ワクワク系マーケティングの小阪裕司さんの著書です。昨年購入していたのですが、ようやく読むことができました。
私たちの国では、30年続いたデフレの下なかなか値上げができませんでした。思うに、色んなものが100円で売られており、例えば文具店に行くと150~200円ぐらいするポストイットとそれほど品質に差を感じないものが百均では100円。あれも100円。とにかく安いのが良い、安くないと売れない、という感覚になりきってしまっていたような気がします。
しかしここ1~2年、コロナ禍での事業者の疲弊、北洋材の品薄による木材の値上げ、ウクライナでの戦争の影響による小麦価格の値上げ、なんだか理由がよくわからない原油価格の値上げによる電力料金の値上げ、などボディブローのようにじわりじわりと色々な「原価」が値上がりをしてきました。その結果、多くの企業で「利幅が薄くなってきた」「コロナが明けてようやく黒字が見えてきたと思ったらまた赤字だ」という状況になり、しかもそれがこれまでの「安いのが良い」という感覚麻痺によって「値上げ」という選択肢が出てこず、包装を簡易にして価格を維持しようとか銀行は封筒をATMコーナーから撤去してコストを切り詰めようとか、そういう弥縫策に走り、結局自身で首を絞めているような感じになっているように私は感じています。
そんな中、顧客にとって価値のある商品・サービスを作り、その価値を伝えることも含めて提供していけば、それに見合った価格にすれば良い、そのためには日頃から顧客との関係をしっかり構築しておき、顧客が気づいていないニーズへの訴求や顧客が知らない価値を教えることでお客から対価を得る、といったことが書かれているこの本は目から鱗でした。
工場でものづくりをしている人たちは日頃顧客と接することがありません。自分たちが作っているものがその後どういう経路を経て何と組み合わされてどういう人がどんな恩恵を得ているのかということもなかなか知る機会がありません。そうした場合でも、経営者が顧客(発注元企業)の喜びの声(ポジティブなリアクション)を聞いてきて、社内に伝えることで、働く人々も「喜ばれている」「役に立っている」「私の仕事には意味がある」と感じることができ、それが明日へのエネルギーになる、ということです。
p49にヴィクトール・フランクル博士の『夜と霧』に関する記載がありました。曰く「より生き延びる確率が高い人は生きる“意味”を持っている人であることがわかった。」 企業の場合でも、一人ひとりの社員が「ここで働くのは自分にとってどういう意味があるのか」ということに思いを致し、何らかの答を得ることができた社員は元気が出、継続する力が湧いてくるものと思います。そういう機会を作ることも経営の仕事でしょうし、その問いに対してポジティブな答が見つかるような会社であれば永続性は高まっていくものと思います。「ここで働く意味」とはなんでしょうか。「成長」「共感」「仲間」「(もちろん)給与や休暇などの処遇」といった人としての当たり前のことが組織として提供できているかどうか、人を単なる労働力としてしか見ていない企業、人を企業の目的を一緒に実現していくための仲間として見ている企業、同じように給料を払い働いてもらっているだけかも知れませんが、その両者には大きな違いがあるのではないかと思います。経営に携わる人々は、自身で、或いは職場の仲間とともに、時にはそんなことを考えることも必要ではないか、ということもこの本を読んで感じました。「価格上昇」時代のマーケティング