怒ることは時として必要ですが、恨むのはよした方がいいよ、という老子のお話し

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 書店で立ち読みをする。
 時々いい文句に出会う。
 過日、妻との買い物の途中に時間調整で入ったある書店。
 文庫本コーナーにあった「老子」についての本。
 老子は岩波文庫その他多くの本が出ている。
 最近では加島祥造さんという方の老子の本がヒットしたのが記憶に新しい。
 さて件の老子本。
 書名は失念したが、いいことが書いてあったので控えておく。
 『老子』第六十三章より。
 「怨みに報ゆるに徳を以ってす。」
 世の中には腹の立ったことについていつまでも恨みに思い続ける人がいるが、仕返しは仕返しで仕返される。仕返しと恨みが増幅されていく。実につまらないことだと思う。
 相手の人にしても、必ずしも悪気があってやった、というわけではない場合もある。
 「確信犯」の場合もあるが、それにしても(もちろん、法的に問題がある行為は当然法廷の場できちんと裁きを下すべきであり、ここではそういうことを論じているわけではありません)
 何かの出来事があって腹が立ったとしても、それを恨みに思う気持ちを少し薄め、徳を加えてお返しすれば、相手が自分の軽率な行為の過ちに気づくこともあれば、またこちらに対して好意を抱いたり、感謝をしたり、・・・そうしてその気持ちが次の好意的な働きかけにつながっていく。
 もしも全くこちらの加徳に気が付かなくてもそんなことは構わない。期待して徳を加えるのではなく、それが自然の動作になっておればなんら気にすることもない。
 しかし少しずつ、毎度毎度徳を加えてお返しをしていけば、積もり積もって、いつかは相手の人が気づくこともある。何度も言うが、それを期待して、金品や行為のお返しがあることを望むのではない。「無償の愛」といってはあまりに大袈裟だが、人間関係の好循環を生み出すちょっとの工夫だと思えばいいのではないだろうか。
 そういうことをお互いが心がければ、職場や家庭やコミュニティで、人間関係のいざこざが長続きすることはない。
 老子はいい。

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