皇帝が行ってしまったことが、近隣諸国の態度を硬化させ、それがゲリラ戦を招き、長い国境線を維持することによる疲弊と国力の低下をもたらしたのがローマの崩壊の遠因だ。

 少し遡ったところにこのような記述があります。これはアントニヌス・ピウス治世5年目に行われたアリスティデスという学者による演説からの引用です。
 「ローマは、すべての人間に門戸を開放した。それゆえに、多民族、多文化、多宗教が共生するローマ世界は、そこに住む全員が、各々の分野での仕事に安心して専念できる社会をつくりあげたのである。・・・中略・・・ローマ人は、誰にでも通ずる法律を整備することで、人種や民族を別にし文化や宗教を共有しなくても、法を中心にしての共存と共栄は可能であることを教えた。・・・中略・・・かつての敗者に対しても数多くの権利の享受までも保証してきたのである。」(P25)
 ピウスの晩年の判断は、果たしてこのローマの価値観からしてどうだったのだろうかと考えてしまします。

 塩野さんはこの巻でもカエサルを高く評価しています。
 「カエサルは天才だ。そして、天才とは、他の多くの人には見えないことまで見ることのできる人ではなく、見えていてもその重要性に気づかない人が多い中で、それに気づく人のことなのであった。」と。
 このような記述によって、五賢帝最後の2人が国境線の向こう側で起きている変化に気づかなかったことを問題視しています。

 彼らがカエサルのような天才ではなかったからだ、と言ってしまえばそれまでですが、この2人の皇帝はともに首都ローマからほとんど出ることなく過ごしていたようです。その前のハドリアヌスが皇帝時代の大半を前線の点検・対策・点検(PDCAで言うところのC⇒A⇒Cの繰り返し)に費やしていたのとは大違いです。
 つまり、問題は現場で発生している、又は発生し得るということを感覚的に知っていてそれへの対応をしっかり行っていた前帝とは異なり、これら2人の皇帝は残念ながら現場を見ずに過ごしていたがために、現場の問題に気づけなかったのではないか、という仮説が考えられます。

 「現場を見ず現場の問題に気づかなかったこと」そして「伝統的な寛容の精神と反する力技だけに頼ってしまったこと」これらがローマ帝国を崩壊に導く序曲となったということをこの先塩野さんが書いてくれていそうな気がします。・・・第30巻へ続く。

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「現場が先生」という社長の言葉

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 独立する少し前に話を伺った先輩から、経営者に対するリスペクト(尊敬)の念を忘れてはならないよ、と教えられました。
 先日伺ったある製造業。業績芳しからず、経営改善の取組を進めなくてはならない状態で、融資先からはダメな会社、ダメな経営者だと思われています。確かに、折角持っている素晴らしい技術をちゃんとお金に変える技量が低いのだろうと思います。
 それでもこの社長は20人近い従業員を雇用し続け、その方々の家族の生活まで背負っていらっしゃると思うと頭が下がる思いがします。そんなわけで冒頭の先輩の教訓を念頭に置きながら社長の話にじっくりと耳を傾けました。製造業の写真 「現場が一番大事」「答は現場にある」なんて言い方をよく経営学の教科書でも耳にします。件の社長の口からもさらっと「現場が先生なんです」という言葉が出てきました。頭や理屈でわかっていてもそれを自分の言葉でさらっと言われる所が素敵だなと思いました。そしてそれを従業員の皆さんにも徹底しておられ、クレームがあると、普段は外に出ることはない製造の担当者にも実際に現場(製品が使われている現場)まで行ってもらって、何が問題か、誰が何に困っているかを自分の目で見て確認させることもあるそうです。(毎回ではありません)
 ちゃんと製造担当者は加工し、完成検査もクリアして発送したにもかかわらず、何らかの問題が発生することはあるそうです。そうした場合に、何が問題だったのか、ただ謝って交換すれば済むとは限りません。エンドユーザーの要望が設計に反映されていなかったのか、気象条件で予期せぬトラブルだったのか、色んな原因がありえます。もちろん上流工程のメーカーが最下流工程まで気にすることはないのかも知れませんが、実は発生した問題の中に当社の硬直的なものの考え方が原因としてあったかも知れないし、次の商品の開発に向けたヒントがあるかも知れません。
 この社長はそういうことを日々考えながら、現場=エンドユーザーの使い勝手まで意識をしながら社の運営、従業員教育をしておられました。後は改善にしっかり着手しV字回復を成し遂げられるだけです。頑張る中小企業、応援していきたいと思います。

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アン・マンスフィールド・サリバン『愛とまごころの指』、ヘレン・ケラー『わたしの生涯』

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 ある介護事業所のコンサルをさせていただいています。
 最近は介護保険料の切り下げなどの影響もあり、経営環境が厳しくなっており、当該の事業所は高齢者福祉の仕事だけでなく、障がい者福祉の仕事へ乗り出しておられます。

 そんな縁もあって、障がい者福祉事業の参考にと思い、三重苦を乗り越えて活躍したヘレン・ケラーとサリバン先生の本を手に取りました。

ヘレンケラー本写真

 2歳で視覚と聴覚を失い、わがままに育ったヘレンの心の闇をサリバン先生が徐々に取り除いていく物語です。
 出会いの当時、サリバン先生は若干20歳、ヘレンは7歳になる直前だったといいます。
 サリバン先生っていうとおばさんのイメージがありましたが、この若さにびっくりしました。

 さらに驚いたのは、サリバン先生自身が一時期視力を失っており、家族の死などもあって精神病院で極度の引きこもり状態になっていたということです。幸い病院の看護婦さんがサリバン少女のことをとても気にかけてくれ、ようやく心を開き立ち直っていき、目の手術をして視力を回復させ、ついには20歳で教師になったという凄まじい前半生を送った人だということです。
 ヘレンはサリバン先生に指に文字を書いてもらうことを通じて、全てのものには名前があることを理解し、やがて言葉を発するようになり、さらにはタイプライターで文章も綴ることができるようになり、人前での講演などもできるようになります。とてつもない苦労の末ハーバード大学の女子学部を24歳で卒業します。
 この間サリバン先生はほとんどつきっきりで本を指話で翻訳し、授業で行われる講義も指話で伝えていたそうで、サリバン先生にも学位を与えるべきではないかという話も合ったくらいだそうです。
 と言ってもサリバン先生が初めから成人君主だったということではなく、本人が手紙の中で語っていますが、最初は生活の糧を得るため、母校の指示で勤務先(ヘレンの家)に赴任したというような、ごく日常的な関わり方から始まったようです。

 全ての人かどうかは私にはわかりませんが、「今より良くなりたい」「色んなことを知りたい」「愛をもって人と接したい」という気持ちをヘレンも心の深いところに持っていたようです。その気持ちをサリバン先生は言葉を教えることと躾を通じて呼び覚ましたようです。
サリバン先生の手紙より(サリバン先生の手紙より)

 可能性があればやってみようというのがサリバン先生の基本スタンスだったうようです。生きている限り前へ進め、という意思の大きな力をこれらの本から教わりました。

 私の仕事である企業との関わりにおいても、良い所を見つけ、前へ進める勇気を奮い立たせられるようなお手伝いができるよう心がけたいと思います。

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目標設定取組支援第2ステージへ

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 昨春から約1年に亘って、ある企業の目標管理制度導入のご支援をしてきました。今年の初めに予定の工程を終え、一旦けじめをつけたのですが、経営者の方から社員の様子に変化が見られるのでもう少し継続したいとのお声がけをいただき、第2ステージのご支援を行うことになりました。

 以前コーセル株式会社相談役の町野利道さんのご講演を聞いた際、同社では目標管理制度を導入して定着するまでに10年かかったと仰っており、さもありなんと感じていました。
 自分ではない部下の社員の人たちが、その行動を自発的・内発的に変えていけるようになるなんて、そんなに簡単なものではないと思います。
 まずは仕組や形を整え、いつまでにこれをして下さいという指示をして、しかもやったことによってプラスのリターンが返ってくることの繰り返しがあって初めてその人の習慣になっていくのではないかと思います。もちろんそれは部下をおだて上げることを意味しているのではなく、叱咤激励など言われた時は当人にとってイヤなことも含めてのリターンですが。

 この企業の場合、去年は導入編でした。初めは幹部の方々と一緒にやり方を考え、部下面談などの場に同席し、どんな風に話をしたら良い動機づけができるかなど試行錯誤しながら取り組んできました。
 人によっては達成度合いが後から測れないようなあいまいな目標を設定しているケースもあり、何度も話し合いをして書き直しをしてもらったりもしました。
 毎月色々な話をしていく中で、会社として解決すべき色々な課題が浮き彫りになっていきました。それらの課題を現場レベルではどう対応していくべきかといった話し合いも行われ、見える化の提案などもさせていただきました。

 昨日数ヶ月ぶりに幹部の方々と打合せを行い、合わせて部下面談の場にも同席させていただきました。
 以前はお互いそれほど言葉数が多くなかったのに・・・今回は上司も部下も活発に意見交換をしておられました。「こうしたらもっと良くなるのではないか」といった前向きな発言も飛び交っていました。
 この企業は変わってきている、そう感じました。もちろん変化は人によってまちまちです。全く変わったように見えない人もおられると思います。しかしこの企業では、旗振り役のNo.2が「変化していこう」ということを日頃一人ひとりの従業員に語りかけています。その効果がしっかり現れてきているものと思います。
 及ばずながら、第2ステージのお手伝いをさせていただける喜びを感じています。ありがとうございます。

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交流分析士インストラクターデビュー戦

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 本日、おかげさまで交流分析入門講座を開催することができました。
 インストラクターの資格取得を目指して丸三年。
 最初は色んなことがブツ切りに見えてなんだかよくわかりませんでしたが、諸先輩のお導きのおかげで、学習を進めるにつれ少しずつバラバラの知識が結びついて、実生活や実社会にも活用できるようになってきたような気がします。
 今日は、魚津商工会議所さんでの初インストラクターを務めさせていただきました。
 なにぶん駆け出しですので、これからさらに学習を進めて行かねばと思っています。
 そんな私にとって、人様に交流分析のことをお伝えすることができるのは、何よりも自分自身の勉強になります。
 今日一緒に登壇してもらった先輩インストラクターの話の内容、事前に準備する時の自身の学習、参加された方々からの質問、一つひとつが自分にとって新鮮な気づきになります。
 将来的には若い方々に早い時期に学んでいただき、自分の人生のかじ取りを自信をもって行っていただけるよう貢献したいと思いますし、企業などの組織においても幹部と従業員の方々に学んでいただき、思いやりと正のエネルギーに満ちたチーム作りができるようお手伝いしていきたいと思っています。入門講座テキスト20160522

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