「アリストテレス」が東へ西へ

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2020年5月と6月はブログの投稿を怠ってしまいました。

仕事柄実務をするばかりではなく時折は経営理論についての仕込みも必要であり、入山章栄さんの『世界標準の経営理論』なる大部の書物をめくっていました。

そんな中、同書のp662に「アリストテレス、カント、ベンサムらが提示した哲学理論は、いまも規範的な企業倫理の基礎になっている。」との一文がありました。ちょうど企業倫理について人様の前で話さなくてはならないということもあり、調べておかなければならないなあと思い、アリストテレス関連の書物やアリストテレスを西欧に再導入してキリスト教学と親和性を持たせたトマス・アクィナス関連やしばらくの間ギリシア哲学を保存していたイスラムの知の歴史などを調べていました。アリストテレスはギリシアの哲学者であり、ローマ帝国のどこかのタイミングで「過去の人」になり、ローマ帝国崩壊後はなぜかイスラムで継承され、その後再び西欧哲学の支柱になった・・・・なぜ「過去の人」になったのか、なぜイスラムに移ったのか、なぜイスラムで維持されたのか、なぜ再び・どういう経緯で西欧に戻ったのか・・・疑問が山積噴出です。色々調べてもわからないことだらけですが、時系列でそれに関することだけでも世界史の年表から拾ってみようというのがこの投稿の主旨です。残念ながらそれ以上深みのある作業ではありません。悪しからず。

なお作業は上記の諸書物を渉猟したのち、結局高校時代の世界史年表とNTT出版が1990年頃に「電話100年」記念事業として出版した松岡正剛さん編集になる『情報の歴史』から抽出しました。

788年 第5代カリフのハルン・アル・ラシード「知恵の宝庫」と名付けられた図書館を設立。学者や書物を集め、知識の府とし、ここでギリシア語の文献を翻訳させた。(イスラムによる版図拡大⇒征服地には元アレクサンダー大王による占領地が多数含まれており、ギリシア語の文献も多く存在していたと思われる)           800年 カール大帝、教皇レオ3世から戴冠807年 ハルン・アル・ラシードがカール大帝に水時計を寄贈。(イスラムから西欧に贈り物!)820~830頃 「アリストテレスのイスラム化」との記述あり830年 第7代カリフのマームーン「知恵の宝庫」を拡充、「知恵の館」を設立836、920、931、941・・・この頃イスラム世界におけるアリストテレスの紹介活発950年頃 コルドバの人口50万人、図書館も充実、当時のヨーロッパの学問の中心地に。(イスラム勢力が8世紀以降スペイン、ポルトガル<当時はアンダルスと呼ばれていたとか>を支配していたが、イスラムによる征服前はキリスト教がかなり普及しており、イスラム文化を受け入れた現地の人たちがアラビア語で記されていた元ギリシア語の書物をラテン語に翻訳しており、やがてそれらがピレネー山脈を越えることで西欧のカトリックの世界に紹介されることで中世西欧の学問の基になったとか)1030年 イブン・シーナ『医学典範」『宇宙論』『形而上学』などを著す。(アリストテレスの諸学問の影響大と思われる)1088年頃 ボローニャ大学創設(ヨーロッパ最古の大学)1096年 第1回十字軍(『アラブが見た十字軍』という書物には、攻め手のすさまじい暴行略奪食人の様子が描かれています。聖地奪還という美名に隠された別の目的があったのではないかと思わせるような悪行ぶりです。それは「異人は怖い。だから何をしても良い」という非文明時代の人たちだったからなのかどうか・・・塩野さんの『十字軍物語』なども含め、双方の立場で見てみて、歴史に学ぶことが必要だと思います。)1113年 ヨハネ騎士団、テンプル騎士団など創設1120年代 イスラム哲学のラテン語訳始まる(アデラード、アベラールなどによる)・・・いわゆる12世紀ルネサンス?1187年 サラディン、エルサレム占領1200年頃~ アラビア語アリストテレスのラテン語訳、ヨーロッパに広がる1210年 パリの協会、アリストテレス学説の授業禁止。(なぜでしょう? アリストテレスの考え方にはキリスト教の神が存在しない・・・「人はロゴス(理性)に従って善、中庸の行いをすれば幸福になれる」と考えており、それは神の否定につながると思われたからでしょうか・・・)1228年 教皇グレゴリウス9世、アリストテレス哲学をキリスト教に導入することを禁止。(上記の理由で全面的に禁止になったのでしょうか?)1229年 フリードリヒ2世、エルサレムに入場(第5次十字軍)1231年 教皇グレゴリウス9世、アリストテレスの理論の中で協会の協議に合うものを審議(一旦は禁止したものの、多くの人がアリストテレスの何かを知るようになり止められなくなったのかも知れません)1255年 アリストテレス学説、パリ大学人文科の教授対象となる(ここまで来ましたか、という感じですね)1273年 トマス・アクィナス『神学大全』完成。アリストテレス哲学と神学の関係を整理。哲学を神学の下に位置づけて取り込み。

・・・この間、モンゴル軍がポーランドまで侵攻したり(1241年)、第4回の十字軍が味方のはずのコンスタンチンープルを陥落させたり(1204年)、とややこしさ・複雑さが増していく感じがしますが、そこまでは追求しないでおきます。こんな風に歴史を読んでいくと、世界はお互いに影響し合ってなんとか辻褄を合わせながら生きてきたんだなあと感じます。イスラムの歴史、ローマ帝国後の西欧の動向などさらに学んでいこうと思います。

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