フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」からのあれこれ

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久しぶりにコッポラ監督の「地獄の黙示録」を観ました。この映画はいくつかのバージョンがあるようで、以前観たのは劇場公開時のものをDVDか何かで観た覚えがありますが、今回はネット配信のもので「ファイナルカット」というものでした。この他に「特別完全版」というものがあるようです。(他にもあるのかも知れませんが)
マーティン・シーンさん演じるウイラード大尉が終盤で水面からゾロリと顔を出すシーンの不気味さが印象的で、そこにもう一度たどり着きたいというのが動機でした。
しかし改めて観てみて、前段、キルゴア中佐が戦場で攻撃の真っ最中にサーフィンをやろうとする一連のシーンは圧倒的な火力を持つ軍のゆとりというかゲーム感覚というか、釈然としない、戦争というものの一方でのリアリズムを感じました。先日NHK-TVでカーティス・ルメイ将軍のエピソードをやっていましたが(これ以上ずるすると多くの戦死者を出さないための無差別空爆だというのが彼の論理らしいです)、これも釈然としない。そもそも人の命を奪い合う行為に及ぶ前になんとかしないと、こういうことの繰り返しになってしまうのでしょうね。しんどいです。
その後、この映画の下敷きになったのがジョセフ・コンラッドの『闇の奥』という文学作品だということを知りました。

ということでこの小説を読みながら、もう一つ「地獄の黙示録」の制作風景をコッポラ監督の奥さんエレノア・コッポラさんが撮影し、別の方が監督したドキュメンタリー「ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録」も観ました。
まあなんというか、この映画を作るのがいかに大変だったかということがよくわかるドキュメンタリーでした。もちろんわずか80分に編集されているので、私にはほんの一部しかわかりませんから、「よくわかる」などというのは錯覚この上ないことかと思いますが、主演のマーティン・シーンさんが途中で心臓まひで現場を離脱するは、ヘリコプターは持っていかれるは、予算はないわ、マーロン・ブランドはわがままを言うわ、で映画監督というのはなんとあちこちに気を使わねばならない仕事なのかと感じました。
途中、コッポラ監督がマーロン・ブランドに『闇の奥』は読んだのか?と聞いたというエピソードが紹介され、それに対してマーロン・ブランドは全く読んでいないことが判明したとのことで、そういうわがままな大物俳優に、どう監督の思い描く世界観を伝え、思うような映画に仕上げられるのか、と思いましたが、最終的にはなんとかなったのでしょうか。
原著者のジョセフ・コンラッドは生まれはポーランドということですが、地理的には今のウクライナに当たるらしく、その地は占領や分割などがしばしば起きていて、複雑な場所のようです。幼いころ、父親が政治的に問題があって逮捕され北ロシアに流刑となった(父と母はその地で死亡)ということで、つらい幼少期を送ったようですが、その後船員となりさらにはイギリス商船の船長なども務め、やがて小説の道に進んだ人だということです。
小説は、難解でした。
一カ所だけ本文から引用しておきます。悲しみと怒りについて、スピノザが言っているようなことと同じような文章があったので。
「極度の悲しみが、ついには暴力にその吐け口を求めることは、決してないとはいえない」

今回読んだ岩波文庫以外に、光文社古典新訳文庫や新潮文庫でも出ているようですし、3年ほど前に中井亜佐子さんという方の『日常の読書学: ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』を読む』という解説本も出ているようなので、ご関心のある方は、読みやすいものを選ばれると良いのではないかと思います。

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