浅田彰さんの新「逃走論」と塩野七生さんの「自由な思考がイノベーションを生む」というお話

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明けましておめでとうございます。
2018年がスタートしました。

毎年元日の全国紙を買って見比べることが私の新年の行事の一つとなっています。
しかしここ数年は地元駅がJRの経営ではなくなったこともあり、売店で全国紙の取扱が一部のみとなってしまいました。
コンビニに行っても一部の新聞しか扱っていないため、いわゆる「朝・毎・読・日経・サンケイ」の五大紙のうち三紙しか手に入りません。加えて地元新聞と北陸中日を読み比べ。
今年は例年になく目ぼしい記事がありませんでした。新聞業界、パワーダウンでしょうか?

そんな中で一つだけ目を引いた記事が朝日に載っていた浅田彰さんのインタビュー記事でした。
浅田彰さんと言えば、私が大学に通っていた頃、ニューアカデミズムの旗手として中沢新一さんらとともにマスコミにもてはやされていた時期がありました。『構造と力』『逃走論』などという著書が大変な売れ行きだったことを記憶しています。
あれから30年以上経過し、時折論壇などでお目にかかる機会はあるものの、どんな研究をしてどんな言論をしているのかよくわかりませんでした。(私の見ている範囲が限定されていることはあると思いますが)

このインタビュー記事によると、80年代、「家族」「男らしさ/女らしさ」といった価値観が変化する一方、古い価値観やアイデンティティーに固執する(パラノイア)人も多いので、資本主義を半ば肯定しつつ、多様な人々と横につながり、自分も変身していこうと提唱した、これが当時の『逃走論』だったと。そういえば、その後異業種交流などが盛んになった時期でもありました。しかし異業種交流はその後会社で偉くなって行くための人脈形成というふうに一部では変質していったのではないかなと感じています。みんながみんなそうではないのでしょうけど。浅田さんも同様の印象を持ってかどうかはわかりませんが、同じインタビューの中で「逃走の多くは資本主義にのみ込まれた」と語っています。

現代のSNSの時代になっても「「いいね!」数を稼ぐことが重要」「人気や売り上げだけを価値とする資本主義の論理」に重なり、「仲良しのコミュニケーションが重視され、自分と合わない人はすぐに排除する」と分析しています。
多様な価値観をお互いに認めあうことが大切だと私たちは子どもの頃から教わってきましたが、私たちの先輩に当たる年齢の人たちも同年代の人も、驚いたことに私たちよりも若い人たちですら、排除・分断をいともたやすく口にする時代になりました。
浅田さんはそういう状況の中で「自由」を確保するために「ときには接続を切り、ネット村から逃走する必要がある。そのときConnectとCutの間にIが発生する。」と、つないで切断し、切断してつなぐ、その間にいる自分がクールでいることが重要だと説いていました。

この記事の数日前、平成29年12月26日付けの日経新聞には塩野七生さんのインタビュー記事が載っていました。
塩野さんは浅田さんが確保すべきだと語る「自由」について「自由とは基本的には思考の自由」であり、それが「イノベーションにつながる」と語っておられます。
「ネット中毒」や「スマホ中毒」「SNS疲れ」などといったことも言われて久しいですが、人の書いたもの、興奮を煽るもの、その「村祭りの熱狂」から時々少し自分(I)を離して、思考の自由を保つこと(逃走すること)で、心が解放されイノベーションをもたらす元になる、という着想をお二人からいただきました。

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