最近のこと

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 数日前、前の会社の総務部長に道でばったり出会った。(私が転職してから着任された部長なので、仕事を一緒にした経緯はない人である。)
 部長氏曰く「あなたの、会社時代のブログがまだ残っていて読ませてもらっている。熱い思いを感じるよ。」
 こちらは赤面しきりである。
 当時は毎日、辞世のつもりで毎日のように熱い思いを書き綴っていた。(そうとはわからないように、おちゃらけや笑いを誘うようなものも随時織り込んでいたのだが)
 いまだに残っているとは恥ずかしい限りだ。
 しかし、日本の通信を支える事業に対するノブレスオブリッジは今も変わらぬ思いがあり、頑張ってほしいと思っている。
 そんなこんなの矢先、今日、その会社の総務課長から電話があった。
 近くにいるから会おう、ということだった。
 出かけて、喫茶店で最近のよしなしごとを語り合った。
 なかなか大変そうだ。
 会社がなまじでかいものだから、威令が行き渡らない。
 私が今いるところは数百人規模なので、一応曲がりなりにも、指示されれば、それが伝わり、表向きあちらを向く人はまあいない。
 しかし、従業員数数万人という大会社の場合、しかも会社が社会主義国のように計画経済である場合、自分が手を抜いても構わない、計画があれば誰かがちゃんとやって、最後はうまくいこうがいくまいが、うまく行ったというふうに形が整えられる、というふうに思う無責任人間が発生したり、あっちを向く人間が何人もいても、オレだけじゃないも~ん、とか、オレ一人あっち向いていても大勢に影響ないじゃん、という連中がいたりする。それでも回るのが大会社の強みであり弱みである。
 大変だ。
 最近読んでいる本は、青木新門さんの『納棺夫日記』(文春文庫)である。
 ご存知「おくりびと」の原作だ。

 著者も富山県人なら、映画監督も富山県人という、我々にしてみれば、大変誇らしいことである。
 文章の底流に流れるしんどい経験と深い人間愛は、南木佳士さんの『阿弥陀堂だより』(こちらも文春文庫)に通じるものがあるような気がしている。
 映画を観に行く時間はちょっとしばらく取れそうにないので、まずは本をしっかり読んで、もっくんの映画は楽しみに取っておこう。
 子どもたちとは毎日バトルである。何度言ってもわからない。言い方が悪いのか。
 進める学校がない。(上の子は水戸にある大学の試験に落第し、次が最後のチャンス)
 にも関わらず、真剣になってやり直そうという態度が見えない。
 ちょっと甘やかし過ぎたかなと反省しきり。
 しかし誰が悪いのでもない。育てたのは自分だ。
 5年前、単身生活になって、思春期の子どもたちと別れ別れの生活を選択したのは自分だ。
 親のため、そして地元に根付かせることを期待して、子どもたちを妻とともに富山へ帰した。
 それが悪かったのか、と振り返ってみたりしている。
 ちゃんとした人間として世に出せないとしたら、それは親である私の責任だ。
 根本は良い子だと思っている。
 そして、最後は自立してもらわなければならない。
 親が面倒見られるのは、せいぜい22歳まで。
 大学に行く力のない子ならば、18歳で終わりだ。
 そのことを少しずつ、ようやく感じ始めているようではあるが、腹に落ちているかどうか・・・。
 教えるのが遅かったか。
 日々悩み、激怒し、反省している毎日である。
 でも、昨日はもう取り戻せない。今日は二度と帰って来ない。
 コントロールできるのは、今と明日だけだ。
 昨日までの反省を踏まえ、今と明日を生きて行こう、ということを子どもたちにも伝えよう。

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