まだまだ途中もいいところだが、墨子を読んでいる。
ずっと以前に、酒見 賢一さんの『墨攻』という小説を読んだが、大変わくわくする素晴らしい小説だった。
それ以来、墨子が気になってしょうがない。
公輸盤という人物がいる。
この人が、ある国で「雲梯」という、はしご車のような攻城用の武器を開発した。
それで攻められると面倒なので、墨子がその人を説得に出かけた。
墨子は論を尽くして「お前は間違っている」ということをわからせた。
ところが、その上司(国王)がうんと言わない。
それでも墨子は説得し尽くして、理ではわからせるところまで話を詰めた。
にもかかわらず、国王は、攻めると言う。
墨子は仕方なく、机上で「雲梯」で攻められた場合の対応策を見せてみた。
何度も攻めるが、墨子の対応策にかなわない。
公輸盤は墨子を殺せば対応策ができないだろうと想定する。
墨子は、それがわかっていて、最後の手段は俺をこの場で殺すことだろう、と言う。
そうすれば、「雲梯」への対抗は水の泡となるだろう。
しかし墨子はさらにその上を行っている。
ここで墨子を殺しても、部下に対抗策をすべて伝授してあるので、何の意味もなさないことを伝える。
遂に公輸盤と国王はその国を攻めることを断念し、墨子も解放される。
これが、非攻、というものであるようだ。
紀元前400年の世界に、こういうすごいことが行われていた、ということが驚きだ。
いかなる知恵か。
もっと墨子のことを学ばねばと思う。
残念ながら、秦が中国を統一して以降は、この人たちの活躍する場がなくなってしまったようではあるが、なんとなく、五斗米道など道教的な集団には伝播していったのではないか・・・。
そう考えるとロマンが生まれる。