マヤ暦の「2012年」の先について考える

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 先日の新聞に「マヤの遺跡から、2012年の先の記述のある暦が発見された」という記事が出ていた。
 数年前からマヤの暦には2012年から先がないので、これは世界の終わりを予言したものだ、という本やら論調やらが巷間出回っている。
 本当ならイヤなことだし、本が売れれば出版社が儲かるという当然のこともある。
 2012年の先の暦、という発見は、本当かも知れないし、作り話かも知れない。
 2012年で世界が終わる、という解釈も、あくまで解釈である。
 今日、何かの事故や災害に遭い、終わりが来るかも知れない。
 考え出したらきりがないことだと思う。
 ドラッカー氏は、「間違いなく言えることは、明日は今日とは違う、明日のことは予測できない」というようなことを言っておられたと思う。
 世の中には人々を不安にさせる色々な情報が溢れている。
 それは事実かも知れないし、不安心理を煽って商売にしているのかも知れない。
 それぞれの情報の発信源の「意図」はわからない。
 どの情報が本当かも、自分で確認しなければわからない。
 私たちは、色々な情報に一喜一憂せず、今この時、今日一日を精一杯生きることが大切なのだと思う。
 カーネギーの『道は開ける』という本に「今日一日の区切りで生きる」ということが書いてある。
 一瞬一瞬を幸せに満ちた感覚で生きるためには、昨日のことをくよくよしない(反省と後悔は別物)、明日のことを思い悩まない(ないものにおびえない)、という心の持ちようが大切だと思う。

 『葉隠』で山本常朝氏は「一瞬一瞬の積み重ねが大切だ」と言っている。
 死ぬことと見つけたり、というのは、「死のう」ということではない。
 いや、死は全ての人に平等に必ず訪れる。それを認識した上で、与えられている今という命をどう充実して生きるか、ということを、江戸の武士も言っているのではないかなと思う。

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