「企業倫理」ということが一時期言われた。
今は「コンプライアンス」という言い方がポピュラーだが、現実の企業で、人としての清さ、正しさ、美しさが価値観の底流にあるとは、どうも思い難い今日この頃である。
四半期決算が本格的に導入された結果、あるいは日次管理でPDCAを回すようになった結果、企業はどんどん短期利益を追うようになり、そういう傾向が強まっているように感じる。
企業を構成しているのは、資本だとか土地だとか労働だとか、いわゆる生産の三要素などと言われており、それらがうまくかみ合って高い生産性や財やサービスを生み出すのだろうが、結局のところ、人がいてはじめて色んなことが成り立ち、提供されるわけで、人があっちを向いていてはうまく行っているものもいずれガラガラと音を立てて崩壊する。
となれば、やはり、企業を構成する人の道徳心、公正心、公共心、などが利潤追求以上に重要なのではないだろうか。ドラッカーは企業の使命は「市場を作ること」と言っている。利益を生むこと、とは言っていないのである。もちろん企業を生かし続けるために利益はなくてはならない。
次の財やサービスを還元すべき善の循環をしていくために、適正な利益は必要だし、正しいことをして適正な利益を生まない企業は退場してもらわなければならない。(公共の福祉のための政府の事業は一律には論じられないが)
ではあるが、利益そのものだけを追求するのは本末転倒である。
社会に有用かどうか、ということがその大前提にあり、有用なれば利益を得て当然、その利益をまた次の剤やサービスの提供につなげ、またやる気を出すためのエネルギーにもなる。
社会に有用な企業を構成するのは、社会に有用だと信じ、社会に有用な行動をする構成員、つまり人である。
企業を構成する「人」が社会に有用であり、社会に反しない行動をすることが企業の存立の大前提である。
それらを総称して、ここでは「企業道徳」という言葉を使いたい。
別に目新しいことではない。
道徳と利潤追求は相反しない。
マックス・ウェーバーも言っていることだし、鈴木正三も言っている。
ことさらに、今頃改めて「企業倫理」「コンプライアンス」などというから肩肘張って研修だとかなんだとか言い始めてしまっているが、ことの本質は私たちが小学校で習った道徳の授業での内容で十分なのである。
人として当たり前の考え方、当たり前の行動、これを愚直に実行していくことが企業にとっても求められるのではなかろうか。
最近はそういうふうに思う。
かっこつけた言い方ではなく「企業道徳」に真剣に取り組むべき時期ではなかろうか。