先月亡くなった小室直樹氏のことについて書く。
私が始めてこの希代の大学者のことを知ったのは、高校3年生のときであった。
偶然、NHKのテレビで、山本七平氏と対談をしておられた。
その時に、紹介のテロップが流れ、京大、東大、ハーバード、数学、社会学、経済学、法学・・・というおよそ1人の人間の中に共存しにくいような学問を名門大学を渡り歩いて修得してこられたすごい人、ということを知った。
衝撃が走った。
なんだかすごい人が日本にはいるんだなあと思った。
翌年、大学に進学したら『ソビエト帝国の崩壊』が上梓された。
NHKテレビでの強烈な印象が残っていたため、私がこの人の著書にすぐに飛びついたのは言うまでもない。
内容は、興味のある方は是非お手に取って直接読んでいただければ良いが(本書の他に、シリーズものが合計3冊出版されている)、小室直樹氏の凄いところは、現地に行ったわけでもなく、世の中に出ている一般の情報(本やニュースなど)から、社会学の分析手法(と言っても誰にもまねできないものかも知れないが)を使って、ソ連の問題点をあぶり出し、その結果、早晩崩壊する、と断じた点である。
それから9年後の1989年にはベルリンの壁が崩壊し、その翌々年の1991年に、小室直樹氏の予言どおり、ソビエト連邦は崩壊した。
文字通り、国、体制が崩壊したのである。
一方、その後小室直樹氏は『アメリカの逆襲』シリーズや『資本主義中国の朝鮮』『アラブの逆襲』などを立て続けに光文社から出版された。
どれも、法や宗教なども含めた社会構造から根本的に社会の行く末を考える本で、大変勉強になった。
小室氏の筆致はやがて日本社会の根源的な問題点に戻る。
戻るというのは、実はこれら、ややお手軽な感じの本の前に、『危機の構造』という本を出版されており、ここには日本社会の構造的な問題点があますところなく記されている。
小室氏の本には、よく「アキュートアノミー」という言葉が出てくる。
社会の法や規範、宗教など、人の行動を左右する共通的なものの考え方、これが根本から覆されるとき、一人ひとりの人、それらで構成されている地域や国家などの社会全般が、皆、パニックになって、価値観・倫理観・人生観が根源から崩壊する、というようなことである。
ソ連の崩壊に向けての兆候としては、アル中が多い、というようなこともその傍証として書かれていた。
我が日本の場合は、第二次世界大戦が終わった時に、それまでの価値観が全否定され、国民全体がやる気を喪失し、自暴自棄になった。しかし国民の精神的な支柱であった昭和天皇が処罰されなかったために、かろうじて暴動やパニックは抑えられたのかも知れない。(これは私の印象)
もう一つの重要なキーワードは「ノブレス・オブリッジ」である。
高貴なる使命感、というものらしい。
例えて言えば、大英帝国にはいまも貴族がいて、彼らは戦争になれば真っ先に出陣する、国のために命を張る立場であり、実際、王家の人々も必ず一度は軍役に就いている。
つまり、立場が上の人々には権威や権力があるが、それに見合うだけの責任や義務について、大変高いレベルのものを求められ、それらが一体となってこそ、人々も彼らを尊敬し、集団としての規範が保たれる、というものである。
権威と責任のバランスが崩れ、立場が上の人々が当然果たすべき義務を怠ったり、権威や権力を私用して不正や犯罪を働いてしまい、それに対するおとがめがなかったりすると、一般の人々はやる気を失い、法や秩序が保たれなくなり、犯罪が横行し、社会は崩壊に向かう。お前らの権威は俺たちが付託したものなんだぞ、というのが崩れてしまい、皆が権威者になってしまう。これは暴力社会=万民の万民に対する闘争である。そうなってはいけない。
しかるに我が日本はどうか。
役人や公務員による犯罪が横行している。
最も権威があり、威厳をもっていなければならない人々が、自分の権力を使って、公の利益ではなく、自分だけの利益を図っている(人々がいる)。それがさらに組織化して、自分たちの収入を増やす行為や第二の就職先を集団で世話することなどが自己目的化してしまっている。それも国民から吸い上げた税金を使って、である。
ここまで来るとどうしようもない。
今回の大阪地検の事件もそうではないか。
検挙率を維持することが目的化してしまって、そのためにストーリーを作り上げ、ストーリーに合うような証拠をでっち上げ、それで無実の人を罪に陥れる。
ここまで来るともはや法治国家ではなく、放置国家である。
というようなことになるよ、と小室直樹氏は田中角栄裁判などを通じて警鐘を鳴らしていた。
もう一つ、忘れてならないこの人の重要な指摘。
日本は社会主義国である、という話。
詳しくは書かないが、日本は戦後超平等社会を実現し、累進税率も高く、多く稼いだ人から沢山の税金を取って富の再分配をし、しかもそれほど不満を生まずに社会秩序を維持してきた、これはまさしくマルクスが唱えていた社会主義国そのものである、と。
これは、ある意味、日本という国だけでなく、我々の勤務する会社(どちらかと言うと大会社)の構造もそうである。
良い、悪い、は別にして、そういう観点で日本の社会や会社を見ると、確かに「ああ、そうか、だからか」と納得できる点が多い。
これらは『社会主義大国日本の崩壊』をご参照願いたい。
日本社会の問題点として、さらに、重要な指摘がある。
日本は「魔女狩り」の性質を持っているという点である。
みんなで「この人は悪い」と決め(あるいは想定し)、その人をみんなで袋叩きにする、という悪弊である。
いや、確かに本当に悪いことをしたのかも知れないが、本当に私たちはその人が悪事を為したと知っているのだろうか?
たとえば、先ほどの田中角栄元首相。ロス疑惑の三浦和義氏。戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏。テレビのワイドショーがその被疑者を犯人だ、悪人だといわんばかりに報道し、テレビを見た視聴者は「ああ、この人、悪い人なんだ」と思い込んでしまい、結果、国民大合唱で「こいつを処罰しろ、ハングアップだ」と叫び、その人の裁きが終わると、今度は別の犠牲者を見つけ出し、引きずり出し、またみんなでバッシングする・・・。
そうやって鬱憤を晴らすようになってしまった。
どうも我が日本人は、みんなで一緒に同じ方向を向いて、ということが好きな国民らしい。
だからみんなで一斉に誰かをバッシングするし、みんなで万歳して貴重な働き手を戦地に送り出すし、ちょっと反対の方向のことを言ったら「あいつは変わり者だ」と差別したり仲間はずれにしてしまう。これは何も第二次世界大戦までのことではなく、今も日本の構造に横たわっている、変わらぬ精神性である。
(このことをビートたけしは「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とものの見事に一言で切って捨てた。実際に赤信号をみんなで渡ればこわくはないかも知れないが、間違いなく何人かは事故にあう、その危険を「一億総・・」という美名でわからなくなってしまうのだ。
これはまずいよ、と小室直樹氏はしきりに警鐘を鳴らしていた。
そういう冷静な目で事件を見られる人が一体今の日本にどれだけいるだろうか。
いや、物言わぬ大多数の国民は冷静に見ているのかも知れない。
しかし芸能マスコミ化した新聞やテレビは、センセーショナルな報道=売れ行きを求め、静かに報道すれbそれでいいことも、タイトルを強調したり、「識者」と言われる人のコメントを効果的に活用したりして、いやがうえにもヒートアップしてしまうようになってしまっている。
それを読んだ一般の人々は、マスコミの論調が自分の意見だという感覚になってしまい、たとえば街頭でインタビューを受けた時には、その論調が自分のコメントとして口から出てしまっている。
その結果、それが大多数の世論だ、ということになる。
小室直樹氏は、そういう「空気の支配」に警鐘を鳴らし続けていた。(「空気の支配は」山本七平氏の著作、又はこの両者の共著などをご参照願いたい)
今さらながら、小室直樹氏の慧眼には驚くばかりであり、また、1976年に書かれた『危機の構造』以下、どの著作を見ても今も新しく、深いことにあらためて驚いている。
我々は小室直樹氏の重要な指摘の数々をもう一度しっかり学んで、それを腑に落とし込んで、これからの世の中に対していかなければならないと思う。
表層の変化だけではなく、本質的な現実をしっかり見て、本質的に問題に対応していかなくてはならない。
こういう人物を持てたことは日本の僥倖である。
心からご冥福を祈りたい。
そして、その考えを学ぶ機会を与えていただいたことに感謝したい。
この本が小室直樹氏の考え方・ものの見方の勉強になる基本参考書だと思う。
(・・・それにしても、バナーを横に並べられないものだろうか・・・)