樋口了一という人がいる。
どんな人かは知らない。
歌手であることは間違いなさそうだ。
今日、年賀状を書きながらラジオを聴いていると、ディレクターが「最後まで聞けなかった」と言ってアナウンサーに渡したレコードだと紹介された。
曲名は「手紙~親愛なる子供たちへ~」という歌だ。
じわっと泣けてきた。
涙が止まらなかった。
身につまされるし、今後数年以内に、間違いなく自分にも訪れる状況だし、さらに数十年後には自分自身がその立場になるであろう状況だ。
認知症になることを目前に想定した親が、わが子に、ぼけたりこぼしたり粗相をしても、そっと見守って手を差し伸べて欲しい、お前が赤ちゃんのときに我々がしっかり育てたように・・・というような内容だ。いや、こう書いてしまうと、なんだか、親のエゴみたいに聞こえるなあ。こんな書き方は適切ではない。しかし、とにかく、そんなことを歌にしなければならないくらい、今の日本はせちがらいのかも知れない。年老いた親の面倒を見るのは当たり前だろうという気もするし、いやいや昔は労働力にならなくなった親は山に捨てに行った時代や土地もあったのだという話もある。死に行くものが心置きなく死ぬことができ、生きて行くべきものがしっかり生きて行くための仕組みであったと言われればそれまでだが、こんなに豊かな日本で、老親を見殺しにするようなことはあってはならないと思う。
親のケアができるよう、自分なりに色々苦労している、と思っていたが、いやそれは単なる自己満足で、やってやっている、と言わんばかりの自意識過剰行為ではないか。本当に親が求めていることができているのか、自分一人で満足して、実際なんの役に立っていないのではないか。少し記憶があいまいになったり失敗したりし始めている親に対して、見守る気持ちで寛大に接しているか。
今の日本を憂うなんてとんでもない。
自分自身が親に何もできていないのに、高みからものを見るようなことを言えた立場か。
と、歌を聴いて、反省しきり。
もう少し地に足をつけて、子供としてすべきことをしてなければ、と思う。
YouTubeでもアップされているので、このブログをご覧になった人は是非一度、お聞きになってみて下さい。先入観なしで聞いてみて下さい。