一昨日、倶利伽羅不動寺で聞いた住職らしき人の法話の紹介。
「佛」という文字がある。
通常、我々は「仏」という文字を書く。
「にんべん」にカタカナの「ム」である。
しかし元々は「にんべん」に「非ず」という文字であったらしい。
ほとけとは、「人に非ず」ということらしい。
でも、いわゆる一神教の神とは違う。
神と違う最大の点は、人はほとけになれる、ということらしい。
人は「神=創造主」にはなれないが、「ほとけ」にはなれる、という。
しかし、人がなった「ほとけ」は人ではない、人ではない状態なので、「人に非ず」ということらしい。
これ(「非」の部分)はまた、糸がごちゃごちゃ絡まった状態の中に、二本の縦の棒を差し込んで、整えた状態をも表すという。
人はみな色々な悩み・苦しみにのたうちまわり、心も体もボロボロになる。
ほとほと混乱した状態になって日々過ごし煩悶の中によるを迎える。
そういった混乱した状態をうまく整えた人が「覚者=目覚めた人=ブッダ」であり、「ほとけ」となるのだそうだ。
さらに、ブッダは、自分だけ目覚めるのではなく、他人をも目覚めさせた人のことを言うらしい。
ジコチューではブッダにはならないのである。らしい。
ご住職の話はまだまだ続く。
六波羅蜜という言葉がある。
平清盛をまつった寺は六波羅蜜寺である。
これはもともと「6つの」「パーラミータ」という意味だそうだ。
パーラミータの意味は失念したが、次の6つがそれに当る。
・布施
・戒律
・忍辱
・禅定
・精進
・知恵
ということらしい。(順不同&間違いあるかも)
これらに共通するのが、言葉だという。
たとえば、布施と言った場合、我々は「お布施=お金」というふうに連想しがちだが、ご住職曰くは「なにもものや金だけが布施ではない。優しい心のこもった<言葉>も布施である」という。
「戒律」は「言葉を慎む」
「忍辱」は「言葉(の暴力)に耐える」
など、いずれも言葉と関連したことだという。
人間は言葉を持ち、言葉を使えるという点が、他の全ての動植物と異なる点であり、言葉をしっかり、大事に使っていかなければならない、ということをしきりに仰っていた。
最後に、言葉で願いを考える、そして人生を変えていくことすらできるよ、というお話があった。
有名な「心を変えると行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という一節である。
「心を変える」の心とは、誓願を立てるということで、これも言葉を持ってする必要がある。
すべて、言葉の力、というわけである。
(TRICKで野際陽子さん演じる書道家=山田里美の「文字のちからっっ!!」ではないが)
偶然「8」のつく日に訪れて、いい話を承った。
ラッキー、である。