リクルート創業者の江副浩正さんの評伝です。およそ500ページの大部の本でした。
私にとってのリクルートは、NTT初代社長の真藤恒さんが突如経営の座から引きずり降ろされたリクルート事件であり、それはそれは強烈な体験でした。
役所が民間企業に変貌していくはずの、まさにその真っ最中、先頭に立って旗振りをし、私たち社員一人ひとりを鼓舞し続けてくれていた御一人が犯罪者の疑いをかけられて経営第一線から転落した事件だっただけに、入社間もない私にとっては大きなショックでした。
その辺りのことを知りたいと思ってリクルートが第二種電気通信事業に乗り出したところから読みましたが、あまり深く触れられているという感じではなく、同社の二種事業進出の背景や、その後撤退したことなどが割と中心に書かれていました。
真藤さんが「白状したぞ」ということを検察官から告げられて、江副さんもこれ以上世話になった方々に迷惑をかけてはいけないと考え、やってもいないことをやったと言わざるを得なくなった、というくだりは(真実は私にはわかりませんが)涙なくしては読み進められませんでした。
江副浩正さん自身は稀代の事業家だったと思います。すごいアイディアマンであり、人を生かす経営をし、人を生かす仕組みを考え出して実行し、それを組織の遺伝子になるまで埋め込みました。その結果リクルート出身の起業家の多いこと多いこと。
しかし、本人は子どもの頃に母を父によって奪われた悔しさを原体験として持ち、合唱部では口パクを強いられた悔しさ、部下の結婚式でわけのわからない会社と言われた悔しさ、稲盛さんに対する悔しさ、野村証券に見放された(と勘違いした)悔しさ、と「悔しさ」という言葉が全編を覆っていて、ちょっと息苦しさを感じました。
一方でそれが江副浩正さんの成長の原動力だったというような記載もありました。しかし会社が相当大きく成長した後まで、負のエネルギーを糧にし続けているとどうなるのか。高転びに仰のけに転んでしまったということではないでしょうか。ダイエーの中内さん、西友の堤さんなどとの共通点がなんとなく感じられ、つらくなりました。
どこかで転換できれば良かったのでしょうが、私はこういうふうに生きていく、と無意識のうちに決めてしまった幼児決断は、その後の人生において継続して同じことを何度も繰り返す。それが人生脚本であり、そこから抜け出すには本人が気づくしかない、とは交流分析の考え方です。しかしこんなことを言うのは、当事者でもなく事業家ではない傍観者の世迷言なのでしょうね。