お陰様で最近は帰りのJRの中で少しずつ本を読む時間ができている。
しばらくストップしていた塩野七生さんの『ローマ人の物語(文庫版)26 賢帝の世紀(下)』を読み終えた。
カエサルからアウグストゥス、ティベリウスら、ローマ帝国創業のダイナミックな歴史、その後のおごり高ぶりの混乱期や中興の祖らの活躍を経て、ようよう安定期に差し掛かってきたローマ帝国。
安定が衰退への兆しでもあるのだが、今はまだそれは見えない。
ばかりか、拡大したローマの版図をより強固なものとすべく、トラヤヌスやハドリアヌスなどがローマ中を駆け巡って石橋を叩いて固めるという作業を行っている。
ハドリアヌスの後を次いだピウスはほとんど外征を行わず、しっかり内治を行っている。
豊かなローマがさらに爛熟しようとする直前のような気がする。
それにしても不思議なことは、この五賢帝の時代と言われるローマ安定期の100年ぐらいの間、中には晩年常軌を逸したような判断誤りを犯してしまった皇帝もいたものの、概ね賢明な判断をしてローマを安定ならしめた人たちが選抜され、次の皇帝に任じられ、しっかりとその機能を果たした=国民に安全と食をきちんと提供することができた、ということが奇跡のように思われる。
もちろん歴史の表には残っていないトラブルや事件は色々あったろうが、人の引継ぎが大変うまくできたということは、先代の皇帝の人選眼が優れていたこと、それを支える人材育成機能が元老院辺りにもしっかりしていたということではなかろうか。
さらに言えば、戦争で負けて奴隷の立場からスタートした先祖を持っていても、辺境の出身であっても、きちんと仕事をしていくことで、皇帝の地位に上り詰める人もいたというダイナミズムというのか、制度設計の素晴らしさが、この帝国を支えていたのではなかろうか。
それが、カエサルの項によく出ていた「トーレランス=寛容」というこの時代のローマ人が持っていた徳性ではなかろうか。
それと、国のためなら自分を差し出せるという高貴な使命感=ノブレス・オブリッジを連綿と伝えた国民性と言うような徳性、それらがこの国の発展、世界中から尊敬を集めた大本の力ではなかろうか。
と、そんなことを、ここまで読み進めてきて思う。