春のおとづれ、子どもたちの転機

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庭の桃の枝
 訪れ、というものは、音がヅレることを意味する、と何かの本で読んだ覚えがある。
 小説だったかエッセイだったか学術書だったかは定かではないが、そんなことが書いてあり、普段私たちが使う「おとずれ(訪れ)」ではなく「おとづれ」と、「つ」に点々を打った「づれ」だということであった。
 ホントかどうかはわからないが、そういう表記がなんとなく日本的だなあと思い、間違いかも知れないが、「おとづれ」というタイトルにした。
 春一番が吹き荒れたのは1週間ほど前であったろうか。
 あれから我が富山県には雪が降る寒い1週間であったが、ほとんど積もることもなく、すぐに融けて平野部では今は跡形もない。
 降雪の合間を縫うように中国大陸からの黄砂が大量に降り注ぎ、車はまっ黄色。
 庭には桃の花が咲いており、海では釣り糸を垂らす人々もいるくらいだった。
 世の中の景気はまだまだ厳しいし、これから3月、4月にかけて倒産する会社も出てくるだろう。
 しかし季節は確実に春に向かって芽を吹き出しており、間もなく春がやってくる。
 まだ受験勉強が終わっていない子らもあるだろうし、就職の決まっていない学生もいることだろう。
 我が家では、長男が実技だけの二次試験という安易な道で大学受験の勝負をしようとしているし(学力がないのでそれで勝負するしかないのだが、どこまで通用するかはなはだ心もとない)、次男は早々に県立高校受験からリタイアしてしまった。
 次男については、一旦これまでの勉強不足だった自分に封印し、高校からのリスタートに向け、ゼロからやり直すというので、それもまた良しとエールを送ることにした。2年3ヶ月の単身赴任とそれに続く家にいない状態の計4年半の私自身の責任を痛感しており、本人のやる気がようやく出てきたこともあり、なんとかバックアップしてやりたい。
 オール1というと衝撃的な話だが、当らずも遠からずである次男を、さらにやる気を出させたいと思い、宮本延春という人の『オール1の落ちこぼれ、教師になる』という本を買い、昨夜自分でも目を通した上で、まずはこれから読んだらどうか、と渡した。
 やる気というのは本人次第のところがあって、回りの者がどれだけ躍起になってもあれこれちゃちゃを焼いてもいい材料を目の前に提示しても、本人がやる気がないと、ただの夾雑物にしかならない。我が愛する次男は、去年の12月からようやく勉強を始めた、といみじくも先日打ち明けてくれた。
 それで中学3年間の勉強をしようというのがそもそも間違いだし、間に合うわけがない。
 これまでの3年間は取り返しがつかないし、後戻りもできない。これからの3年間で多くのことをカバーしていかなければならない。そのためには相当の決意が必要だと思う。「まず、心の持ちようを変えよう」と言った。
 その、リ・スタートのためにこの本を読もうよ、と言った。

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