倶利伽羅峠。
その昔、源平合戦で源義仲が火牛の計で平氏軍を打ち破った古戦場。
さらにその昔、インドの善無畏という高僧が元正天皇の要請で日本にやってきて、この地で倶利伽羅不動明王を感得し、その姿のままに彫刻し、その後かの空海がこの地を訪れた際、倶利伽羅不動明王の有難さに同じ像を彫刻した・・・との言い伝えのあるところでもある。
であるが、そもそも善無畏は真言八祖の5番目の人であり、インドから中国には行ったと思われるが、日本には来ていないのではないか。
しかし日本の色々な寺に善無畏がどうしたこうしたという言い伝えがあるのはどういうことだろう?
不思議な気がするが、偶然倶利伽羅不動寺だけのことではないと思う。
日本の各地に善無畏が感得して彫刻したとか、善無畏が開山したとかいう言い伝えがある。
ということで、今日は久しぶりに小矢部、否、石川県津幡町の倶利伽羅不動寺へ参詣に行ってきた。
ここは母の生まれた地の近くであり、母の名前の由来の地でもある。
15年ほど前、母が乳がんから回復し、そのお礼参りに行ってきたのが、母としては参詣のきっかけであるらしい。
当初から父と一緒に毎年今頃の季節に参詣してきたもののようだが、今年は父が病床の人であるため、私が同行した。
魚津から下道で1時間半。
今日は偶然8のつく日ということもあって、住職の法話があった。
「言葉」が大事だよという大変良い法話だった。
高台からの見晴らしは、まるで鞍馬寺から比叡山を望むような感覚があった。