この一か月ほど体調がすぐれなかったせいもあり、比較的早くに床に入る日々が多かったです。
そのせいかどうか、いつもよりも多めに本が読めたような気がします。
特に塩野七生の『ローマ人の物語』は長いこと停滞していたこともあり、「終わりの始まり」を最後まで読み通せました。
「終わりの始まり」は五賢帝の最後マルクス・アウレリウスから説き起こされています。
哲人皇帝として当時の人びとからも、後の史家からも称賛されているマルクス・アウレリウスにして、後継者選びには失敗した、と塩野さんは言いたいのではないだろうか、とこの上・中・下を読んで感じました。
後継者選びが組織の活力や正しさを維持していくためにいかに重要か。
最近でも『ドキュメント パナソニック人事抗争史』にも描かれているように、前任トップがその権限維持のために後継者を選定した愚がその後の組織の迷走をもたらしてしまうという事例はいくらでもあります。権力についた人は公平な目・公正な目が曇ってしまうのでしょうか。
マルクス・アウレリウスの場合は、色々な事情があり、必ずしも皇帝として適任ではないかもなと思いつつ、我が子を次期皇帝(コモドゥス)に指名してしまった。コモドゥスはアホな治世を繰り返し側近に暗殺されてしまう。その後の皇帝は軍人が元老院の指名を受けて就任するも、自分への見返りを期待して推したのにおこぼれをもらえなかった側近に暗殺されたり(ペルティナクス)、元老院が正当だと認識していたのに皇帝道をわきまえず好き勝手をやって一強となり、誰も表立って意見が言えなくなってしまい、遠征途中に死んでしまったり(セヴェルス)、その子どもたち二人は仲良くせえよと言われていたにもかかわらず「力こそ全て」とばかりに弟を斬ってしまう兄がいたり(カラカラ)、とどんどん混乱を来していく。
カエサルが折角作った、除隊した後の軍人がシビリアンとして地方自治体での活躍ができるようにした仕組みを、セヴェルスは250年ぶりに破ってしまった、と塩野さんはとても残念そうに書いておられます。その結果、「ローマ社会での軍事関係者の隔離になっていった」「これが、ローマ帝国の軍事政権化のはじまりになる」(「終わりの始まり(下)」p106~107)
そしてこういうことも書いておられます。
「権力者であるのも、意外と不自由なことなのだ。だが、この不自由を甘受するからこそ、権力を持っていない人々が権力を託す気持になれるのであった」
セヴェルス皇帝は、「登位直後を頂点にその後徐々に悪化していき」「矜持と言うのであろうか、そのような気持のもちように対する感覚が、鈍ってきた」その結果、おのが出身地に公費をつぎ込み、そこでバカンスを過ごし、国全体のことよりも身の周りのことに関心が向いていった・・・これでは国のトップではなく、権力を持った私人ではないか、という塩野さんの嘆きが聞こえてくるような気がします。
ハードカバーの原著は15年も前に書かれたものですが、歴史の教訓は語るべき人が語ることによって、時代を超えて生き続けるのだなあと感じました。
以下が6月末から7月に読んだ本です。
『「脱・値引き」営業』山口勉著 日経BP社
『多動力』堀江貴文著 幻冬舎
『小さな会社の稼ぐ技術』栢野克己著 日経BP社
『まんがでわかるサピエンス全史の読み方』葉月&山形浩生著 宝島社
『ローマ人の物語 終わりの始まり(中)』塩野七生著 新潮文庫
『神の起源(上)(下)』JTブラウン著 ソフトバンク文庫
『運命をひらく山田方谷の言葉50』野島 透&片山純一著 致知出版社
『未来につながるまちづくり』上田玲子著 彩雲出版
『サイコパス』中野信子著 文藝春秋社
『ローマ人の物語 終わりの始まり(下)』塩野七生著 新潮文庫