急に少し遠出をしたくなり、妻を誘って高岡の瑞龍寺に行って来た。
魚津から国道で1時間あまりだが、瑞龍寺に行ったのは初めてである。
加賀藩二代藩主の前田利長の菩提をとむらうために、三代の利常が建立したもので、最近国宝になった曹洞宗の寺である。
寒い時期であり、いくつかある駐車場の、一番入り口に近いところに車を止めることができた。
来客はそんなに少なくはなかったが、たぶん、関西方面からの一個団体があったためであろう、JTBの観光バスツアーと一緒になった。
境内は、そんなに色んなものがあるわけではなかったが、私の関心を惹いたのは、石廟というところである。
回廊を左から回って中ほどに行ったところからさらに左のくぐり戸を通って入るところである。
中に5つの石の墓があった。
まつられているのは寺の主である「前田利長公」、建立者である「前田利常公」、そして「織田信長公」、「信長夫人」、「織田信忠公」ということであった。
不思議だったのは信長及びその妻子の墓であり、そばにあった説明板に「本能寺の変の後、信長公父子の分骨を得て・・・」と書いてあったことである。
織田信長の遺体は見つからなかったというのが定説であり、そうならば、分骨などありえないことだが、まあ、寺の言い伝えでそうだというのならそうなのだろう、と思って礼拝し、後の工程を回った。
久しぶりに妻と語らいながらのドライブと思ったが、日頃の疲れのせいか、彼女が起きていたのは瑞龍寺の中だけで、後はぐっすりおねむの人だった。